第30話 胸を張って
「ただいま」
トボトボという表現がぴったりな足取りで帰宅するも、いつものように誰もいない。祖父が戻ってくるまで時間がある。
自室のベッドに制服のまま倒れ込んだサトルは何を考えればいいかすら思い浮かばずに天井を見上げた。
「……しまった、夕飯の材料を買い忘れた」
センカギケンに寄り道したせいでスーパーの前を通らなかった。すっかり家事が頭から抜け落ちていたのである。
すぐに財布を手に握り、買い物に出かけようとした。
しかし玄関先で祖父と会ってしまう。いつもより仕事の帰りが早かったのだ。なんとも気まずい。
「ご、ごめん。夕飯の材料を買い忘れちゃって……」
「サトルにしては珍しいね。まぁ、そういうこともあるだろう。気にしなくていい」
祖父は特に怒った様子もなく、作業服から着替えた。
仕方なく冷蔵庫の中身をチェックする。いつも以上に簡素な食事になってしまいそうだ。
「たまには、外で食事しないか?」
「でも」
「いつもサトルに準備してもらって、助かっているんだ。たまにはいいじゃないか」
二人で外食するといっても、特に食べたいものが思い浮かばない。だから祖父に任せてしまった。こうしてクルマで出掛けることになったものの、やはり気が重いままである。
「悩んでいるみたいだね」
行き先は駅方面らしい。そちらの方が飲食店が多いが、夕方は特に道路が混む。
なかなか進まない車内でずっと黙っているのは辛いので、素直に話してしまった。
「実は、彼女ができたんだ」
「それにしては浮かない顔だね。喧嘩でもしたかな?」
無言で首を振る。
喧嘩どころか、まだデートすらしていない。
ハジメが連れてきた子で互いをよく知らない状態なのだ。
「彼女というのは、ちょっと前にウチに来た白衣の小さな子?」
「違うよ。あぁ見えて講師の先生なんだ。うちに来たときも自己紹介で言ってたでしょ」
「はっはは、そうだったね。あまりに可愛らしくてね」
「だいたい、なんで戸森先生のこと彼女だと思ったのさ?」
「さぁ、どうしてだろうね」
はぐらかした祖父はクルマを進める。駅にだいぶ近くなってきた。マヒロが講演を行ったホテルの前を通り過ぎる。祖父は視線をホテルの方へ向けた。
「実はね、ここで戸森博士の講演を聞いたんだよ」
「えっ? じいちゃんが?」
「勤めている会社から参加することになってね。ビックリしたよ。サトルを迎えに来た子が壇上に上がったんだから。発表内容も素晴らしかった」
「もしかして、じいちゃんの会社ってAI作ってるの?」
「ちょっと違うかな。ソフトウェアじゃなくてハードウェアだね。戸森博士の構想に、人間と高度なコミュニケーションが可能なAI躯体というものがある。その一部だよ。まぁ、企業秘密だから具体的にどの部品とは言えないけどね」
「知らなかった……」
「公演の後で戸森先生にあらためて挨拶しようとしたんだけど、急に帰られてしまったようでね。代わりにセンカギケンの所長さんを見つけたから声をかけておいたんだ」
(所長って確か、戸森先生に講演を押し付けたヤツだったよな)
わざわざ見に来ていた辺り、嫌味でも飛ばすつもりだったのだろう。
だがマヒロが講演を成功させて悔しがっていたに違いない。
「あのとき、一緒に来たハジメさんという子がいただろ? もしかして、あの子は機械なんじゃないかな?」
これまで誰一人として学校の人間はハジメの正体に気付いていない。数週間を一緒に過ごしていてもバレはしなかった。
それが、たった一度だけ玄関先で挨拶しただけの祖父が見抜いている。
サトルは表に出さないように努めたが、一瞬だけ間が空いた。
「そんなわけないでしょ。あんなに人間そっくりに造れるわけないって」
「確かに。気のせいだったかな? あのハジメという子がお辞儀したとき、微かにモーターの駆動音が聞こえた気がしてね」
「まさか」
人型AIの部品を作っているという祖父のことだ。もしかしたらハジメの構造を知っているのかもしれない。
しかし、ここでサトルの口から明かすわけにはいかずどうにか誤魔化し通した。幸い、祖父はそれ以上の追求をしてこない。自分で言ってみて馬鹿げているという自覚があったのだろう。
「あぁ、話が逸れてしまったね。そうか、サトルの恋人は戸森博士じゃないんだ」
