第14話 マヒロを世話し隊
「うっ……」
ぼんやりとした視野が像を結ぶと、知らない天井が目に入ってきた。カーテンレールに囲まれていて、すぐに保健室だと気付く。記憶の糸を辿れば迫り来る体育倉庫の床が浮かんだ。
(わたしは倒れたのか)
上体を起こすと頭が痛んだ。手を当てると包帯が巻かれている。その下にはコブができているようだ。天才的な頭脳といえどケガには勝てず、思考が鈍っている。
「マスター、お目覚めですか?」
カーテンの向こうからハジメが入ってくる。
相変わらずの笑顔だ。こういうときは心配そうな顔をしたほうがいい、と教えるべきだろうか。
(余計な口出しはしない。ハジメのAIがさらに学習すれば、より人間らしく振る舞える)
憮然と口を結んで「他に誰かいるか?」とだけ尋ねる。
「俺もいるよ」
マヒロの最高傑作の後ろからヒョッコリ現れたのは、そのターゲットである大塚サトルである。やる気なさそうな、パッとしない青年で印象は良くない。ただし「もっともしょぼくれたクラスメイトに恋人を作れ」と命じたのはマヒロ自身である。
ハジメのAIが判断したのだから、選択そのものに文句は言うまい。
「私、保健の先生を呼んでくるね。マスターが目を覚ましたら声をかけて、って言ってたから」
「あぁ、頼む」
パタパタと足音が遠去かり、ハジメが保健室から出ていく。
こうしてサトルとマヒロが二人きりになった。
「聞いたよ。講演の準備で苦労してるんだって?」
「全然そんなことない」
「ろくに寝てないし、そもそもちゃんと食べてないってハジメが言ってたぞ」
「サトルには関係ないことだ。これはわたしの問題だからな」
「関係あるぞ。戸森先生が倒れたらハジメをどうすればいい?」
「なんでハジメの心配をしているんだ」
「転校初日みたいに暴走したら止めようがない。それとも、この栓抜きみたいな鍵を貸してくれるの?」
「あっ!? 返せ!!」
「わっ……!? いきなり飛び掛かってくるな! 返す! 返すって!」
白衣は脱がされていたし、アクセサリーであるストラップ付き栓抜きも取り上げられていた。しかし後者は手放してはいけない。サトルの手から取り返して、慌てて首から下げる。非常停止用の物理キーを他人に貸すつもりなんて元々ないのだ。
「単純な疑問なんだけど、その鍵ってハジメのうなじに刺して止めてたよね。近づけなかったらどうするつもり?」
「そのくらい想定している。ハジメの躯体は外部と通信できない仕様だが、この物理キーだけは例外だ。持ち手にボタンが付いていて、押せば一時停止信号が出る。身動き取れなくなれば物理キーを挿して緊急停止だ。サトルだってその場面を見ただろう」
「受信機が壊れたり、鍵穴が潰れたりしたら?」
「物理キーをハジメに触れさせればいい。人工皮膚に所定のパルスを流して、同じように一時停止できる。この仕様のせいでハジメ本人はキーに触れないがな」
「じゃあ、鍵を無くしたら?」
「心配性だな」
「だって、ハジメに追い回されたことあるし」
「それもそうか。一応、手はあるぞ」
「どんな?」
「緊急停止ワードがある。ただし、それを使うとハジメのシステムそのものを根本から破壊してしまうんだ。音声入力……つまり、わたしが特定の言葉をかけるだけでいい。演算回路に強制的な計算を繰り返させてダウンさせる裏技だからな」
「破壊って……」
「ふん。そんな物騒な手は使う必要はない。天才のわたしが造ったんだ。ハジメは誰よりも人間らしいAIだから余計な心配なんてするな」
果たして大塚サトルの心配の種は取り除けたのだろうか。未だ釈然としない様子でいる。
しばらくの間、気まずい沈黙が流れるとタイミングよくハジメが戻ってくる。
「保健の先生、もう少しで戻ってきてくれるよ」
「そっか、ご苦労さん」
「待つ必要なんてない。わたしはもう大丈夫だ」
鼻を鳴らしてベッドから降りるも、やはりフラついていた。
