「及川 刻花」編①

第1話 「物置小屋の少年」


【西暦2023年・東京都近郊の某県──及川邸】


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 辺り一面に田園風景が続くほど田舎でもなく、かといって高層ビルが立ち並ぶほどに都会でもない。そんな日本のどこにでもある町──壇上町だんじょうちょう

 駅前には商店街やら雑居ビルが建ち並び、一方で町はずれに行けば森やら川やら田んぼやら田舎っぽい一面も覗かせている。都会へのアクセスはそれなりに良好で、住む分には特に不満はない……そんな町。


 そんな壇上町だんじょうちょうの町はずれには、瀟洒しょうしゃな洋館が一軒建っている。

 名は及川邸。100年以上前に在日フランス人の建築家が設計したとかで、以来数度の改築を経て当時の佇まいが今なお再現されている。現在は屋敷の主人の及川某氏、そしてその一人娘の二人が屋敷で生活している。


 そんな由緒ある洋館……と同じ敷地に建つ、古びた物置小屋の中では。


「うーん……むにゃむにゃ……肉……」


 一人の少年が、薄い敷布団の上で寝息を立てていた。


  ◇


 いつもと変わらない朝。及川邸の使用人たちが、あるじの為に朝食の準備を始める。

 ちなみに彼らはメイドではない。第一、彼らは全員男だ。そして全員が全員、黒服サングラスの、フランス風の洋館に似つかわしくない"厳つい見た目"をしていた。

 ……彼らの存在について、壇上町だんじょうちょうの人々は全員が口を濁す。

 ちょうど彼らの一人が朝の商店街に買い物に来ている。彼のことについて、町の人に話を聞いてみることにしよう。


「……あの黒服の人たちかい? あー……そうだな、"ボスが黒と言えば白いものも黒くなる"タイプの、"体育会系の極み"のような人々かな……あはは……」


 ……とまあ、こういう感じである。


 さて話を戻すと、物置小屋の少年──『吉田寿限ムじゅげむ』は目を覚ますと、目を擦りながら小屋の入り口の引き戸を開こうとしていた所だった。


 黒髪黒眼の痩せ型の少年で服はボロボロ。そのみすぼらしい恰好から分かるように、屋敷での扱いはあまり良くない。しかし──見る人が見れば、その少年の『ポテンシャルの高さ』に気づくことができるだろう。

 ──キリっとした目。端正な顔立ち。あと地味に二重。

 磨けば光る、"男版シンデレラ"。言うならば『天然の美形』と言うべきだろうか。

 引き戸を開けてすぐの所に、彼の目当てのものが置いてあった。例の黒服が運んできた、冷めた朝食である。

 お盆の上に置いてあるのは、茶碗につがれた白米とたくあんが二切ふたきれ。……まあ、いつも通りってヤツだ。寿限ムはさっさと平らげると、食器その他を物置小屋のすぐ外に置いておく。しばらくしたら黒服が回収しに来るだろう。


「さて、今日はどうやって暇を潰そうかな……」


 寿限ムは布団の上に寝っ転がると、天井を見上げてボーっと呟くのだった。


  ◇


 寿限ムが及川邸に引き取られたのは、彼が5歳の時だった。その時からずっと、この物置小屋で生活している。


 彼が両親を亡くしたのも、同じく5歳の時だった。

 原因は乗っていたボートの転覆で、そのとき母方の祖父母を含む4人が亡くなった。唯一救助されたのが、その頃小学校入学を控えていた寿限ム少年だった。


 それから紆余曲折あり──ひとつ言えるとすれば、寿限ム少年にとって最大の不幸は、身寄りを亡くした彼にとっての唯一の親戚がこの及川家だったことだ──かくして少年は及川邸へと引き取られることとなったのである。


 ……あれから10年がたち、寿限ムは15歳になった。しかし結局のところ、彼は何歳になろうと"及川の人間"ではなく──それはつまるところ、この屋敷の中では"人間として扱われない"ということでもあった。


