第19話 演じる自分

 放課後のこと。マヒロの抱える悩みは岩崎先生経由で校長に伝わり「戸森博士が練習に使うなら」と校舎から離れた場所にある講堂を貸切にしてくれた。

 古ぼけた見た目の建屋だが立体映像用のプロジェクターが設置されており、プレゼンテーションするにはもってこいの場所だった。

 広い室内にはサトルの他に白衣の少女が二人いる。


(あの校長、なんだかんだで戸森先生には甘いよな……)


「この私にハジメの真似をしろだって? そんな小手先細工で緊張しなくて済むわけがない! もしそうならとっくにやっている! バカにしないでくれ!」


 白衣を大袈裟に翻し、はよく通る声音で叫んだ。眉間にシワを寄せた表情からも相当に怒っているのが分かる。腕組みした姿勢からは断固拒否といったオーラが滲み出ていた。


「で、なんでハジメが戸森先生の真似してんの?」

「マスターに似てたかな?」


 難しい顔からいつもの量産型笑顔に戻り、ハジメは白衣の袖をひらひらさせる。

 声色こそ違うもののイントネーションは完璧にマヒロそのもので、細かい動作のトレースまでこなして本人の雰囲気を纏ったのである。もともと顔の造りは似ているから、成長したマヒロだと言われたら素直に信じてしまいそうだ。

 なお、本物のマヒロは不機嫌な顔でサトルの隣の席に座っている。


「演技力すごいな。本人かと思った」

「私はずっとマスターを見てきたから」


 無機物の視線に有機的な熱が灯ったような……妖しげな色に当てられてサトルは息を呑んだ。さっきの物真似がハジメの本気だったらしい。


「なるほど作戦はわかった」


 組んでいた脚を崩したマヒロは教壇へと向かう。

 入れ違いで戻ってきたハジメが隣に座ると、もうマヒロのコピーではなくなっていた。


「つまり、他人の前で喋るために『キャラ』を作れということだな。その中でもわたしにとってハジメのキャラが取っ付きやすいだろうと。それをこのわたしにやれというんだな?」

「いや、強制はしてないけどさ。岩崎先生はそうやって緊張しないようになったんだって。参考になればと思ったんだよ。その……」


 一泊置いて息を吸った。

 重苦しい空気だったが、跳ね除けなければ話が進まない。


「不愉快なことしちゃっていたら、ごめん。俺なりにどうにかしたいと思ってさ」

「別に、そういうわけじゃない。ただ、その……」

「マスターは恥ずかしがっているんだよ」

「そうなのか?」

「うん。私には分かるよ」

「ハジメ! 余計なことは喋るな!!」


 少し距離はあるが、マヒロの顔が赤くなっているのが分かる。

 いきなりキャラを作れと言われたら照れるのも無理はないか。

 かといって、提案者の岩崎先生を今から呼んで指導してもらうのも大変だ。放課後、先生方は色々と忙しいのである(特別講師のマヒロを除く)。


「そういえば、講演ってどんな内容を話すの?」

「センカギケンの中でわたしが取り組んでいる研究内容とその展望についてだな。利害関係者が大勢やって来るそうだから、失敗するわけにはいかない」

「それって、ハジメがやってる『恋愛支援AI』とも関係しているの?」

「直接的な関係はないさ。あれは政府肝入りの少子化対策として、わたしが提案したものだ。戸森モデルのAIさえあればなんでもできる!とアピールしたら、じゃあ少子化対策してくれと言われてしまってな」

「政府って意外とノリが軽いんだな……」

「ソッチは研究資金をもらうために必要なんだ。で、講演の相手は設備やら躯体の部品やらを試供してもらっている団体の連中だな。向こうもわたしの蓄積したデータが欲しいから協力してくれるわけで、有益でないと判断されたらすぐに手を切られてしまう」

「……そういうモンなの?」

「そういうものさ。誰だって得したいが、損はしたくないだろう」

「……」


 ちくりと胸に刺さるものを感じて話題を打ち切りたくなった。

 こういうとき、ハジメは察知してくれる。少し目線を送ると心得たように頷いた。


「じゃあ、マスターの作った原稿を私が読むから、マスターは私の真似をして喋ってみて!」

「むぅ…… わたしの研究内容をハジメが理解しているとは思えないが」


 マヒロからメモリストレージを受け取ったハジメは壇上へと戻っていく。


「それじゃ、このパソコンに発表資料のファイルをコピーして……っと」


 教壇のパソコンにメモリストレージを差し込み、立体プロジェクタを起動する。大きな音がして天井のレンズから光が伸び、講堂のカーテンが自動で閉じた。

 講堂の空中には先端科学技術研究所のロゴがデカデカと映し出された。


「すごい凝ってるなぁ。本番でもこれを使うの?」

「そうだ。しかし、ロゴがカッコ悪い」

「じゃあ消せばいいのに」

「センカギケン専用のテンプレートを使えとうるさいから、これになっているだけだ。フォントも指定されているし、文字の大きさまで決められている。その上ファイル名まで指定されていてな。堅苦しいったらありゃしない」

