第20話 嫉妬と怨嗟の影
先端科学技術研究所の所長・東堀が宮前高校を訪ねたのは、近場に別件の用事があったというだけの理由である。
定期連絡してこない問題児の実情を知るには、目で直接確かめた方がいい。まだ日は暮れていないし、この時間ならば学校にいる筈だ。
そう踏んで校長にアポを取ったのである。最近のマヒロの様子を尋ねてみたが「発表のことで随分と悩んでいる」とのこと。そのせいで体調を崩し、三日前には倒れたとも言っていた。
順調に追い詰めている。
前回はマヒロの管理している設備に所長権限でアクセスし、ハジメの設定を書き換えた。痕跡を消してうまくいったと思いきや、アクシデントは未然に防がれてしまったらしい。後になってリスクのある愚かな方法だと悟り、後悔もした。
それに比べて今回は実に満足のいく結果である。
なにせ、業務ひとつを押し付けただけで目障りな戸森マヒロを潰せるのだから。
(出資者や協力者の集まる講演で大失態を晒せば今後はデカい顔もできないだろう。十代前半で博士号を取得した天才とはいえ、所詮は世間知らずの子供だからな)
「どうかしましたかな、東堀所長?」
「あぁ、いえ。高校というのは賑やかでいいものだなと思いまして」
応接室で校長と向かい合って他愛のない話に興じている間も、窓の外からは部活動に励む生徒たちの声が聞こえてくる。正直に言えば東堀には興味のない世界だ。
程度の差はあれど彼もまたマヒロと同じ研究者であり、求めるのは成果である。
「私も賑やかなのが好きでしてね。だから教職に就いたというのもあります。しかし、この国の若者はどんどん減っています」
「まぁ、そういう時代になってしまいましたからね」
これまた興味のない話題だったが、上部だけは当たり障りのない言葉で合わせておく。
この手のコミュニケーションは東堀にとっても慣れたものだ。
「戸森博士の取り組んでおられる『少子化対策としてのAI活用』は非常に興味をそそられるテーマでした。学校現場でもAIは使われるようになっていますが、それよりもさらに踏み込んでいます。この話を聞いたとき、是非とも協力したいと思いましてね」
「センカギケンとしても有難い話でした。今日も急にお邪魔したにも関わらず対応していただき、感謝しています。」
本心は真逆で、マヒロにチャンスを与える形となってしまった。この校長がいなければハジメの躯体に予算全てを注ぎ込んでしまった戸森マヒロを追い出すことだってできたのである。
精巧な人形にAIを搭載しました、なんて真似は手垢がつくほど試されていた。そのどれもが宣伝程度の効果で終わっていて、人間になりきれたプロジェクトなんて存在しない。先進性のない研究に価値はなく、無価値なものを作り出したマヒロは自滅する筈だった。
そこに『恋愛サポートAI』などという取ってつけたかのような価値を主張したのだから呆れたものである。結果的にマヒロの目論見は通ってしまい、首の皮1枚で繋がった。
(なんて余計なことをしてくれたんだ……)
苛立ちが表に出ないよう楽しいことを考える。
マヒロが倒れたというのは傑作だ。そのときの様子を詳しく知りたい。
「あぁ、そうでした。さっきの電話で数日前に戸森が倒れたと聞いたのですが……」
もしかしたら校内にいないかもしれない。アポを取ってしまった手前、訪問はしたが校長と駄弁るのが目的ではなかった。
マヒロが占領しているセンカギケンの支部はここから近いので、帰り際に寄ればいいだろう。そのときはたっぷりと嫌味を言ってやる。
「戸森博士なら翌日には復帰されましたよ。なんでも寝不足と栄養不足だったらしいのですが、生徒のひとりが懸命にサポートしてくれたようです」
「それは良かった」
(また余計なことをする奴がいたもんだ……)
舌打ちを堪えて笑顔を作ったが、声は上擦っていた。
しかし、寝不足と栄養不足が解消されただけではどうにもできまい。
講演に失敗すればありとあらゆる難癖を付けてやれる。
「うちの戸森は、もう帰りましたかね? そうなると研究所の方も尋ねてみます」
「いえ。この時間は離れにある講堂で発表練習をしていますよ」
「発表練習?」
「はい。先程、様子を見てきましたがコツを掴んだようですね」
「こ、コツと言いますと?」
「ああいうのは『慣れ』ということですよ。昨日あたりからかなり上達しました。ハジメさんが呼びかけてくれたおかげで、結構な数の生徒たちが協力してくれていますよ」
(あの人形が? 人間の出来損ないの?)
にわかには信じ難く、東堀は眉を吊り上げる。初期の戸森ハジメが「ぎこちない人間もどき」だったことは覚えている。講演を押し付けに研究所へ尋ねたときも機械特有の不気味さを残したままだった。
そんなものが学生に呼び掛けを行って人を集めた?
