第12話 ラムネの味と招待状
「ただいま戻りました、マスター」
先端科学技術研究所・宮前支部に戻ってきたハジメは、すぐさまメンテナンスルームに入った。マスターたるマヒロはだらしなく椅子の上であぐらをかき、ポテトチップスをバリバリと貪っている。首から下げた栓抜きそっくりの物理キーで3本目のコーラの王冠を開けて一気に飲み干した。
「よく戻った。メンテナンスするから、横になってくれ」
「服は脱いだほうがいいですか?」
「そうしてくれ」
セーラー服の裾をたくし上げて、スカートのホックを外して床に落とす。下着姿になったところでマヒロが眉を顰める。視線は胸元のあたりを捉えて離さない。
「どうしたんですか?」
「……いや、なんでもない」
「?」
マヒロが咳払いしたので敢えて追求はせずメンテナンスベッドの上で横になる。医者の触診と同じ要領で異常がないか確認してもらった。それから、うなじの辺りに備えたポートへ次々とプラグが刺され、その度にむず痒いパルスが走った。
「ふむふむ……」
モバイルPCとプラグを接続したマヒロは画面との睨めっこを始める。こうなってしまうと話しかけても生返事となるのだ。それをよく知るハジメは、横目で主の顔を眺める。
ディスプレイの光が瞳に反射し、燃えているような彩りを加えていた。キーを叩く指は静かながら正確で、集中力の高まりが伝わってくる。
「味覚センサに入力がある。何か食べたか?」
「ラムネを一粒、食べました」
「どうして?」
「デートの練習に必要でした。控えるべきだったでしょうか?」
「まぁ、ごく少量であれば問題ない。しかし、その身体は人間の食事ができるように造られていないから注意してくれ。消化器官は無いし、味覚センサはそもそも食事を想定したものじゃない」
「人間は普通、ラムネを食べると『甘い』と感じるんですよね」
「そうだな」
「私も味は感じました。でも感情が動きません。バグでしょうか」
「ハジメは極めて高度に人格をシミュレートしている。だから入力信号に対して『こういう出力をするだろう』という予測もできる。その不一致が違和感を生んでいるんだ」
カタカタとリズミカルな音が続く。マヒロの視線は釘付けのままだ。
ハジメは天井を見上げた。センカギケンの建物は名前負けしていて古い。照明にLEDが使われているのが意外だった。
「何を考えているんだ、ハジメ」
「私は何を欲しがっているのでしょうか」
放課後、大塚サトルの恋愛支援のためにデートの練習をしたこと。そのときスーパーマーケットへ行ったこと。食玩をプレゼントされたこと。順に、淡々と説明していく。
「なるほど、欲しいものを聞かれたときに答えられなかったのか」
「はい。大塚くんはそれを不思議がっていました」
「今、わたしが同じ質問をしたらどんな風に答える?」
「私はマスターの関心が欲しいです。私に関心を持って欲しいです」
「関心も何も、わたしはハジメの研究にかかりっきりじゃないか」
「おっしゃるとおりですね」
「サトルから貰えるものがないから思いつかなかったんだろうな。ハジメはあいつから貰いたいものなんて無いだろ?」
「そう……ですね」
「今日の分のデータは吸い出した。やれやれ、スタンドアローン仕様だと同期が面倒だが仕方ない。いちいちメンテナンスベッドで接続しないといけないからな」
「この躯体には通信機能を付けないのですか?」
「外部からの通信でハジメがハッキングされたら大変だ。そういう危険性を可能な限り排除してある。まぁ、万が一の事態に備えて緊急停止用の物理キーと緊急停止ワード設定があるからな。不慮の事態に陥ったらわたしが止めてやる。心配しなくていい」
「そうですね」
「これでメンテナンスは終わりだ。異常なし。服を着るんだ」
そそくさと服を拾い上げて身に付けていると、マヒロは大きな欠伸をして肩を鳴らした。相当、凝っているらしい。
「大塚くん、マスターがお菓子ばかり食べていることを言い当ててましたよ」
「ん? あぁ、そんなイメージを持たれていたのか。失礼な奴だな」
「でもお菓子ばかりですよね」
「仕方ないだろう。わたしは料理ができないし、センカギケンにはコックを雇う余裕なんて無いんだからな。近くにコンビニがあるから弁当だって買えるし問題ない」
「私が作りましょうか?」
「ハジメが? ダメだ、ダメ。超高性能人型自律AIにそんなつまんないことなんかさせるわけにはいかない。それに味覚センサはとりあえず付いているだけなんだ。料理なんてできるわけがない」
「では、大塚くんにお願いして作ってもらうのはどうでしょう? おじいさんの食事の面倒を見ているそうです。今日は肉じゃがの材料を買っていました」
