第2話 「猫と百万円」

 そして翌日。夜が明け、今日もまた変哲のない一日が始まろうとしていた。通勤通学の人込みは相も変わらずの町の日常風景で、人々もまた今日という日が変わらない日常であると信じて疑っていなかった。

 変わらない日常が繰り返される、はずだった。

 今はまだ世界が一変することを誰も知らない。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 この日も寿限ムは朝からどうやって暇を潰そうかと考えていた。

 町をブラブラと歩きながら、暇を潰せそうな何かを物色する。

 さっきまで電気屋にテレビの立ち見をしに行っていたのだが、店員に注意され店を追い出されてしまった。

 なるほど。店でテレビを見ていると邪魔なのか……知らなかった。

 よく考えれば、こういうこと誰にも教えてもらってないからな。

 うーむ。このまま俺は何も知らないで生きていくんだろうか。死ぬ時も、なぜ自分が死ぬのか分からないまま死ぬんだろうな……


「ま、それはそれとして、今の問題は退屈過ぎることだな! ……仕方ない、他にやることもないし『うな丼』に会いに行ってやるか」

 

 ◇ 


 そうして寿限ムがやってきた場所、それは町はずれにある公園だった。

 公園と言ってもほとんどの遊具は老朽化により撤去済みで、幾つかベンチが並んでいるのと、あとは申し訳程度に小さい砂場とパンダの像が置いてあるぐらい。そんなことだから、いつもこの公園は閑散としているのだが……


「よーしよし『うな丼』、元気にしてたかー?」


 人気のない公園、そこには一匹の猫が住み着いていた。

 寿限ムはこの猫のことを『うな丼』と呼んでいる。なぜなら初めて会った時うな丼のチラシを物欲しそうにずっと眺めていたからだ。猫の癖に。

 お互い暇を持て余している同士、寿限ムと『うな丼』はすぐに友人になった。

 澄んだ晴れ空の下、うな丼はベンチの上で丸くなって日向ぼっこしていたが、寿限ムの姿を見つけると飛び降りて近づいてくる。


「お前は本当に可愛いなあ、毛並みもフサフサしてるし。まん丸お目目も可愛いなぁ~、よーしよし」


 ──1時間後。


「ほーれほれほれ、お前の好きなうな丼だぞ~。本当に好きだなー。猫はうなぎなんて食えねーんだぞー? 俺だって絶対食わしてもらえないのに。あれ? 俺ってこの先うな丼食えるのかな……」


 ──さらにまた1時間後。


「……飽きた!」


 猫と触れ合うこと2時間、早くも寿限ムは飽き始めていた。

 現在時刻3時12分。つまり晩飯まであと3時間は暇を潰さないといけない。

 無理だ。『うな丼』がいくら可愛いからと言って、あと3時間もこうやって過ごすなんて俺にはとても無理だ。一旦小屋に戻るか? 小屋には拾った雑誌などが保存してある。しかしその雑誌も寿限ムはすでに何十回も読んでしまっていた。


 寿限ムは何か暇を潰せるものがないか辺りを見回す。 

 目の前には誰が捨てたのか空き缶が落ちていた。すぐ近くにゴミ箱が置いてあるにもかかわらずだ。仕方ない、俺が捨てておいてやるか。


「……しかしだ。ただ拾って捨ててもつまらない。ここは華麗に、一蹴りで向こうのゴミ箱に入れて見せようじゃないか」


 寿限ムは落ちてた缶を思い切り蹴る。──が。


「……あ、やべっ」

「うがっ!……誰だ缶を蹴飛ばしたヤツ! お前か!?」


 おそらく公園のベンチで遅い昼飯を食っていたのだろう、男はシャツに弁当の具を盛大にぶちまけていた。


 ◇


 その後、寿限ムは男の「おい坊主、ちょっと来いや」の一言で、路地裏に連れ込まれたのだった。

 喧嘩腰で寿限ムの前に立っているのは、剃り込みを入れた坊主頭の年上の男だ。年齢は19か20辺りだろうか。体格はがっしりしていて、見るからに勉強より喧嘩の方が得意分野だと言わんばかりの雰囲気。そして何よりも大事なのは、

