第18話 進路ではない相談

「珍しいわね、大塚くんの方から『相談したい』なんて。もしかして就職先の希望が決まったの?」


 昼休みに担任の岩崎先生を呼び止めたサトルは約束を取り付けていた。

 相談したいことがあると伝え、快諾してもらったのである。

 ただし、進路相談室は埋まっていた。岩崎先生は屋上の鍵を持ってきて、なんとも珍しい場所で話すことになる。屋外で晴れていて風も気持ちいいし、他の誰かに聞かれる心配もなかったので逆に良かった。


「まだです。そもそも就職の話じゃないんです」

「もしかして進学したくなったの?」

「そもそも俺のことじゃないので」

「あら。それなら何を相談したいのかしら?」

「緊張せずに人前で喋る方法があれば教えて欲しいんです。先生なら知っているかと思って」


 至って真面目な質問である。勿論、サトル自身のためではない。

 午前中の授業中に考えてはみたものの、マヒロが抱える問題は解決できそうにないと感じていた。サトルも目立つのが嫌いで人前で喋りたいとも思わない。だからそういう機会は避けてきたのだ。

 一方のマヒロは避けられる状況ではなく、追い詰められている。逃げられる自分とはまるで立場が違うし、抱えているものの重みなんて比較するまでもない。

 的確なアドバイスが得られる人物として思い当たるのは、授業があって普段から人前で喋っている岩崎先生だった。この点においては校長先生の方が得意分野かもしれないが、流石に一介の生徒がいきなり話しかけるのは躊躇われる。


「私なりの方法はあるけど、誰にでも適用できるわけじゃないわ。緊張する理由って人それぞれだから、そもそもの原因から突き止めないとね」

「それでも、知っている方法を教えて欲しいんです。参考にしますから」

「教えてあげるけど、その前に話してくれる? 担任としての興味なの」

「俺に話せることなら」

「珍しく一生懸命な理由を教えて欲しいわ。こう言うと怒られちゃうかもしれないけど、大塚くんって何事にも冷めているように見えたから」

「俺、そんなに一生懸命に見えます?」

「担任教師を昼休みに呼び出すなんて、そうそう無いと思うわ」


 指摘されて急に恥ずかしさが込み上がった。そう言われれば自分でも変だなと思う。昨日からずっと、マヒロのことばかり考えている。


「……お節介かもしれないけど、人助けをしたくて。困っている人がいるんです」 

「なるほど。とても良いことだわ」

「俺だと何も思い付かないんです。スピーチとか、発表とか、そういうのまともにやったことないし」

「そうねぇ。舞台で演技をするときの有名なアドバイスに『観客をカボチャだと思え』ってあるの」


 それは聞いたことがある。集まったものが人間だと思わなければ人目を気にしなくていい。

 一理あるが、果たしてマヒロにそれができるだろうか?


「岩崎先生の場合はどうしているんです?」

「私? 私の場合は、自分のことを女優だと思い込んでいるわ」


 意外な答えに開口してしまったが、白状した岩崎先生はというと不敵に笑いながら屋上の金網に背を預ける。


「先生になりたての頃は生徒の前で緊張した。教科書を読み上げるだけでも舌を噛んで笑われたりもした。このままじゃ上手くいかない。だから割り切ったの。教壇でのこれは演技で、大勢に見られても恥ずかしくない。本当の自分はこんなじゃない……って言い聞かせているの。そうしているうちに段々と慣れて『先生モード』を取得した」

「えっと、つまり…… キャラを作るってことですか?」

「そう。もう一人の自分にお任せって感じ」

「先生、いつもと口調違くないですかね……」

「ちょっとだけ『先生モード』を解除したからね」


 もともと綺麗な人だと認識していたが、こうして二人きりになってみるとより輝いているように見えた。普段よりも少し砕けた印象に親しみを感じる。

 そんな気の緩みが伝わってしまったのか、岩崎先生は普段なら絶対にしない意地悪そうな笑みを浮かべていた。


「ねぇ、大塚くん。その困っている人って戸森博士かしら?」

「あ、いや…… その……」

「図星ね。昨日の授業中に倒れたから私も心配だったわ。職員室では隣の席だし『帰ったあと大丈夫?』って聞いてみたの。そしたら『サトルがご飯作ってくれたから大丈夫』なんて嬉しそうに言うんだもの」


(そういうこと、普通は喋らないだろ!? 面倒なことになったらどうしてくれるんだよ!?)


 特別講師の家に上がり込んで食事を作ったなんて話が広まったらどうするべきだろう?

 ただでさえ、ハジメに付き纏われて注目を浴びているのだ。これ以上の根も歯もない噂なんて真っ平だった。ちょっと想像しただけで胃が痛くなる。


「心配しなくても私が口止めしておいたわ。そういうことは迂闊に喋らないほうがいいですよ、ってね。不思議そうに首を捻っていたけど」

「助かります……」

「従姉妹のハジメさんと大塚くんが付き添って面倒みてくれたみたいね。失礼なのは承知だけど、戸森先生は年齢的にはまだ子供だから色々危なっかしくて」

「ズボラなんですよ、あの先生」

「そうかもね。でも、そうところが魅力になる人間もいるのよ」

「はぁ、そうでしょうか」

「最近は無理しているのが目に見えて分かったわ。苦手なスピーチしなくちゃいけないって悩んでいたけど、今日はスッキリとした顔をしていた」


 そう見えても実際は問題を抱えたままだ。

 スピーチの原稿はできていると豪語したが、それを人前で読み上げる必要がある。

 岩崎先生に相談した本来の目的に立ち戻ってみた。一応の回答は示してもらえたと思う。


(キャラ作りか……)


 サトル自身にも思うところはある。

 誰かを演じるということ。その行為に対して、思うところはあるのだ。

 いや、誰もがそうしている筈だ。自分そのままを出せる人間なんてそうそういない。


(俺だって、本当は)


 おそらく、数少ない例外である戸森マヒロ。

 今朝の笑顔を思い出してみる。彼女は自分を上書きできるような器用さを持ち合わせているだろうか?

 こうなりたいとか、あぁしたいとか、拙くも演じることなんて……


「あ」

「どうしたの、大塚くん?」

「いえ。解決方法がふと思い付いたものでして」

「役に立ったかしら?」

「はい。ありがとうございました」


 深々と頭を下げて屋上を後にすると、早速マヒロを探すことにした。

 彼女に演じられそうなキャラクターは存在する。

 おそらく1番マヒロに近しく、マヒロ自身が出自に関係し、大きな影響を与えてきた人物だ。そいつは人前で喋るなんてお手のものである。


(ハジメを真似して演じれば、渡守先生も緊張せず喋れるかも!)

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