第5話 あの子に限ってそんなことはない

 戸森マヒロは、新たに得た職員室の机に不満を抱いていた。味気ない灰色のスチール机は最低限の機能しかなく、キャスター付きの椅子も座っているだけで腰が痛くなる。

 持ち込んだモバイルPCを置いてはみると、他の先生方と比べて圧倒的に少ない荷物量が浮き彫りとなった。しかも職員たちはチラチラとマヒロのことを見てくる。

 やはり落ち着かない。そんな気持ちが態度に出て、椅子の上で脚をぶらつかせている。

 どうにかやり過ごして放課後になると、スーツ姿の若い女性教師がコーヒーを持ってきた。


「お疲れさまです。戸森先生」

「んぁ?」


 自分の分だとは思っていなかったマヒロは間抜けな声をあげてしまう。マグカップがモバイルPCの前に置かれ、女性教師は隣の席に座った。


「2年1組の担任の岩崎です。バタバタしていてなかなか挨拶できなくて申し訳ありません」

「あ、いや。えっと…… 戸森マヒロだ。よろしく」


 握手を求めると岩崎先生は一瞬だけ戸惑い、それに応えた。


「砂糖はあるか? ブラックは飲めない」

「ちょっと待っててください。シュガースティックを取ってきます」

「5本頼む。あと、堅苦しい言葉は使わないで」

「でも、校長先生からは特別講師の方とは丁寧に接しろと……」

「わたしが構わないって言ってる。年下なんだ」

「……分かったわ、戸森先生」


 実際、岩崎先生の半分の年齢である。この高校に通っている生徒よりも年下なのだ。

 マヒロは受け取ったシュガースティックを一気にコーヒーへぶち込み、スプーンで掻き回してから一口啜る。


「苦っ……」

「コーヒーは苦手?」

「コーラがいい。瓶のコーラ」

「ごめんなさい。そういうのは無くて」

「糖分と水分が同時に補給できる完璧な飲み物だ。コーヒーは飲むと眠れなくなる」


 子供っぽい言い分に岩崎先生は思わず笑ってしまう。

 加えて猫舌なため、冷めるのを待つ。


「で、岩崎先生は私に用事でもあるのか?」

「そんなに堅苦しいものじゃないわ。世間話がしたくて」

「会話は苦手だ。一対一ならいいけど、大勢の前で喋るのはぜんぜんダメ」

「朝礼のときも緊張してたものね」

「うぐっ……」


 体育館のステージ上で全校生徒を前にしたとき、マヒロは完全にビビって声が出なくなった。

 どうにか校長先生がフォローしてくれたのだが難を逃れたとは言い難い。いきなり弱点が露呈してしまったのである。


「戸森先生はAIが専門なの?」

「そうだ。理論の組み立てだけでなく、躯体の設計もしている」

「AIって人間にチェスで勝ったり、絵を学習して描いたりするのよね」

「以前はそうだったな。それは何世代前の話だ。私の作った戸森モデルは次元が違うぞ。人間と同レベルのラーニングが可能だ。小説を読ませれば小説が書けるようになるし、マンガを読ませればマンガを書けるようになる。指示さればやるだけではなく、自分から発想を広げたり生んだりすることもできる」


 どれくらいすごいことなのか岩崎先生にはピンと来なかったらしく、微妙な表情を浮かべている。元よりマヒロは理解を求めていない。あくまでマヒロなりの世間話の範囲で語ったに過ぎない。


「そういえば、戸森ハジメさんは先生の従姉妹なのでしょう?」

「あぁ、そうだが」


 岩崎先生は目を細めてマヒロに顔を近づけてくる。

 圧を感じたマヒロは上体を反らせたが視線は外さない。


(まさか、ハジメが人間じゃないとバレたか? いや、そんな筈はない。あの子は完璧だ)


 人工皮膚も人工声帯も、その道に通じた科学者でなければ見抜くことは不可能。

 ましてや仕草や会話から看破するなんてあり得ない。

 究極の自律人型AIであるハジメが初日から正体バレするなんて考えられなかった。


「やっぱり、似ている」

「似ている?」

「ハジメさんと、あなた。顔の造りがそっくり」


(確かにあの子は私の容姿をベースに造っているが……)


 被造物ということでハジメには理想的なルックスの躯体を与えている。それを自分と顔が似ているなんて言われると恥ずかしくなった。


(まるで、容姿に対して密かに自信があるみたいじゃないか。そんなわけないのに)


「戸森先生が成長すると、ハジメさんみたいな美人になるんじゃないかな……と思って」

「揶揄わないでくれ。わたしは研究一筋。ここにも講師として来た」

「ふふっ、ごめんなさい。悪気はなかったの」

「ふん……」


 温くなったコーヒーを一気に飲み干す。苦くて喉に引っかかったが意識は冴えた。

 ふと壁掛け時計に目を遣ると16時を差している。講師初日にやるべき仕事は挨拶以外、特に無い。


(ふむ。そろそろ帰るとするか。ハジメを回収しないとな)


「岩崎先生、うちのハジメがどこにいるか知っているか? 一緒に帰ろうと思ってね」

「あー…… それならもう少し待ってあげたほうがいいかも」

「なぜ?」

「生徒たちから聞いた話なんだけど、ハジメさん転校初日で一目惚れしちゃったらしくて……」

「そんなわけはない。ハジメは……」


 言いかけて慌てて口を紡ぐ。

 ハジメがそんな行動に出るわけがなかった。

 にわかに信じ難いという顔をしていると、岩崎先生はため息を漏らす。


「若い女の子って、行動が読めないものよ。あっという間に惚れて自分から告白することだってある」

「ま、まさか」

「心配?」

「はははっ、はは。そんなわけないじゃないか」

「女子の情報網によるとハジメさん、放課後の校舎裏にお目当ての男子を呼び出したらしいわ」

「そそそそそうか。ま、まぁ…… わたしには関係のないことだが」

「戸森先生?」

「わ、若者の邪魔をしては悪いな。さっさと帰るとしよう。では!」

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