(いや、そんなことよりも……)
「校長先生。私もこっそり見学してよろしいですかな?」
「えぇ、構いませんよ。案内しましょう」
長い廊下を歩いている間、気が気ではなかった。またしても戸森マヒロに己の目論見を打破されてしまうのではないかと不安に駆られたのである。
そんな心の内など知る由のない校長は、にこやかに講堂まで案内してくれた。小窓から中を覗き込んでみると2クラスほどの人数の生徒が座っている。その視線の先では白衣を着た小柄な少女がプレゼンをしていた。
いつもの小汚い戸森マヒロではない。髪の毛は乱れていないし、目の下にクマもなかった。
以前の生意気に釣り上がっていた唇は穏やかな笑みを浮かべ、妙に高い声のトーンこそ変わっていないものの喋り方は自信に満ちている。立体プロジェクタに映し出される映像の説明も的確だった。
強烈な違和感を覚えた東堀はキリキリと胃が締め上げられていく。押し付けてやった講演はもっと大勢が集まるものの、マヒロのプレゼンテーションは完璧に近く、人数が多少増えたところで揺るぎないものに思えた。
研究者として多くの講演を目にし、自身も話をしたことのある東堀の見立ては正しい。正しいが故に認めたくなかった。
「どうです、大したものでしょう」
「……え、えぇ。そうですね。しかし、戸森は人前で喋るのが極端に苦手だったのでは?」
「学校に来た時はそうでしたね。最初の朝礼なんて緊張して全く声が出なかったみたいです。私も不思議に思って、どうやって上達したのか聞いてみたんですよ」
「ほ、ほぅ…… で、なんと?」
「ハジメさんを真似て、彼女になりきって喋っているそうです。ハジメさんは非常にコミュニケーション能力に長けていますね。AIは人間から学習していくものと思っていましたが、逆に人間がAIから学ぶこともあるのですね。実に興味深い」
言われてみれば確かに似ている。表情というか、仕草というか、纏う雰囲気が忌まわしい人形とソックリだ。
もともとハジメの顔はマヒロに似せてあるせいで、余計に重なって見えた。
(ま、まずい…… このままでは講演をクリアしてしまう……)
表立って狼狽えるわけにはいかず、校長の前ではどうにか堪えた。額に浮かぶ汗をハンカチで拭っていると、前列の席に座っていた女子生徒のひとりが急に背後を振り向く。
それこそ「ぎこちない人間もどき」であるはずの戸森ハジメだった。
東堀と視線が合うと、にこりと笑って会釈してくる。
「ひっ……」
「どうされました、東堀所長?」
「あ、い、いえ…… なんでもありません」
すぐに小窓から身体を離すも、冷や汗が止まらなくなった。
心配する校長を他所に東堀は学校を後にする。頭の中では策を練っていた。
(何か別の手を打たなければ…… 戸森マヒロが決定的に失敗するような手を……)
これまでは苦手分野だから失敗するだろうという楽観的な作戦だった。その楽観が外れたとなっては、確実に失敗させて恥をかかせるしかない。
東堀はこれまでの自分の経験や知識を掘り起こしていく。タクシーを捕まえ、最寄りの宮前駅に向かうように告げると憮然とした態度で腕を組んだ。
駅から学校までは数キロといった距離だが、大きな道路を挟むと雰囲気がガラリと変わる。住宅街の一角からオフィスや商業施設の並んだ街中となるのだ。スーツ姿のサラリーマンがレンタサイクルで移動し、カフェの窓際では大学生くらいの若者たちが楽しそうに会話を繰り広げている。
宮前駅のコンコース階と遊歩道で繋がった先には、問題の講演会が開催されるホテルがあった。東堀はふと、今よりずっと若い頃にやらかした自分の失敗を思い出す。パソコンに気軽に挿せるメモリストレージが普及し始めた頃のことだ。そのときも立派なホテルが会場で、失敗するわけにはいかない発表だった。こうしてタクシーに乗って会場入りし、受付を済ませて主催のパソコンを確認すると……
(そうか)
あのとき、メモリストレージのデータが壊れていた。そのせいで発表資料が無く、東堀は大失敗をしたのである。以後、「バックアップは大切」という教訓を活かして必ず2つ以上のストレージを持ち歩くようになった。現代であればオンラインのサーバーから資料をダウンロードできるが、通信できなくなる可能性まで考慮している。若いマヒロはそこまで考えないだろう。
東堀はタクシーを降りるとスマホを取り出し、ある人物の元へ電話をかけた。
「もしもし。センカギケン中央支部の東堀です。お世話になっております。講演会主催の小沼様につないでもらえますか? ……小沼さん、お久しぶりです。えぇ、実はウチの戸森が提出したプレゼン資料なんですが差し替えたいと本人が言っておりまして…… あ、はい。締切を過ぎていますからルール違反なのは承知しております。私と小沼さんの仲じゃないですか。えぇ、そうです。私の方から差し替え用のファイルを送りますので、どうかこのことはご内密に……」
どれだけ話すのが上手くなろうとも発表資料そのものが無かったらどうにもなるまい。センカギケンのプレゼンテーションでは指定されたテンプレートを使い、ファイルの名前の付け方までルールで決まっている。通し番号と日付と作成者の名前を連ねるというパターンなのだ。
奔放なマヒロだが、厳しく言いつけたおかげでその程度のことなら守っている。だから同じファイル名の壊れたデータを主催者に送り、上書き保存させてしまえば……
(サーバー上にあるオリジナルも壊れたファイルに差し替えておけば、会場で気付いても対応できまい)
所長権限でほぼ全てのデータにアクセスできる東堀ならではの策だった。
ハジメの本体設定を書き換えるよりずっと楽で効率的である。
「くっくっく……」
電話を切ると邪な笑いが漏れてしまった。これで怨敵を葬れる。
あんな小娘に所長の座を与えようとしている利害関係者どもも少しは大人しくなるだろう。
東堀は上機嫌のまま帰宅した。
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