「なんで残念そうなのさ」
「あの子のことが好きなのかなと思ってたからさ」
「……意味が分からないよ」
「極力、人を避けているだろ? 私の家に住むようになってからも一度だって友達を連れてきたことがない。誰かと遊びに行くという話も聞いたことがない。ずっと心配だったんだ。でも戸森博士が訪ねてきてくれた」
「あれは呼んだわけじゃなくて押しかけてきたんだって」
「そのくらい親しいってことだろう?」
「別に親しくないよ。それにさ、友達なんかいなくなって人生どうにでもなるよ」
「うん、そうだね。私もそう思うよ。何かを成すときは独りの方がいい」
「じいちゃんって意外とドライだよね」
駅前の大型家電量販店の立体駐車場に入る。7階にクルマを停めて、同じフロアにあるレストラン街に向かった。時間帯もあって家族連れが多い。気が重くなっていくのを感じる。
(慣れないな、こういう場所は……)
子供を連れた幸せそうな父母の姿を一瞥し、深い溜息を吐いた。
祖父はそれを見逃さない。
「時間帯が悪かったね。そこまで気が回らなかった」
「構わないよ。いつまでも引き摺っている俺が悪いし」
「すまないね。君の母は……私の娘はサトルを傷つけた」
「……」
一番奥にあった暖簾の前で止まる。ガラス戸の向こうにはカウンター席が並び、職人が寿司を握っていた。筆字で今日のおすすめが書かれ、水槽では赤っぽい色の魚が泳いでいる。
「こんな平日に、回らない寿司を食べるつもり?」
「嫌だったかな?」
「いいけど高くない?」
「たまにはいいじゃないか。湿っぽい話をしてしまったんだ。派手な食事で忘れよう」
普段から食卓を預かるサトルは脳内で計算を組み立ててしまう。これからものの一時間で何日分の食費が消費されるのだろう、と。我ながら貧乏臭いと自覚しつつ、そんな呪縛からは逃れられそうにない。
(戸森先生はちゃんと食事してるかな?)
カウンター席に座った途端、意識はセンカギケンの方へ向いてしまう。
さっきはハジメが食材を買い込んでいた。あれで夕食にするつもりだ。予備の包丁やまな板は預けっぱなしにしているので道具や調味料には困らない筈だ。
(そういえば、怪しい奴を見かけたって伝えられなかったな)
寿司屋のカウンターでスマホを取り出す気になれず、メールは後にしようと決めた。
食べ終わらないと連絡できない。妙にソワソワして足が床から浮いてしまう。
「心ここに在らずといった感じだね」
「俺が?」
「うん。そう見えるよ」
「……恥ずかしいな」
「新しくできた彼女のことを考えているとか?」
並んで座る祖父は目で「でも違うでしょ?」と付け加えてきた。
見透かされているのに否定するのがなんだかむず痒い。
もう素直に認めてしまう。
「戸森先生のこと考えてた。ちゃんと夕飯、食べたかなって」
「またサトルが行って作ってあげればいいさ」
「でもさ、ハジメに言われちゃったんだ。『もう戸森先生には近づくな』って」
「おやおや。それは手厳しいね。で、言われた通りにするつもりかい?」
「だって、近づくなって言われちゃったらさ……」
「サトルはもっと自分のことを押し通してもいいんだ。誰かに言われたからって、自分には価値がないとか、その通りにしようとか、考えなくていい。ましてやその通りだなんて思い込む必要もない」
「じいちゃん……?」
「例えね。私の娘が君に暴言を吐いたとして……本当に愚かしい、自分の子供に言ってはいけないようなことだったとしても……君は胸を張って生きていいんだ。誰かに決められた通りのものにならなくていいし、従う義務も無い」
「なんで寿司屋のカウンターで説教が始まるのさ?」
「おっと、すまない。これから美味しいものを食べるというのにね。でもこれだけは言わせておくれ。最近のサトルは明るくて前向きだ。良いことがあったんだろうと素直に信じられる。あの朝、戸森先生が訪ねて来た時のサトルは特に嬉しそうだった」
「……俺にはじいちゃんの方が嬉しそうに見えたけど」
「嬉しいさ。孫が喜んでいたんだからね。さぁ、この辺にしておいて豪華に行こう。好きなものを頼みなさい」
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