「学校指定のジャージみたいなものか」


 ダサくて嫌だけど、使う決まりになっているものの代表格が思い浮かぶ。

 果たしてそれが適当な例えかは置いておき、マヒロが嫌がる気持ちも理解できた。


「もう原稿は完成しているんでしょ?」

「あぁ、そうだ。講演会の主催者にはデータを送ってある。締切が早かったからな」

「じゃあ、あとは読み上げるのさえクリアすればいいってことだな」

「それが難しいからこんなことになっているんだが……」


 頭を抱えるマヒロを尻目に、白衣を着たままのハジメは直角にお辞儀をしてみせた。


「お集まりの皆さん、こんにちは! センカギケン所属の戸森ハジメです! 今日は私の現在の研究内容と、今後の展望についてお話ししたいと思います!」


 キレのある動作に加えて、表情も明るく、滑舌もしっかりしている。

 手の甲に顎を乗せて眺めているマヒロは露骨に顔を曇らせていた。


「真似できそう?」

「難易度が高い…… わたしは1対1でもあんなに明るく喋れないな。というか、あれでは話の仕方が子供っぽい気がするぞ」

「戸森先生は自分が子供だって自覚をもうちょっと持った方がいいと思う」

「ぐぬぬ……」


 立体映像には人間の骸骨に似た形のフレームが表示され、そこからハジメが説明を加えるごとに次々と外装部品が重なっていく。いつしか大多数の人間がイメージする『人型ロボット』の形となり、今度は頭部へとズームインした。

 ハジメの喋っていることは時折、高度な専門用語が混ざるものの素人のサトルが聞いていても理解できる。そういうレベルで話してくれているのだろう。


(運動機能を司る部分と、感情的な情報処理する部分を敢えて切り分けずに統合的にコントロールすることで自身の身体に対して、より人間に近い反応を……)


 聞き取り易いから、耳に入ってきた内容を反芻できる。

 それと同時にマヒロがどれだけすごい研究をしているのかが伝わってきた。単に人間型の躯体に頭脳を付与しただけではない。五感以上のセンサは搭載せず、リミッターを与えて人間の限界に留めた能力で、あらゆる情報を受領してヒトをシミュレートする……


(戸森先生は人間を造りたかったんだ)


 教壇でイキイキと喋るハジメを目の当たりにして、既にマヒロの研究は完成しているのではないかとも思えた。

 学校の誰もが彼女が機械であることに気付いていない。それだけハジメという存在は人間に近い。これは驚異的なことである。


「ねぇ、戸森先生」

「なんだ?」


 小さく話しかけると、マヒロは耳を近づけてきた。


「戸森先生が一生懸命、研究しているのってハジメのため?」

「どうしてそう思うんだ?」

「だってこの発表、ハジメの名前は出てこないけど、ずっとハジメのこと自慢してるみたいだから」

「ふん。当たり前だろ。ハジメは私の最高傑作だからな……って、なんで落ち込んでいるんだ?」

「別に落ち込んでなんかいないよ」

「そうか? 妙にしんみりしているように見えたが……」


 頭の片隅がズキっと痛んだ。サトルの内側に過去の声が響く。娘を自慢するマヒロとは真逆の、侮蔑を含んだ言葉だった。


『あんたはよ』


 エコーがかかって音が歪む。忘れかけていたことだろうと自分に言い聞かせて、記憶を上書きしていく。けれど染みのようにじんわりと滲み出てきて完全に消すことはできない。


「お、おい…… 大丈夫か?」

「戸森先生に心配されちまうなんてな」


 この感情を、どんな言葉だったらうまく伝えられるだろう。

 どうやっても浮かんでこない。今までもそうだし、これから先もずっとそうだろう。

 負のスパイラルに陥った心を立て直そうとサトルはいつもの力無い目で自嘲する。


「なんでもないんだ。なんでもない」

「変なサトル」

「そうだな、変だな。そういう戸森先生も変な顔してるけど?」


 怒っているような、しかしどこか愉快そうな、どちらともいえない表情でマヒロは前を見ている。


「これは実に悔しいな」

「ハジメが上手だから?」

「わたしが書いた原稿なんだ。確かにハジメには中身を見せたことがあるし、目の前で何度か練習もした。それだけなのに上手過ぎる。わたしより全然うまい」

「いっそ、ハジメに身代わりになってもらう…… なんてどう?」

「却下だ」


 一蹴されてしまったが、その反応はサトルにとって嬉しいものだった。

 外から見ても分かる。ハジメに触発されて、マヒロの闘志に火が付いていた。

 講演が終わると二人で精一杯の拍手を送る。

 それからマヒロは前へと進む。足取りは力強かった。


「いいだろう! 演じてみせようじゃないか! わたしの原稿で、わたし以上にうまくやったハジメみたいにな!」

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