第29話 心はどこに

 恋愛なんて面倒だし、彼女は要らない。そう公言(?)していたサトルに何故か彼女ができてしまった。これも超高性能AIたるハジメのおかげだろうか。

 自分の隣に女の子がいるというのは数週間前までは強烈な違和感を覚えるところだったが、ハジメやマヒロと一緒に行動していたせいで感覚が麻痺してしまい、今となっては特に気にならない。

 しかし……


(なんだあの目は……)


 新たに生じた悩みとして、事あるごとにマヒロに睨まれるようになってしまった。

 特別授業に参加したときも、廊下ですれ違ったときも、厳しい視線に晒されて心臓が止まりそうになる。実際はそんなにヤワではないがこうも続くと神経がすり減った。

 事態を打開しようと話しかけてはみたものの、取りつく島も無い。帰り際を待ち伏せたときもダッシュで逃げられてしまった。勿論、運動能力の高くないマヒロ相手だから走って追いつけるが、そこまでするのは気が引けた。


「はぁ……」


 大きな溜息を吐き、帰路に着く。

 どうしても諦めきれなかったので回り道をしてセンカギケンの前を通ってみた。当然、マヒロは建物の中だろう。待っていても翌朝まで外に出てくることはなさそうだ。


(ん……?)


 いい加減、立ち去ろうとしたときサトルと同じくセンカギケンの建物を眺めている男がいることに気付いた。禿げ上がった頭に痩躯で、神経質そうなスーツ男が敷地の外から恨めしそうな目を向けているのだ。年齢は50代といったところで、どことなく意地悪そうな印象を受ける。


(なんだ、あいつ?)


 見るからに不審者というわけでもない。身なりはきちんとしている。

 気になったサトルは声をかけてみた。


「あの、センカギケンに何か用事ですか?」

「っ!?」


 壮年男はひどく驚いたようで、ビクッと震えてサトルの方を向いた。表情からも困惑が読み取れる。


「き、キミこそなんだね!?」

「俺ですか? 俺、ここに住んでる特別講師の先生と知り合いで……」

「ふんっ、驚かすな! 戸森マヒロの生徒か! いつまでも外をうろついてないで勉強でもしていろ!」


 自分が何者かは一切名乗らず、壮年男は肩を怒らせて路上駐車していたクルマに乗り込んでしまった。


「あっ! 待て!」


 咄嗟に追いかけようとするも、クルマはサトルを無視して発進し路地の向こうへ消えてしまう。ナンバープレートの番号を記憶しようとしたが手遅れである。


(なんだ、あいつ?)


 後でマヒロに報告したほうがいいだろうか?

 変な男が敷地を覗いていたと。

 しかし、伝えようにも避けられているからどうしようもない。それに見た目だけで判断するのも失礼な気がした。


「はぁ…… 帰るか」


 立ち去ろうと踵を返すと、道路の向こうから買い物袋を片手に持った黒髪の少女が近づいてくる。戸森ハジメだった。


「あっ! 大塚くん!」


 流石の脚力であっという間に駆け寄ってくると、いきなり買い物袋の中を見せてくる。生鮮食品ばかりが詰め込まれて、お菓子の類は入ってなかった。


「見て見て! 買い物してきたの!」

「戸森先生に頼まれたのか?」

「違うよ。マスターには頼まれていないよ」


 確かに、マヒロが好みそうなものは入っていない。出来合いのものではなく材料ばかりだ。

 ということはハジメが料理するのだろう。


「これからは私がマスターの食事を準備するから、大塚くんはもう心配しなくていいんだよ!」

「そ、そうだな……」

「大塚くんはどう? 新しいカノジョとはうまくいってる?」

「うまくいってるもなにも……」


 付き合うという話はすんなりと通った。相手の子はハジメと仲の良かったひとりである。紹介されて連絡先を交換し、ちょっとだけ会話もした。感じの良い女の子で、どことなく戸惑った様子が初々しい。どこかへ遊びに行こうかということになり、同意も取った。


(けど)


 それだけだった。

 虚しいとか、真っ白とか、色や形で例えられないものが心を埋め尽くしている。


「やっぱり、女の子と付き合うなんて無理だよ……」


 ボソッと本音が漏れると、ハジメは首を傾げる。

 最初に会った頃の機械的な笑みを浮かべて「どうして?」と漏らす。


「楽しくないの?」

「それすら分からないんだ」

「ふ~ん」


 しばらくの間、お互いに無言だった。

 これでは弱音を吐くだけで終わってしまう。そう踏んだものの、先に喋り始めたのは相手の方だった。気のせいか、ハジメの瞳がほんのりと赤く光っている。


「大塚くんに彼女ができて、マスターの計画は成功。大塚くんは、マスターに就職先も紹介してもらえる。これってハッピーエンドじゃない?」

「……本当にそう思うのか?」

「思うよ」

「それって結局、お前の都合じゃないのか?」


 ピタリと動きを止め、ハジメの口角が下がる。同時に辺りが一気に静かになった気がした。

 耳が痛い。目の前の、超高性能AIはどんな演算をしているのか想像したくなかった。

 触れてはいけない、割れたガラスの端部をなぞってしまったような…… サトルは自分の言葉をすぐに取り下げる。


「ご、ごめん。言い過ぎた」


 急いで頭を下げたが、ハジメは気にした様子はない。

 それどころか一層、明るい顔で胸の前で手を合わせる。指にのしかかる買い物袋の重さなどものともしないようだ。


「大塚くんは私を『失敗作』にしたいの?」


 また重い言葉が出てくる。

 ハジメは本業ではない『恋愛支援AI』としての成否をかなり気にしているようだった。

 胃の辺りを抑えながら答える。


「そんなわけ……ないだろ。失敗して欲しいなんて思ってないよ」

「そっか。大塚くんは、あの子が気に入らかったんだね。うん、そうだ。そういうこと。じゃあ新しいカノジョを用意してあげるから。次はもっと可愛い子にするね!」

「いや、そうじゃなくて」

「大丈夫! 心配しないで! だから……」


 くるくるとサトルの回りを周り、目で追えないでいると不意に耳元へ唇を近づけてきた。


「だからもうマスターには近づかないで」

「えっ?」


 今までより声のトーンが一段以上、低い。押し込められた感情はあからさまにマイナスのものだった。

 ハジメがそんなことを呟いたのに驚き、顔を歪める。

 しかし、当のハジメはまたいつもの明るさを取り戻して円柱形状の建物の方へと走っていった。


「じゃあね、大塚くん! 気をつけて帰ってね!」

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