2-3 トイレの花子さん

 翌日の放課後。

 深織と楓林がやってきたのは天倶小学校校舎の四階の女子トイレの前だ。

 楓林が深織に言った。


「ここが『トイレの花子さん』の噂があるところで間違いない?」

「ええ。伊都子……新聞部の副部長によればね」

「たしか、奥から二番目の個室の扉を開いたら、白いブラウスに赤いスカートの少女がいて、『私、花子……お友達になって……』って涙顔で言ったって話だっけ?」

「そうそう。このトイレって利用者がほとんどいないじゃない?」

「まーそうだろうな」


 天倶小の四階は音楽室と図書室しかない。それ以外は空き教室になっている。

 このトイレは空き教室側の近くにあって、利用する児童はほとんどいない。音楽室と図書室のそばにも別のトイレがあるのだから当然だ。


「だけど、あっちのトイレがいっぱいでしかたなくこっちのトイレを使った子がいたらしいのよ。それで花子さんを目撃したんだって」

「それっていつのこと?」

「さぁ? 何年も前から伝わる噂らしいけど」


 楓林があきれ顔になった。


「いい加減だなぁ」

「そりゃ、噂話だもん」

「真実を追求するジャーナリストがそれでいいのかよ?」

「だからこそ、これから調べるんじゃない」


 そう言ってから、深織はなんとなく頭に浮かんだ疑問を口にした。


「それにしても、そもそもなんでこんな場所にわざわざトイレを作ったのかしら?」


 別に楓林にたずねたつもりもなかったが、彼はあっさり答えを言った。


「そりゃ、この近くの教室を使う児童のためだろ?」

「でも、このあたりって空き教室ばっかりじゃない」

「二十年くらい前はこのあたりの教室も使っていたんだよ。児童の数が今より多かったらしいからな」


 楓林はそう断言した。


「なんで、楓林くんがそんなことを知っているのよ?」

「昨日、アンタが『天狗の占い屋』から出て行った後、父ちゃんに聞いたんだ」

「優占さんに?」

「父ちゃんが六年生の時、そこの教室で授業受けていたらしいぞ」


 楓林がトイレの隣の教室を指さした。


「えっ、優占さんってこの小学校の卒業生なの?」

「そうらしいぜ。オイラも初めて聞いたけど」


 その教室をチラッとのぞいてみると、今ではほとんど物置状態になっているようだ。


「ふーん、そうなんだ」


 たしかに、最初から使う予定がなかったなら、トイレだけでなく教室自体作る必要がない。


「じゃ、行くぞ」


 楓林は女子トイレの扉を開けようとした。

 深織はあわてて止めた。


「ちょっと待ちなさい」

「なんだよ?」

「楓林くん、男の子でしょ。なに普通に女子トイレに入ろうとしているのよ?」


 深織が言うと、楓林が『はぁ?』という顔になった。


「そんなこと言ったって、七不思議の現場が女子トイレなんだからしょうがないだろ。それとも調査を中止する? オイラはそれでもいいぞ」

「いや、それは……」

「どーせ、今はこのトイレを使っている児童なんてほとんどいないんだからいいじゃん」


 深織はちょっと迷ったが、たしかにトイレの中に入らなければ話にならない。


「トイレの外からじゃ幽霊がいるかはわからないのよね?」

「少なくとも、今のところ花子さんとやらの気配は感じないな。はっきりさせるためには噂の個室を見てみないとわかんねーよ」

「じゃあしょうがないか。今、使用中の子はいないみたいだし。でも、私が監視しておくから変なこと考えちゃダメよ」

「なんだよ、変なことって」


 楓林がトイレの扉を開け、二人は一緒に女子トイレの中に入った。


「どう? 花子さんいる?」


 楓林は「さてなぁ……」と首を捻りつつ噂になっている二番目の個室へと向かった。

 そして、個室の中をゆっくりと見回し、しばらく天井をながめた。


「ふーん、なるほどねぇ」


 深織は楓林の背後に立って恐る恐るたずねた。


「どうなの? いるの?」

「結論から言うと、ここに幽霊なんていない」


 楓林はそう断言した。


「間違いないのね?」

「そりゃね。オイラが言うんだから間違いないさ」


 楓林は言って、トイレから廊下に出た。深織も後に続く。


「結局、ただの噂話ってこと?」

「まーな。でも、『トイレの花子さん』の噂の元になった話ならあるんだぜ」

「そりゃ、怪談の定番だしね」

「いや、そういうことじゃない」

「え?」

「父ちゃんによれば、六年生の時に同じクラスに花子って女子がいたんだとよ。彼女はいじめられっ子だったそうだ。その虐めは、そりゃあひどくてさ。ある日彼女は逃げ出した」

「逃げ出した?」

「辛い現実から逃げるために、自殺した」

「自殺!?」


 突然ハードなことを聞かされ、深織は息をのんだ。

 が、楓林は肩をすくめて続けた。


「……っていうのは、ただの噂で実際は転校したらしいけど」

「なんだ、よかった」


 深織はほっと息をついた。


「クラスメートに挨拶もなしに転校したから、自殺したなんて噂になったのかもな」

「それにしても、虐められて追い出されるように転校するしかなかったなんてひどい話ね」

「まったくだよ。胸くそ悪い」

「その後はどうなったの?」

「さあ。父ちゃんも知らないってさ。で、いつの間にか花子が自殺したって噂話が、トイレに花子の幽霊が出るって話に変わったんじゃないかっていうのが父ちゃんの推測」

「それにしては噂の内容が変わりすぎているような気がするんだけど」

「オイラに言われても知らねーよ。父ちゃん曰く、『トイレの花子さん』は全国的に有名な怪談だから、二十年の間に昔の虐め話と怪談話が混じって、そんな噂になったんじゃないかだってさ。名前が『花子』で定番の怪談と同じだったせいもあるかもな」

「なるほどね」


 蓋を開けてみればなんてことはない真相だった。


(うん? ってことは……)


 深織は楓林をにらんだ。


「じゃあ、楓林くんは最初から話のオチを知っていて、女子トイレに入ったの?」

「まーな。りようの可能性もあったし」

「生き霊って幽霊とは違うの?」

「幽霊は一般的には死んだ人間の魂のこと。だが、生きている人間でも想いが強いと魂の一部が分離しちまうことがある。それが生き霊だ」


「へー、それって危ないの?」

「生き霊がいつまでも漂っていると、本人の生命力を奪うことがあるからな。本当に生き霊だったら花子の寿命が減りかねないよ」

「だから、優占さんは楓林くんに手伝えって言ったんだ」

「ま、そーゆーこったな。でも、このトイレには幽霊も生き霊もいないから問題なしだな」

「それは何よりね。取材結果としてはつまんないけど」


「怪談なんてたいていはこんなもんだよ。で、どうする? 他の七不思議……えっと、あと五つの取材も続けるのか?」

「もちろん調べるわよ。『トイレの花子さん』も、ちゃんと裏の真実があったわけだし。『天倶町七不思議の真相』って記事にできるかもしれないじゃない」

「了解。乗りかかった船だし、オイラも最後まで付き合うぜ。どーせたいしたことがないオチだろうけど」

「ありがと。じゃあ一度家に帰ってランドセルを置いたら、天倶公園に集合ってことでいい?」

「OK」

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