第17話 新しい朝

「昨晩は変わったことがあったみたいだね」


 朝7時、大塚家の食卓にはいつも通りだった。

 祖父と二人きりで食事中はテレビを付けない。窓の外からは朝の喧騒が聞こえてきて、会話よりも賑やかなくらいだ。

 味噌汁の入ったお椀を片手に、サトルはしばしの間だけ固まる。

 確かに変わったことがあった。一度、家に戻ってきたので祖父にも事情は説明している。


「あ、うん。変わったこと……かな」

「倒れたお友達は大丈夫なのかい?」

「もともと元気の塊みたいな奴だよ。最近は忙しくて無理してて、ちゃんと食って寝てないから倒れただけ」

「そうか。だから気にしていたんだね」

「だからって、どういう意味?」

「前のサトルと同じ」

「……そうかもね」

「友達に共感できるのはいいことだよ。サトルはずっと独りだから、心配だったんだ」

「そう? そうかな。そうでもないよ」

「なら、いいけど」

「じいちゃん、コーヒーでも飲む?」

「もらおうかな」


 インスタントコーヒーを淹れて、自分の分には砂糖をたっぷりと注いだ。

 早起きの祖父に合わせているから時間に余裕はある。


(あとは洗濯物干して、食器洗って……)


 ピンポーン。

 朝の予定を頭の中で確認していると、呼び鈴が鳴った。


「誰だろう?」


 新聞に目を通していた祖父が首をひねる。

 こんな時間から大塚家を訪ねる人間なんていない筈だ。


(嫌な予感がする)


 ピンポーン、ピンポーン、ピンピンピンピンピンポーン!

 やかましい連射が始まり、たまらず玄関まで走った。

 ドアを開けると一部は予想通りであり、残りの部分は予想外の光景が広がっている。

 背が15センチほど縮んで、やたら明るい様子のハジメが立っていたのだ。寝惚けてなどいないが目を擦ってみる。顔立ちは確かにハジメだが、年齢も6歳ほど下がったように見えた。


「おはよう!」

「ハジメ? 縮む機能なんてあったのか?」

「いくらなんでも失礼だろ!! わたしだ!! 戸森マヒロだ!!」

「……戸森先生?」


 確かに独特の鼻声だ。白衣(おろしたてなのか綺麗だった)にグレーのトレーナーという格好もマヒロのものである。

 しかし、髪の毛がクシャクシャではなく梳かしてある。肩口まで伸びた艶やかな黒髪だ。

 血色も良くて目の下にクマもなく、肌もハリがあって綺麗だ。


「臭くないし、俺の知ってる戸森先生とだいぶ違うんだが」

「言い草が酷すぎるぞ!?」

「おはよう、大塚くん」

「あ、おはよう」

「なんでハジメにはちゃんと挨拶を返すんだ!?」


 門柱の影に隠れていたハジメが姿を現すと、ようやく目の前の小柄な少女がマヒロなんだと実感が湧く。


「それにしても似てる。ちゃんと姉妹に見える」

「私の外見はマスターに似せて作られているから」

「あぁ、自分に似せたのか。それにしてはよな」

とか言うな! マヒロはわたしの理想を追求して作っただけだ! 似たのはたまたまだ!」


 天才少女のマヒロでも成長願望とか変身願望を持っているのかもしれない。年齢よりも幼い外見がコンプレックスだとしたら、なんとも微笑ましいものだ。


「サトル、何を考えている?」

「なんでもない」


 深堀は避けたくて視線をハジメに送る。

 よくできたAIは察知してくれたのか、あるいは当て擦るためか状況を補足してくれる。


「お風呂入ってご飯食べて寝たから完全回復したみたいなの」

「RPGのキャラかよ。単純な身体の作りしてるなぁ」

「強いんだよ。それにマスターは、元々かわいいよ?」

「わかった。ズボラで台無しになってたってことにしておく」

「いちいちうるさい! せっかく迎えにきてやったんだ! 文句を言わずに学校へ行くぞ!」

「サトル? 誰が来たんだ?」


 玄関で騒いでいると作業着に着替えた祖父が顔を出す。マヒロとハジメの姿を見て軽く驚いたようだった。


「えっと…… クラスメイトの戸森ハジメさんと、学校の特別講師の戸森マヒロ博士」

「「はじめまして」」


 二人揃ってお辞儀すると、祖父はなぜか妙に嬉しそうな顔をした。

 それから軽く自己紹介をして「邪魔しないようにもう出る」と足早に出社してしまった。


「珍しく焦ってたな、じいちゃん」

「……見覚えのある作業着だったな」

「え?」

「いや、なんでもない、急にお邪魔して悪いことをしたな」

「一応はその自覚あるんだな、戸森先生。そういや、講演の方は大丈夫なの?」

「昨日倒れて今日の朝でどうにかなっているわけないだろう!」

「ダメじゃん」

「原稿自体はほぼ完成しているぞ! 大勢の前で話すのがダメなだけだ!」

「偉そうなのはさておき…… 俺やハジメと喋る分にはぜんぜん問題ないのに、なんで人前に出ると緊張するんだろうな」

「当然だろう!? みんなに見られているんだぞ。気にならない方がおかしい。サトルだってみんなの前で喋るのは緊張するだろう?」

「いや、俺は別に。つーか、そんな機会無いし」

「ぐぬぬ…… ならいっそわたしの代わりに講演に出てくれ! コーラやるから!」

「要らないよ。それに、俺が戸森先生の代わりになるわけないだろ。天才でもなんでもないんだから」


 なぜかマヒロはしょげかえってしまった。一体、どこに引っかかったのか考えてみても思い当たる節がない。

 そんなしばしの沈黙を破ったのはハジメである。


「大塚くん、マスター。のんびりしてると遅刻するよ?」

「やばっ!?」


 気付けばいつも家を出る時間になっている。

 サトルは慌てて支度をし、三人で走って学校を目指した。

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