第11話 初めてのデート(練習)

 今日も今日とてつつが無く授業を終えた。帰宅部のサトルはさっさと教室を後にする。普段も余計に居残ることなく学校を去るのだが、いつにも増して早い。ダッシュと表現しても過言ではなかった。

 2年生の教室は校舎2階なので、当然のように階段を降りて昇降口に向かう。だが下駄箱には先客が居た。長い黒髪の美少女転校生・戸森ハジメである。


(教室を出たときはまだ席にいた筈なのに……)


 ちょっとしたホラーである。おそらく、どこかの窓から飛び降りて先回りしたのだろう。


「どうやって先回りしたんだ?」

「窓が開いていたから」

「誰かに見られたらどうすんの?」

「大丈夫、スカートは押さえて飛び降りたから! もし見られても、学生らしくて清楚な白だもの」

「パンツの心配じゃねぇよ!?」

「大塚くんは白は嫌い?」

「色の問題でもない!」


 やり取りで一気に疲れてしまったが、わざわざサトルの前に現れたのだから何か用事があるのだろう。


(おおかた、一緒に帰ろうとか言い出すんだろうな……)


 それが嫌で一目散に逃げ出したのだが、ここからさらに振り切れるほどのスピードは出せない。運動性能の差は初めて会ったその日に痛感している。

 諦めて要求を受け入れようと、溜息を呑み込んだ。


「で、何の用事?」

「放課後、デートして!」


 予想のさらに斜め上を行かれて肩がこけた。

 しかも声が大きく、下校し始めの生徒たちにも聞かれてしまう。女子たちは興味深そうな視線を向けてくるが、男子たちは親の仇でも見るかのような目をしている。

 ただ立っているだけで汗が吹き出て、その場から消え去りたくなった。

 野次馬が増えるのに耐えかね、ハジメの手を引っ張って昇降口から出る。足取りも早いが心臓の鼓動はもっと早い。必要量以上の血液を送り出したせいで顔が真っ赤になっている。

 ある程度の距離を進んで人口密度が減ったところで落ち着きを取り戻し、ツッコミを入れることができた。


「なんでデートしなきゃいけないんだよ!?」

「大塚くんに恋人ができるようにするため! 練習しないとね」

「だからなんで影も形もないモノのために練習しなきゃいけないのさ!?」

「だって、上手にデートできないと恋人作れないよ」

「デートって恋人できてからするもんだろ」

「え? デートしてから恋人になるんじゃないのか?」


 見解の相違については踏み込めず、どう言い返せばいいか迷ってしまう。

 この剛力女は『恋愛支援AI』という使命を与えられていて、同じクラスで最もしょぼくれた生徒であるサトルに恋人を作ろうとしている。元を辿れば、マヒロの研究所が資金難で成果を必要としており、政府の『少子化対策』に乗っかったことが原因だ。


(やっぱ関わるんじゃなかった! あの子ども先生が全部悪いんじゃねぇか!!)


 文句を言ったところで暖簾に腕押しだろう。一応は就職先を斡旋するという約束をしてくれた。デメリットだけではないことが余計にタチを悪くしている。


「俺なんて、女の子と手を繋いだこともないんだぞ。それが恋人なんて……」

「さっき、私と繋いだよ?」

「いや、あれは無意識で…… むしろ、お前を女の子カウントしてもいいのか分からんし」


 これはさすがに失言だった。

 ハジメは、中身はともかく外見は完璧に女子高生である。

 話していても「こいつは機械だ」と認識していなければ、不自然な点はほとんど浮かんでこない。

 当のハジメは固まって、キョトンとした顔になっている。

 やはり女の子扱いしなかったことにショックを受けているのだろうか。


「ご、ごめん。言い過ぎた」

「私は、女の子だよね? マスターがそう作ったんだもん」


 眉根にシワを寄せて、グイグイと顔を近づけてくる。怒っているようにも見えるし、困惑させようという意図も感じられた。こんな反応をされると機械の身体でも女の子だとしか思えなくなる。


「女の子です……」

「ありがとう。じゃあ、デートしよう」

「……わかったよ、付き合う」

「やったー!」

「で、どこ行くつもり? 遊園地とか動物園?」

「定番スポットだけど、今から行ってもすぐ閉園時間になっちゃうよ」

「それもそうか。映画館とか? つーか、俺さ。じいちゃんの夕飯を用意しなきゃいけないからスーパー寄って買い物したい。だからあまり時間は……」

「じゃあ、スーパーでお買い物デートにしよう」

「スーパーマーケットだぞ? 買うの食材だぞ?」

「うん。大丈夫だよ」


 一体、どこが大丈夫なんだろうか。

 そもそもハジメは食べ物を摂ることができるのかも分からない。舌や歯はちゃんとあるが、消化機能までは持っていないだろう。

 まさか女子(のメンタリティを持つ存在)に「胃袋あるの?」なんて質問は投げかけられなかった。異性と付き合ったことのないサトルでもその程度のデリカシーは持ち合わせている。