「あいつ、料理するのか。そんな風には見えなかった」
少しだけ感心してマヒロの声のトーンが上がった。
「お願いすれば作って……」
そこまで言いかけたが台詞を中断し、ハジメは入り口の方を向いた。つられてマヒロも同じ方を見る。廊下から几帳面な靴音が響いてきた。
入ってきたのは禿げ上がった頭の壮年のスーツ男である。痩せこけていて見るからに不健康だが、目の奥の光はやたらと強い。
「失礼するよ。インターホンが壊れていたようでね」
「……こんな時間に何か用か、東堀所長」
3倍は年齢差がある相手でもマヒロはタメ口だった。露骨に嫌な顔をして取り繕う様子もない。一応、立場上は上司に当たる人物である。非礼に対して東堀所長が頬を引き攣らせていると、ハジメは丁寧なお辞儀をした。
「こんばんは、東堀所長。遠いところをお疲れ様です」
「ふん、よくできた人形だな。流石は戸森モデルのAIを搭載しているだけある」
「わたしは忙しいんだ。用事があるならメールか電話で済むだろう。なんでわざわざ来たんだ?」
「相変わらずだな、戸森くん。まぁ、いい。今日はキミの予算外の経費申請や、スポンサーへの成果反故に文句を言いに来たわけじゃない」
東堀所長は内ポケットから一通の手紙を取り出し、マヒロに渡してくる。
紙は分厚く、書かれている文字は達筆だった。単なる連絡ではなく凝っている。
内容は招待状だった。
「なんだこれ?」
「キミ宛ての招待状だ。返事を聞く前にハッキリと言っておくが、必ず参加してもらう。先方からのご指名だからな」
「待て待て。何度も言うが、わたしは忙しいんだぞ」
「そんな言い訳が通用しない相手なのだよ。センカギケンに出資している企業が多数参加するパーティでね。是非ともキミに講演して欲しいとの要望なんだ。話してほしいテーマも決まっている。原稿を準備したまえ」
「ぱ、パーティって人がたくさん集まるんだろ? わたしはゴメンだ。どうしても喋って欲しいなら予め録画しておくか、オンライン会議形式で……」
「あのね、戸森くん。先方からの要望だと言っただろう? キミの人形のパーツを試供してくれるメーカー、試験機材を提供してくれる団体、そういった利害関係者たちの集まりなんだよ。断れば大事なお人形の維持にも関わるんじゃないかね?」
チラッとハジメに目を向け、東堀所長は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
マヒロは間違いなく天才である。しかし、それは研究という一分野においてだ。こういう時にどう切り返せばいいか思い付かない。
一方で人生経験で勝る東堀所長は彼女の弱点もちゃんと把握している様子だ。
「ふん! いいだろう。講演くらいワケもない!」
招待状をひったくったマヒロは息巻くが、内心では嫌で嫌で仕方なかった。
売り言葉に買い言葉。挑発に乗って講演を受けてしまい、後悔で震えている。そんな様子を隠すべく、大股でメンテナンスルームから出て行く。
「どこへ行くのかね、戸森くん」
「食事だ! 腹が減ったからな!」
「そうか。では、私は所内を見学させてもらおう。せっかく足を運んだのだ」
「勝手にどうぞ!!」
残された東堀所長は口端を持ち上げ、「しめた」と笑う。
電源が入ったままのマヒロのモバイルPCへ手を伸ばし……
「所長。施設内をご案内します」
「っ……!」
それまで空気のように気配を消して立っていたハジメが東堀の手をそっと掴む。
もう片方の手でそっとモバイルPCを閉じ、ハジメは散らかった室内を見回した。
「室内は散らかっておりますがご容赦ください」
「片付けくらい、人形がやったらどうかね?」
「マスターから雑事は禁じられております。私は与えられた使命を果たすように、と」
「殊勝な機械だな」
「はい。まずはここ、メンテナンスルームからんですね」
「ひどく散らかっているな。床の上にパソコンを直に置くとは……」
「それ、私専用なんです。マスターから貰いました。たまにプログラムを組んだりします」
「ほぅ、それは驚きだな」
「最近は外部アクセスに対するセキュリティに見直しをかけました。ここのネットワーク上には、私が作った監視プログラムを走らせています」
ぎくっ、と東堀所長の肩が震える。
みるみるうちに顔が青くなっていくのを見て、ハジメは笑顔で首を傾けた。
「正規のアクセスログ以外に、私独自に通信情報を分析しています。もちろん、記録に残していますよ」
「ほ、ほぅ…… さすがは戸森モデルのAIだな」
「褒めていただけると嬉しいですね。それでは、こちらへ。資材置き場を案内します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます