第15話 頑張れない人

 マヒロを背負って先端科学技術研究所・宮前支部まで送り、すぐに自宅へ帰った。

 鍋や包丁、まな板を持ち出すのを目撃した祖父は「あまり遅くならないように」と軽く注意してきただけ。夕飯の用意を休んでも文句を言わないのがありがたい。

 食材を買い終えて戻ると、マヒロは研究室のソファで横になっていた。乱雑に乗っていた書籍はそのまま別のテーブルに移動されていて、ハジメがやったのだろうと予想口できる。本当に疲弊しているようで、気力も体力も尽きている様子だ。やはり保健室でのやり取りは強がりだったのだろう。


「台所、借りるぞ」

「……」


 マヒロから拒否されなかったので台所を借りる。

 正確には給湯室で調理場とは言えなかった。しかし、流し台とガスコンロがあるだけで十分である。古ぼけた電子レンジもあったが、中を覗いてみると吹きこぼれがそのままになって汚れていた。持ってきた布巾で汚れを落としておく。

 食器類を確認してみると流し台の下でスプーンやフォーク、それに皿を見つけた。他には、ごく栓抜きも置いてある。


(普通の栓抜きがあるなら、わざわざあんな形の物理キーにしなくてもいいのにな)


 スプーンとフォークと皿は取り出すが、栓抜きは流し台の下に戻しておいた。


「私に手伝えることある?」


 いざ調理に入り、包丁を手にしていると狭い給湯室にハジメが入ってきた。


「料理したことあるのか?」

「ないよ。でも見ればできると思う」

「ハジメの躯体はネットに接続できないんだろ。戸森先生はスタンドアローンだって言ってたし。どうやって調理方法を検索するんだ? スマホでも持ってるの?」


 てっきり、動画サイトでも参考するのかと思ったがハジメは首を傾げている。


「ネットワーク接続は要らないよ。大塚くんのを見ればいいから」

「あ、それもそうか」

「私、ちゃんと手伝えるよ」

「本当に大丈夫?」

「うん。私はマスターを助けられる。手伝いだってできる。大丈夫!」


 いつになくハジメの語調が強い。それとは反対に表情には僅かな翳りが見える。

 その心意気を無碍にしたくなかった。


「じゃあ、汚れても平気な服に着替えるかエプロン付けてくれ。制服汚したら面倒だろ」

「わかった!」


 飛び出して行ったハジメが戻ってくるのに30秒とかかっていない。

 どこから持ってきたのかマヒロと同じ白衣を着ていた。確かに汚れても大丈夫かもしれない。ツッコミを入れたい気持ちは抑えて、野菜を洗って切るところからレクチャする。

 AIだけあってハジメの学習能力は高く、ニンジンの皮を剥いて切ったのを見せただけで包丁の使い方を覚えてしまった。あとは指示するだけでその通りにカットしてくれて、逆にサトルの方がやることが無くなる。


「タマネギを切っても目に染みないのはAI特有の強みだよな」

「そうかなぁ」

「汁が飛ぶのが原因なんだ。繊維を潰さないようにうまく切れば大丈夫らしいんだけど」

「大塚くんはすごいよね。ちゃんとお料理できて、いろいろなことを知ってる」

「たまたま俺に向いてただけだよ」

「どうしてお料理しようと思ったの?」

「さぁ。忘れちゃったな。そういうお前こそ……」

「ハジメ」

「え?」

「ちゃんと、名前で呼んで。その方が嬉しいの。大塚くん、たまに名前で呼んでくれるけどいつもは『あいつ』とか『お前』だから」

「……悪かったよ。ハジメは、戸森先生のことが好きなんだな」

「うん、大好き。でも届かない」


 包丁を持つ手が止まり、虚な目を向けてくる。

 教室で振り撒く笑顔が嘘のようだった。


(まずいこと言っちゃったかな)


 AIどころか普通の女の子の感性ですらサトルにとっては未知のものだった。ゾッとしているとハジメはいつもの様子に戻る。暗い色からいつの間にか明るい色に切り替わるグラデーションのように。


「マスターは私の全てだもの」

「そっか。あと、危ないから包丁は握り締めたままにするな。こっちに向けるな」

「うん」


 ハジメの答えに思うところはあったが、それ以上の追求はしなかった。

 サトルは野菜とコンソメを鍋に入れ、ガスコンロに火を付ける。

 しゃがんで鍋と青い火の距離を確認していると、ハジメも同じようにしゃがんで視線の高さを合わせてきた。


「そういう大塚くんはどうして、マスターのことを気にかけるの?」

「俺? 別に気にかけてないぞ」

「嘘」

「……就職のためだよ。協力すれば就職先を紹介してくれるって約束だろ」

「それも嘘」


 圧が強かった。

 言葉での否定をすっかり見抜かれてしまっている。腕力で立ち向かえないことは何度も実証されていたから、ため息混じりに答えた。


「似てるんだよ。俺と」

「マスターが? ぜんぜん似てないよ。マスターは大塚くんと違ってかわいいよ」

「顔じゃない。やっていることが似てる。言っておくけど研究とか、そういう立派なことじゃないぞ」

「じゃあ、何が似てるの?」

「無理しちまうところ」


 果たして意味が通じただろうか。通じるわけはないのだが、この聡いAIは心の内側ですらスキャンしてきそうだった。ハジメは「もっと詳しく」とせがんでくる。

 鍋からうっすらと湯気が立ち上がった。覗き込むと野菜が煮えている。おたまでかき回しながらサトルは続けた。


「俺さ、中学受験に失敗したんだ。とにかく勉強して、勉強して、結果を出さなくちゃって追い詰められて。眠れないし、食べられないし、試験の二日前に血を吐いて倒れた。当日は病院のベッドで天井眺めてたよ。ストレス性の胃潰瘍が原因だった。今でもプレッシャー感じると腹が痛くなるよ」

「……」

「それから…… いや、それだけ。やり過ぎで体調崩して本番がダメになったら目も当てられない。だから寝て、食って、万全で挑まないと」


 さらに煮立たせた。火が通ればそれだけ柔らかくなる。食べ易いし、多めに作っておけば温めてまたすぐに食べられる。

 さっきからハジメが黙っているのが不思議だった。鍋とサトルを交互に見ている。


「だから、マスターには同じ失敗してほしくない?」

「そういうこと。お節介って言いたんだろ」

「違うかな。でもマスターが困っても、大塚くんが困るわけじゃないよ」

「そうだな。そうだけどさ」


 ガスコンロの火を止めて、皿を用意する。

 辺りには美味しそうな匂いが漂っていた。

 その匂いはハジメの嗅覚センサにも届いているだろうか。


「戸森先生はすごいよ。人間そっくりのAI作ってさ、色々なこと知ってて、大勢の前以外だけど堂々としている。そんなすげぇ人が頑張っているのを見て応援したくなったんた。俺はもう頑張れない人間だから」

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