染谷市太郎

拾うなよ、拾うなよ……フリじゃないからな!

「え?」

 従妹が熱を出した。

 そのような連絡がきたのは夕方。大学から帰ろうとしたときだった。

 同居している祖母からの連絡。

 従妹は両親と共に、我が家と同じ町内に住んでいる。なので体調不良の連絡もすぐに祖母に伝わった。

 そしてそれが私にも伝えられるということは。

 嫌な予感しかしない。

『みんな寝込んじゃってるの」

 ほら。

 家族全滅という状況なので、祖母は私に、帰りがけに薬やら何やらを買ってきて欲しいらしい。お金は建て替えるという。

 私はしぶしぶながら了承した。


 私は、従妹らのことは嫌いではない。だが好きでもない。

 インドアな私に反し、従妹らはアウトドア。

 キャンプやらバーベキューやら、何が楽しいのかことあるごとに行う。やるなら勝手にやってくれてかまわない。それに巻き込まれなければ。

 いとこ関係から、私も半ば強制に連れ出されるのだ。

 半分は一緒に楽しむため。

 半分は、従妹の両親が私に子供を見てほしいため。

 つまり私はシッター役だ。

 最近は学業を理由に断っているが、高校までは連れまわされ、いい思い出はない。


 私はバスを途中下車し、従妹の家に向かう。

 空はどんよりとした雲に覆われていた。

 従妹宅はこれまた重い空気を纏っている。築10年もたっていないはずが、なんだか老朽化しているようにも見える。

 ふ、と二階を見上げると、こちらを見下ろす人影。従妹だろうか。私は面倒なので反応もせずインターホンを鳴らす。

 2,3回鳴らしたところで、ようやく従妹の父が出てきた。

 恰幅がいい人だが、今はげっそりとやつれている。足もおぼつかないので、私は見かねて中に入った。

 どうやら家事もまともにできたようではないらしい。

 昨晩からの食器だろうか、それらがシンクに積み上げられたまま。あとはレトルト食品の空パックがゴミ箱に乱雑に詰められている。

 従妹の母は、あれでもきれい好きだ。珍しい光景になおさら帰れなくなった。

 私は腕まくりをし、まず水回りに取り掛かる。

 従妹の父は手伝えないものかと悩みながらも、体が重くソファーで横になっていた。

 病状をうかがう。話を聞けば、どうやら風邪と診断されているらしい。食中毒や、流行り病でなくてよかったとは思う。

 水回りがきれいになった。

 そろそろ夕飯の時間だ。食欲を伺えばないと答えられる。

 確かに、食べ残しの生ごみも多かった。一口二口であとは食べられなかったのだろう。

 従妹の父には、あらかじめ買っておいたゼリー飲料を渡し、二階で寝込んでいる二人にも足を延ばす。

 寝室に入り、一瞬、私は硬直した。

 床には従妹の母。窓際に従妹。

 従妹の母はフローリングの上をまるで蛇のように這いずり回り、従妹は、窓に向かって前進を続けている。ガラスに阻まれベランダには出れないものの、ただただ一心不乱に、外へと前進していた。