慌てて支えに入ったサトルは顔を顰める。
「まだ無理しないで!」
「うるさい。大丈夫だと言っただろう」
「ねぇ、戸森先生。ちゃんと風呂、入ってる?」
「入ったぞ。三日くらい前だったかな」
「さっき保健室まで運んだときは慌ててたから気にならなかったけど、戸森先生の身体すごく臭い」
「なっ…… わたしが臭いだと!? 断じてそんなことはない。ハジメもそう思うだろ!?」
「うーん、嗅覚センサの数値から一般的な判断を下すと臭いですマスター」
「一般論はどうでもいい! ハジメ自身はどう思う!?」
「臭いです」
「うわああああぁああっんんんん!!」
ショックを受けてベッドの上に戻り、布団を頭から被って嗚咽を漏らす。研究以外のことなんてどうでもいいと考えていても、直に「臭い」と言われれば流石のマヒロでも傷つく。
「保健の先生は『ちゃんと寝てちゃんと食べれば治る』って言われてるから。研究所に帰ったらちゃんと休んでくださいよ」
「そういえば、おじいさんの夕食の準備はいいの? もう夕方だよ」
「じいちゃんにはさっき電話したよ。『友達が倒れて付き添わなきゃいけないから夕飯は適当に済ませてくれ』って」
「マスターのことは友達扱い?」
「あんまり先生って感じじゃないし」
「それもそうね」
「こらこらっ! さっきから言いたい放題して! わたしをなんだと思って……」
マヒロは興奮して起き上がるも、すぐさまダウンしてしまう。本格的に弱っているようだ。
その様子を目の当たりにしたサトルは大きく溜息を吐く。
「まだフラフラしてるじゃないか。もう少し休んだほうがいい」
「ひ、必要ない。研究所に戻って、さっさと講演の準備なんて終わらせる。こんな雑事にわたしの貴重な時間を浪費し続けるのは懲り懲りだからな」
「……いいから休んで。無理したら本来の実力なんて発揮できないんだ」
いつになくサトルが真剣だった。
ちょっと目を合わせばすぐに逸せる癖も見せない。
「わたしはいつだって100%の力で戦えるぞ」
息巻いてみたものの、既にパフォーマンスは半分以下になっている。失態を目の当たりにされてしまっては全く説得力のない台詞だった。
「はぁ…… それならハジメに聞く。戸森先生が無理しないように面倒を見られる?」
「無理かな。私はマスターに進言できる立場じゃないもの」
当然の反応である。ハジメは自律していて人格を有するが、あくまでAIであり機械だ。原則的に産みの親であるマヒロの意向には逆らわない。
逡巡したサトルは渋々といった様子で口を開く。
「じゃあ、帰りも付き添うよ。栄養のあるモン食べて、風呂入って、ちゃんと寝てもらうから」
「さっきからなんなんだ!? 妙に突っかかってきて!」
「……別に、突っかかってませんって。戸森先生が倒れたらハジメだけが残って、とてつもなく面倒臭そうだから手を打っているだけ」
「ま、まさかわたしと一緒に風呂に入るつもりか!? そういうスケベ心なんだな!?」
スタイル抜群のハジメ相手にムラムラするならともかく、よもや自分の貧弱ボディがターゲットになるなんて想像もしていなかった。
このままでは貞操の危機だと慌てふためいていると、底冷えするようなサトルの視線に捉えられて動けなくなる。
「ハジメって水に濡れても平気なのか?」
「うん。完全防水だよ」
「じゃあ、研究所に戻ったら戸森先生を風呂に入れてやってくれ。要らん誤解を招いているみたいだし」
「わかった!」
「こっちで食べるものでも用意するよ。調理場ってあるのか?」
「給湯室にガスコンロと流し台があるよ」
「包丁とかまな板とか調味料は?」
「ない!」
「じゃあ、家に取りに帰るわ」
「おい! 勝手に話を進めるな!」
「じゃあ、作戦開始」
「おーっ!」
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