第21話 壊れたデータ
講演会当日、サトルは学生服で宮前駅前のホテルにやって来た。駅のコンコースが繋がった豪華な建物で、周囲で一番背が高い。たまに電車に乗るときに近くを通りかかるが中に入ったことはなく、ガラス張りの立派な外見からちょっと近寄り難い雰囲気が漂う。ホテルのエントランスを潜るとその先には、首からストラップ付きの栓抜きを下げた少女が待っていた。
「遅い!」
「ごめん。バスで来たんだけど、道路が渋滞していてめちゃくちゃ時間かかって……」
「自転車を使えばいいだろうが」
「駅前に停めていたら勝手に撤去されたことがあってトラウマなんだよ……」
「それなら走ってくればいいだろう」
「簡単に言わないでよ。俺の家から何キロあると思ってるの?」
「ん? サトルの家は研究所や学校と近いだろうが」
「どれも駅から遠いじゃねぇか! ……って、どうしたのその格好?」
マヒロはいつも通り白衣だったが、その下は灰色のトレーナーとジーンズの組み合わせではない。
なんと宮前高校の制服を着ていた。余計に奇妙な組み合わせになって目立つが、科学部の部員ですと言い訳すればギリギリ信じてもらえそうだった。
「これか? サトルの学校の女子生徒用の制服だ」
「見れば分かるって。なんで着ているのって意味」
「むぅ。もう少し、適切な反応をしてくれてもいいだろうに」
「えっと、似合うよ?」
「疑問符を付けるな」
「似合います」
「それでいい。だが足元がスースーして落ち着かないな。スカートなんて普段は履かない」
どうやら校長が女子生徒用の学生服を貸してくれたらしい。学校アピールのつもりなのかと勘繰ってしまうが、実際はくたびれたトレーナーよりもフォーマルな格好だからという親切心である。
「あれ? そういえば、ハジメは?」
「留守番だ。ここに連れてくると色々と厄介でな。昨日の夜からディープスリープモードにしてある」
「別に暴れ回ったりするわけじゃないだろ」
「あの子を見て人型AIだと気付かれると後々、面倒なことになる。一般人ならともかく、研究者や技術職の人間なら見抜く可能性もあるんだ」
「それってマズイの?」
「いちいち質問されたり、答えたりするのが面倒臭い。そんなサービスをしてやる義理は皆無だ。ここにはハジメの存在を知っている者もいるだろうが、実物を目の当たりにしたことのある者は少ないからな」
要するに、ここに集まる利害関係者と余計なトークはしたくないということだ。発表だけで精一杯なのだろう。ホテルのエントランスにはちらほらと、それっぽいスーツ姿の人たちもいる。こんな大声で会話して大丈夫だろうかとサトルは不安になった。
(どうして、俺は呼ばれたんだ?)
今更になって己の存在意義について疑問を呈する。
マヒロに来いと厳命されてしまったせいでここにいるが、サトルにできることなんて思い浮かばなかった。
「そもそもの話なんだけどさ。別に、俺が来る必要なかったんじゃない? 何かを手伝えるわけでもないし」
「なんだと!? サトルはわたしの晴れ舞台を見たくはないのか!?」
「あれだけ嫌がってたくせによく言うよ……」
その後も何度もリハーサルを重ね、マヒロは完璧に『ハジメの喋り方』をマスターしている。数十人の生徒から視線を浴びてもちゃんと声が出せるし、自信ありそうに振る舞うことができた。最後は校長に頼み込んで体育館を借り、最大人数を前に仕上げを行った。結果、別のキャラを作って舞台に立たせるという岩崎先生の作戦は大成功を収めている。
「こんなところで俺と喋っているけど、講演の準備はしなくていいの?」
「あと30分後だからな。10分前には控室に入ってくれと言われている。発表資料はとっくに主催に送ってあるし、時間に余裕はあるさ」
「尚更、俺と話さなくてもいい気がするんだけど」
「むぅ……」
頬を膨らませたマヒロはプイッとそっぽを向いてしまう。何かまずいことを言っただろうか?