 ──温かいご飯は食べられず、学校にも行かせてもらえない。


 寿限ムの屋敷での扱いは、さながら放し飼いの犬のようなものだった。

 反抗すれば相応に痛めつけられるが、大人しくしている分には最低限の餌を与えられ放っておかれる。

 ……いつしか寿限ムはそんな生活に適応していた。

 反抗さえしなければ死にはしないのだ。与えられた餌を糧に生きる。それが賢い生き方というものだ……とはいえ問題もあった。


 そんな彼の目下の問題とは……


 ……「この退屈をいかに処理すべきか」だった。


  ◇


 草が生い茂る河原の土手の傾斜に仰向けに寝転がりながら、寿限ムはぼんやりと空を見上げていた。

 冬の透き通るような青い空に浮かぶ、白い雲。その動きを虚ろな目で追う。雲の動きは単調で退屈だ。ただゆっくりと、同じ方向に流れていくだけ。


 ……俺はあの雲と同じだ。ただ時の流れに流されて、次の日へと運ばれていく。

 のろのろと、のろのろと。時間だけがただ過ぎていく。

 代り映えしない、ただただ退屈な日常。


「……ふふっ、一人友達ができたな。あの雲は俺と一緒に流される人生を送っている者同士、仲間だ。イカした仲間が一人できたところで、さーて、どうするかな……」


 ひとまず今日一日の退屈を「町の電気屋でワイドショーを立ち見」で乗り切った寿限ムは、徒歩で及川邸へ帰宅する。

 ……薄暗い夜道に吐く息が白い。そっか、もうそろそろ12月になるもんな。そのことに気づいて、寿限ムの気持ちがどんよりと曇る。

 12月は特に退屈だ。クリスマスという、自分にとって何の面白みもない話題でテレビも町も一色になるからな。

 

 寿限ムは及川邸の門をくぐると、まっすぐ自分の住処である物置小屋へ向かう。その道中、黒服の男たちは寿限ムのことを一瞥いちべつもしなかった。


 物置小屋の前に今日の夕食が置いてあった。

 ほう……今日のおかずは「ほうれん草のおひたし」と「肉が一切れ」か。なかなか豪勢だな! そして寿限ムは小屋に入ると、壁に備え付けられたスイッチを押す。物置小屋の照明だが、無いよりはマシだ。


 ──それから少しの間、物置小屋には食器の擦れる音が微かに鳴り響いた。


  ◇


 コンコン、と背後から扉をノックする音が聞こえる。

 寿限ムはフォークをぽいと空の皿の上に置くと、ガラガラと扉を開ける。そこには小柄な少女が一人、毛布ブランケットを羽織りながらぷるぷると震えていた。


 屋敷の主の娘──『及川刻花キリカ』である。


「あーさっむ……アンタ、よくこんな所にいられるわね……」

「大げさだな。別にそんな震えるほど寒くはないだろ?」

「寒いわよ! こんなの暖房なしで生活するなんてあり得ない。もう暖房のきいた部屋が恋しくなってきたわ」


 普段からゴシック風の服を好んで着ている刻花キリカは、今日も頭にはフリルのついたボンネットを被り、黒のドレスを身に纏っていた。

 一般ジャパニーズ普通の人が着てもコスプレ感が否めないその恰好も、刻花キリカの場合は様になっている。それもそのはず、彼女の先祖にフランスの血が流れているからだ。


 彼女キリカの父親はかなりの資産家であり、黒服たちから"親父オヤジ"と呼ばれて慕われている存在だ。そして刻花はそんな父親と向こうのお屋敷で豪勢な生活を送り、居候の寿限ムはそのおこぼれを貰って生活していた。


「……そんなことより、『例のブツ』は持ってきてるんだろうな?」

「……アンタこそ、『例のモノ』は出来てるんでしょうね?」


 ──さあ、取引の時間だ。

 寿限ムが渡すのは約束の品、ノートと紙切れだ。正確にはなのだが。


「ふん、ちゃんと出来てるみたいね。……それじゃ、これ」


 そして寿限ムは刻花から、缶詰で一杯のビニール袋を受け取る。中身を確かめると、色々な食べ物の缶詰が目白押しだった。

 おお! 牛だ! 牛じゃないか! どうやらコンビーフ?という食べ物らしい。ほかにも鯖缶やら何やら、開けてそのまま食べられる保存食が色々入っていた。

 

 取引の内容──それは『刻花の学校の宿題を終わらせる代わりに、屋敷から食べ物を持ってきてもらう』というものだった。

 黒服が持ってくる分の食べ物だけだと、流石に量が少な過ぎるからな。とはいえこの缶詰もすぐ無くなってしまうので、そうなったらまたこの2歳年下のお嬢様に次の取引を頼むのだが。


「それと前回の宿題だけど。別に問われてもいないのに、わざわざ公式の導出からやってたわよね?」

「ああ、あれはサービスだ。暇だったしな」

「改めて言っておくけど、そういうの要らないから。今回からは聞かれたことだけ答えること。……おかげで私が褒められちゃったじゃない」


 ……褒められたなら別に良いのでは? そう思っていると、刻花は一冊のノートを投げて寄越してくる。中身を確認すると、何も書いていない新品のノートだった。


「次からはそういう余計なことはこのノートに書いておくことね!」


 そう言い放つと、刻花はお屋敷の方に戻っていったのだった。

 そうして寿限ムは再び物置小屋で一人になった。目の前にあるのは空っぽになった食器と、缶詰で一杯のビニール袋。それと……毛布?

 これはさっきまで刻花が羽織っていたものだ。どうやら忘れていったらしい。


「こんなもの、どうやって忘れるんだか……」


 それから寿限ムは缶詰を眺めていたが、しばらくしてやることがなくなると、寿限ムは布団に横になり、刻花が忘れていったものも含めて上から毛布を被るのだった。

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