 高熱による奇行とはこのようなものか。

 私は普段から風邪をひかないため度肝を抜かれた。

 とにもかくにも、二人ともこのままでは体を痛める、と布団に寝かしつけようとする。

 が、はた、と気づいた。

 そもそもこの部屋、従妹の部屋だ。

 従妹の両親の寝室はまた異なるはず。

 現にベッドは一つしかない。

 ああ、困った。

 這いずる成人女性、従妹の母を別の部屋に運ばねばならないなんて。

 インドアな私には荷が重すぎる。

 もう二人並んで一つのベッドに寝てくれはしないだろうか。

 もうそれでいいだろう。シングルベッドに、従妹の母を押し込み、従妹にも手を伸ばす。

 そのとき、ぐるん、と従妹がこちらを向いた。

 その目。白目は黄色く濁り、血管が濁った赤で充血させている。

「ギギャギャギャギャギャギャッッッ!!!」

 猿とも女ともとれない奇怪な叫びと共に、泡になった唾液が飛び散る。

 私はとっさに顔を覆った。

 だが従妹は飽き足らず、汗と脂にべたついた髪を振り乱し、腕を振り回す。

 このような狭い場所で暴れられてはたまらない。

 私は従妹の両手首をつかんだ。しかしそれでは私も両腕を使った状態。拮抗状態が続く。

 従妹は普段からは考えられない力の強さで、年齢的にはこちらが勝っているにも関わらず、押し負けそうな勢いだった。

 そこに、騒動を聞きつけたらしい。

 バン、とドアが開き、従妹の父が手助けに入った。

 二人がかりで押さえつけ、ようやく従妹をベッドに寝かせる。

 これは救急車も呼ぶべきだ。

 従妹に引っかかれながらそう判断した私に、従妹の父もうなずくしかなかった。


 救急車の中をまじまじと見たのは三回目である。

 一回目は近所のじいさんが運ばれたとき。

 二回目は父がぎっくり腰をやったとき。

 三回目の今回は、感染症も疑われたのだろう。引っかかれた私も一緒に、完全防備の救急隊員に運ばれていった。

 私は声をかけるために、従妹と共に救急車に揺られる。

 引っかかれた部分をタオルで押さえながら、疲れてげっそりとした私に、救急隊員が何かを見せてきた。

 私は眉を跳ね上げる。

 それは石。

 従妹が握っていたのだという。

 つるりとした黒の表面に花のように白い結晶が走っている。

 きれいな石だ。鑑定に出せば、それなりの金額が査定されるのではないか。

 あるいはただの石ころだったとしても、家に飾ってもいい。

 なんだかその石が私のものにしたくなる。

 同様の感情を救急隊員にも沸いている。その目からにじみ出た欲に、私は目ざとく気づいた。

 その視線から遮るように石をわしづかみ、あとで従妹に渡します、とズボンのポケットに忍ばせる。

 ポケットから伝う、ずんぐりとした冷たさに、私は無視をするよう努めた。


 幸い、感染症の類は疑われない。

 一晩病室で缶詰され、私は医師に伝えられたその内容に、ようやくまともに息ができた。

 慣れない病室の中で、知っている限りの感染症の症状と、従妹の様子を照らし合わせていたものだから。

 従姉とその両親も回復傾向にあるらしい。

 面会できるというので、私は売店で購入した氷菓類を下げながら病室を覗く。

 果たして、従妹らはいつもの様子に戻っていた。昨日のことが嘘のようだ。

 多少のやつれ具合があるものの、従妹とその母は朗らかな表情となり、従妹の父は恰幅の良さが戻っている。

 もちよったものを開封しながら、ああ、と私はあれを見せる。

 あの石だ。

 三人の視線が一斉に寄った。

 つるりとした黒が、昨日よりも深みが増したような気がする。

「これ」

 私はふと思い立った。

「山で拾ったんじゃないだろうね」

 私の問いに、まず従妹の父が視線をずらした。次に従姉の母も苦笑い。最後に従妹が少し焦った顔で、しかし肯定する。

 案の定。と私は呆れてものも言えない。

 そもそもこの種類の石、平野のこのあたりではまず取れないものだ。

 先週、彼女らが登山に向かったことは知っていた。組み立てていた予想に、私はため息を吐く。


 昔から、落ちているものを拾うな、と祖母に聞かされていた。

 祖母は神仏への信仰深い人であり、私もそれに(ある程度)習っている。

 落とし物への忠告だけでなく、夜中に爪を切ってはいけない、口笛を吹いてはいけない、などなど多くのルールをされてきた。

 私は祖母から教えられる律儀に守っている。

 私自身、心霊体験をした経験はないが、あれらは、理不尽な脅威から身を守るためのルールなのだろう。

 それを破ると、思いもしない支障につながる。

 今回のように。


 深い黒に白が走る石を、私はビニール袋に入れ川に向かう。

 私は神仏への信仰もあるが、日本人だ、同時に科学への信頼ももっている。宗教ちゃんぽんは想像通り。

 だから、この石に関しても、まあ山の神だか妖怪だか悪霊だかが絡んでいるのだろう、というオカルトチックなものを考えつつ。

 で、どうした。という回答しか出ない。

 というかこれ以上煩わされたくない。

 従妹らからは、登った山がどこかは聞いた。碇石でいけばそこに返すのが当然だろう。

 だがこれ以上、ガソリン代とかそもそも山への時間とか、をかけたくない。

 幸いなことに、その山は、我が家付近に流れる川の源流でもある。

 地球規模で考えれば、山も川も海も、多少の座標の違いではなかろうか。日本は狭いし。

 私は川を目の前に、袋から石を取り出す。

 最後にまじまじと見つめた。

「……ネットとかで買えそうだよな」

 後ろ髪を引かれる必要もなく、川へと投げ捨てた。




「え?」

 従妹が寝込んだ。

 祖母からの電話。

 デジャブに痛い頭を抱える。

『この前海に行ったらしいんだけど、もしかしたら悪い病気でも拾ってきたのかも……』

「……拾ってきたかもね、病気か石か」

 もう知らんけど。

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染谷市太郎 @someyaititarou

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