「じゃあ、スーパーで」

「行こう行こう!」


 結局、こんな感じで二人並んで歩くことになった。ハジメはちゃんとサトルの歩くペースに合わせてくれて、他愛のない話題を振ってくる。大抵は学校で起こった出来事ばかりだが人型AIにとっては新鮮な経験なのか楽しそうに語ってくれた。

 最初は「仕方なく」といった態度のサトルだったが、会話に相槌を打っているうちに気持ちが上向いてくる。実に不思議だった。


(まずい。カノジョがいるとこんな風になるのかって考えちまった)


 ちょっといいなと思ってしまった自分を振り切り、自宅と学校の途中にあるいつものスーパーに立ち寄った。この店は住宅街が近い激戦区にありながら、常に最安をキープするトップランナーでもあり、サトルのお気に入りとなっている。


「わぁ、いっぱい食べ物が売ってる!」

「もしかしてスーパーは初めてか?」

「知識では知っているけど、来るのは初めて!」


 はしゃぐハジメを他所に入り口でカートとバスケットを取り、店内を進む。

 頭の中では今夜のメニューを組み立てていた。


(もうちょっと粘れば夕方のタイムセールだけど、どうしようかな?)


 同じことを考えている主婦の方々が散見される。ざっと数えただけでも数十人。彼女たちと争って勝つ自信は無い。それならば手早く買い物を済ませてしまうのがベストだろう。


「ねぇ、何を作るの?」

「ん? まぁ、回りながら考えるよ。お、ニンジンとジャガイモが安い」


 カゴの中に放り込むと、次第に作れるものが浮かび上がってくる。

 このままだとカレーか肉じゃがにでもなりそうだ。

 野菜の次は精肉コーナーを確認して、牛か豚か鶏かを見極める。


「大塚くん、学校と違って真剣な顔してる」

「そうか?」

「うん。すごく真剣」

「そりゃ、安く済ませたいからな。考えて買い物しないと。というわけで鶏もも。あ、醤油が残り大さじ二杯分しかいえにないな。買って……いや、確か別のスーパーで明日セールだった。他にも調味料は……」

「計算しようか? 私、得意だから」

「平気だよ。カゴの中に入っている食材の値段は全部把握してるし、合計額もすぐ計算できる。ここの店は200円でポイントカードに1ポイント貰えるから、ちゃんと200の倍数になるように調整するよ」

「メモしてないのに?」

「要らないだろ。たかだか10個かそこらの、三桁程度の数字を覚えて足し算するだけだぞ」


 自然に受け答えしたつもりだが、ハジメは不思議そうに首を捻っている。

 しまった、と後悔したが遅かった。こういう余計なことは喋らないように努めていたのだが、気が緩んでしまったらしい。


「すごい! 記憶力いいんだね! 値段の計算だけじゃなくて家にあるお醤油の量とか、他のスーパーの広告も覚えているんだ!」

「や、やめてくれ。騒ぐなって……」


 恥ずかしくなってカートを押す力が強くなる。

 この時点でカレーにしようと決めており、宣言通り200の倍数になるような値段のルーをチョイスした。

 ハジメは妙に嬉しそうに後をついてくる。サトルが照れ隠しのために急いでいるのも見透かされていた。これがデートなのかと誰かに質問されたら「違う」と即答するだろう。本当にただの買い物だった。そう信じたい。

 そうしているうちに最後の難関へ突入する。数々の子供連れを苦しめてきたお菓子&ジュースコーナーである。妙にポップアップに気合が入っていて、ちゃんと値段も安いのがこのスーパーの戦略である。

 レジに向かう途中という絶妙なレイアウトは親子だけでなく、意思の弱い者に余計なものを買わせるだけの魔力を秘めていた。サトルも何度も引っ掛かりかけているのだが、今のところは精神力が優っている。

 甘いものは好きだし、食べたいとは思う。しかし実行に移すことは殆ど無かった。


「お菓子が売ってる!」

「そりゃ売ってるよ。スーパーマーケットなんだから」

「マスターね、お菓子が大好きなの」

「あの先生、お菓子しか食べてなさそうなイメージ」

「うん。食事はお菓子で済ませてる」

「マジかよ」

「私はやめた方がいいって言ってるけど、マスターは私の言う事は聞かないから」


 ちょっとトーンダウンしたハジメは、魔の領域で完全に足を止めてしまった。このまま置き去りにしてもいいのだが……


(何をしでかすか分からないからな、こいつ)


 万が一の事があったらと考えると逃げられなかった。

 カートを180度回頭して来た道を戻る。ハジメは、しゃがみ込んで棚の下の方を見ていた。それからスッと立ち上がって上の方まで視線を向ける。

 お菓子を強請られる母親の気持ちが理解できそうだ。

 カゴの中は綺麗に200の倍数で値段が揃っている。ポイントを余す事なく得られるのだ。

 その美が崩されるかもしれない。しかし、物珍しそうにポテトチップスの袋やチョコレートを手にとるハジメの姿を見ていると、自分の考えが実はものすごく矮小なのではという疑いも浮上してくる。


(こんなつまんない奴と一緒に買い物して、しかもスーパーで、楽しいわけがないよな)