遠回しに暇人扱いしてしまったかもしれない。
どう取り繕うべきかと言葉を探していると、会場となっているホールの方から女の人が走ってきた。スーツ姿で胸元には「運営スタッフ」と書かれたネームプレートを付けている。
「戸森博士!」
「む。なんだ?」
スタッフの女性は焦った様子で周囲を見渡し、マヒロに顔を近づけて小声になる。
すぐ隣にいる
「先生から事前にいただいたプレゼン資料のファイルなんですが、壊れていて開けません」
「なんだと!? そんな筈はないだろう」
「それが……受領した際にはちゃんと開けたのですが、会場のパソコンにコピーして開いたらファイルが壊れていまして。最初にいただいた方もチェックしたのですが、同じように壊れて開きません」
「おい! どうしてくれるんだ!? 30分後には発表だぞ!?」
「お、落ち着いてください! ですからバックアップをお渡し下さい。そっちのデータを使います」
「ちょっと待て。センカギケンのサーバーにアクセスする。そこに元のデータが置いてあるから、それを送る」
「え? パソコンに保存してないの?」
「紛失したときに機密漏洩につながる。だからローカルに保存するなと所長がうるさいんだ」
モバイルPCを取り出したマヒロが軽やかに操作をしていくが、途中で固まって動かなくなってしまった。
みるみるうちに顔が青褪めていく。
「ど、どうしたの?」
心配になって声をかけると、マヒロは小さく震え出した。
今にも泣き出しそうな顔になっている。
「ファイルが壊れてる……」
「元のデータも?」
「そうだ。開けない……」
連絡に来たスタッフ含め、場の空気が凍り付いた。
呆然としたマヒロは文字通り膝から崩れ落ちる。
「どうしよう…… 発表資料が無い……」
「と、とりあえず落ち着いて! どこかにバックアップは無いの? いつも使っているメモリストレージの中とか!」
「あれは研究所の机の上に置いてある…… どうせモバイルPCからダウンロードできるし、必要ないと思って……」
「じゃあ、ハジメに電話しよう! ここに持って来てもらえば間に合……」
「無理だ! さっきも言ったが、ハジメはディープスリープにしてある! 外部から起動させる方法が無い! 端末からコマンドを入力するか、ある程度のショックを直接与えないと!」
万事休すか。サトルも絶望感のあまり崩れそうになる。
それはマヒロが感じているであろう負荷を想像してのものだった。
思い出したのは、中学受験に失敗した時のことである。プレッシャーに負けて眠れず、食事も喉を通らなくなって、ストレスで血を吐いた。試験当日の病院で天井を眺めるしかなかったあのときの絶望感が再び渦巻く。
「どうしよう…… あんなに練習したのに。学校のみんなに手伝ってもらったのに…… このままじゃ研究を続けられなくなる。ハジメを失ってしまう……」
マヒロは自分の小さな手で顔を覆った。肩が震えて嗚咽を漏らしている。
今日の公演の重要さはハジメからも聞かされていた。設備や部品を試供してくれる団体やメーカーの人間が相手なのだ。彼らの前で未来のビジョンまで語らなければならないし、そう期待されている。だから失敗は許されず、信用を失うわけにはいかなかった。
「すいません。その発表資料って、何時までに持ってくれば間に合いますか?」
「え? えっと、公演開始の直前に渡してもらえればなんとかなりますが……」
「わかりました」
膝を突いたサトルは、スタッフの女性に確認をとってから崩れたマヒロと視線の高さを合わせる。指の奥に隠れて目は見えない。
「戸森先生」
白衣の袖を掴む。ビクッとマヒロの肩が震え、恐る恐る手が下がった。
泣き腫らした赤い目でサトルを見ている。
「俺がストレージを取ってくるよ」
「でも」
「大丈夫だから待ってて。あと、研究所のカードキーを貸して」
「でも、このホテルから研究所までは……」
「スタッフのお姉さん。戸森先生をどこか落ち着ける場所に移動させてあげてください。あとコーラを飲ませてあげて。好物なんです。その間に俺、行ってきますから」
「は、はい」
鍵を受け取ってポケットにねじ込む。
代わりにスマホを取り出して時間を確認した。
マヒロの公演開始まではあと……25分!
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