 相手が機械だということを一時的に忘れ、真顔で尋ねてしまった。


「なぁ、これってデートになったのか? 楽しくないだろ」

「すごく楽しいよ。大塚くんは楽しくない?」

「……よくわからないんだ」

「楽しくしようと思わないと、楽しくならないよ」

「哲学的だなぁ」

「そうかな? 普通の考え方だと思う」

「俺は別に、彼女欲しいなんて思わないから」

「でも大塚くんに彼女ができないと、私は『失敗作』ってことになっちゃう。それはイヤなの。だからお願い、ちゃんとデートの練習して」

「失敗作……」


 嫌な単語が胸に突き刺さってきた。マヒロがハジメのことを『失敗作』と罵る場面が思い浮かぶと、昼に食べたものが食道を逆流しそうになる。


「マスターからは『恋愛支援AI』としての使命を与えられているから、その使命が達成できなくて『失敗作』扱いになりたくないの」


 出会ってから初めてだ。

 無邪気で明るかったハジメの顔が曇ってしまった。

 ここにきてとんでもない罪悪感が込み上げ、目を合わせられなくなる。


(本当は、はしゃいでいるハジメを見てるだけで楽しかったんだけど、今更取り繕ったって……)


 素直に思ったことを伝えなかったせいで、雰囲気が壊れてしまった。

 自分のこういう部分がダメなんだという自覚はある。


「えっと……」


 頭の中の計算機はリセットした。

 もう食材の値段は置いておく。妙な拘りは捨てた。

 どうにか謝ろうとしたがうまく言葉が出ない。その代わり別のフォローが思い付く。


「欲しいものがあったら1個だけ買っていいぞ」

「……ほんとに?」

「1個だけだぞ。デートだし、記念に」

「じゃあ、向こうで売ってる瓶のコーラが欲しい」

「あったなぁ。っていうか、お前って食事できるの?」


 ついつい聞いてしまうと、ハジメは「できない」と首を横に振った。

 やはり機械の身体に人間の栄養は要らないらしい。


「マスターが瓶のコーラ大好きだから」

「あぁ、戸森先生か。そういや研究所でも飲んでたなぁ」


 ケチくさく50円で売りつけてきたのをよく覚えている。今後も忘れることのないエピソードになるだろう。


「っていうか、それって戸森先生の欲しいものだろ? お前自身が欲しいものって無いの?」

「わたし?」

「そう。……って言っても、スーパーだし、食べられないんじゃお菓子もらっても仕方ないか」

「わたし、何が欲しいんだろ?」

「いやいや。自分のことだろ」

「無いかもしれない。かも」


(こいつ、AIだから私利私欲って持ってないのかも。それはそれで寂しいな)


 提案してしまった側としては、このままではバツが悪い。

 菓子コーナーの中から500円の高額な食玩の箱を選ぶ。ラムネのオマケとして熊のぬいぐるみキーホルダーが入っていた。


「さっきは言い過ぎた。これで許してくれ」

「嬉しい! でも私、別に怒ってないよ?」

「でも落ち込んでただろ?」

「落ち込む? そっか、あれは落ち込むって感情なんだ」

「おいおい。しっかりしてくれよ」


 またいつもの笑顔に戻ってくれて、一安心だった。

 その後、会計を済ませて食玩の箱を手渡す。スーパーを出てすぐに箱を開けてしまったハジメは、熊のぬいぐるみキーホルダーを自分の通学鞄に取り付けた。


「かわいい!」

「まぁ食玩のオマケだけどな」

「200円の倍数じゃなかったけど、いいの?」

「会計見てたのか?」

「違うよ。私もカゴの中身、計算してた」

「まぁ、足し算だもんな」

「そうそう、これ。半分こしよ」


 ハジメは、本体と呼ぶにはささやかなラムネの入ったビニル袋を見せてきた。

 封を切ると白い粒を摘んでサトルの口元へと近づけてくる。


「口を開けて」

「こ、こんな場所でやめろって!」

「はい、あ~ん」


 買い物を終えた人々が生易しい目で見てくる。イチャつくバカップルだと思われいるに違いない。

 ここ数日で何回、逃げ出そうと思ったことか。その度に全て失敗した。

 となると下手に逆らわない方が賢明な判断となる。そもそも「力比べするのだけは絶対にやめておこう」と心に決めていた。その力というのは腕力だけでなく、脚力も含む。

 覚悟を決め、目を瞑り、口を開けた。

 舌の上にシュワッとした爽やかな味が広がり、唾ごと飲み干す。緊張のせいで喉が動かず、弾ける甘みがいつまでも食道に残った。

 目蓋を開くとハジメは次の一粒を摘んで、ニコリと笑ってから自分の口の中に放り込んだ。


「食べられるのか?」

「一粒くらいなら平気。味も一応は分かるよ」

「そっか」

「今日は楽しかった?」

「えっと」


 三粒目のラムネを、ハジメは構えている。

 袋に入っていたのはそれが最後だ。


「……楽しかったよ」

「良かったぁ。じゃあ、またあ~んして」

「勘弁してくれ……」

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