 つまり寿限ムにとって「おちょくっても死ぬことはない」相手という事だった。


「……テメエ何してくれんだ? 見ろよこの服のこの汚れをよ」

「あーホントだ。大分汚れちゃってますねえ。すんまそんすんまそん」

「あ”!? 何だその舐めた態度は! テメエは知らねえだろうが、コイツはメチャクチャ高価なブランド品なんだわ! もしこの汚れが落ちなかったらどうするつもりだ!? あん?」


 男はシャツをグイグイと引っ張って、服の汚れをアピールしてくる。物凄い剣幕だ。寿限ムほどの年代なら、慌てて平謝りするのが普通だろう。

 しかし寿限ムは怯えるどころか、ケロッとした態度で男を指さして言う。


「それ、服、伸びちゃいますよ?」

「……はァ?」

「ブランド品が何なのかは知らないですけど、本当に高価なものなら普通もうちょっと丁寧に扱うんじゃないですか? ひょっとして……」


 ワザと火に油を注ぐような口ぶりで、寿限ムは男の矛盾を指摘する。

 どうやらそれは図星だったらしい。男は顔を真っ赤にしてまくし立てる。


「ざ、ざけんな! てっめえこの俺が嘘ついてるって言うつもりか!? はーもう切れたわ! 弁償しろよな弁償! クリーニング代しめて百万円! テメエが金払ねえってんなら親に払わせるからな!」

「百万……困ったなあ、俺、親いないんですよね」

「あ? ふざけてんじゃねえぞ! だったら骨の一本二本へし折って……」



 ──いつまでも続くと思っていた"平穏で退屈な日常"。

 ── それは突如として終わりを迎えた。

 ──その瞬間、謎の光が世界を覆う。


「クソッ、なんだよこれっ……!」


 寿限ムの耳に、困惑する男の声が聞こえてくる。

 それは突然の発光であった。何が光っているとかではなく、世界全体が光を放っているかのような感覚。感じた眩しさに、二人は思わず目を瞑ってしまっていた。それでも瞼すら光を放っているかのようで、目を閉じても強烈な光を感じてしまう。


 そして──


 何事も無かったかのように、謎の光は突如消え去ったのだった。

 寿限ムは思わず呟いていた。


「体には何もない。何だったんだ今のは……?」


 肉体には何の異常もなかった。あれほどの光を見たはずなのに、目は全く異常なく世界を知覚できている。目の前に映る景色は、相変わらず路地裏の風景のままだ。

 何も変わったことなんてない。いや、本当にそうか……?


【プレイヤー確認:『吉田 寿限ム』 Lv1からスタートします▼】

【スキル取得:『生成クラフトLv1』 任意の物体を生成可能です(Lv1)▼】


 辺りを見回すと、何やら空中に意味不明な文字列が表示されている!

 寿限ムは突然の出来事に困惑していた。

 ……あれは俺の名前か? いや、そもそも何もない空中にどうやって文字が表示されているんだ? もしかして、さっきの光と何か関係があるのか?

 『任意の物体を生成可能』……へえ、何でも作れるんだってさ! 訳わからん。


 だが寿限ムは困惑のほかに、こうも直感していた。……もしかしたら、退、と。


「チッ、流石にさっきのはテメエがやったわけじゃねえみたいだな……邪魔が入ったがもう容赦しねえ、百万が払えねえのなら──」

「だったら百万円を作れば問題解決だな! ──生成クラフト『百万円』!」


 寿限ムがそう唱えた瞬間、男に向かって『』が降り注いだ!

 ジャラジャラと音を立てて、見たこともない数の茶色の硬貨が滝のように男の頭上から落ちてくる。

 ……嘘だろ? こんなことがあり得るのか? 本当に生成されるとは思わず、寿限ムは口をあんぐりと広げたまま目の前の光景を見つめる。


「うわっ! な、なんじゃこりゃあ~!」


 叫び声も空しく、さっきまで男がいた場所には硬貨の山ができあがっていた。

 すげーな、百万円分も10円玉が集まったらこんな山になるんだ……って感心している場合じゃない。

 そもそもなんで全部10円玉なんだよ。あれか? 俺が10円玉ぐらいしか馴染みがないからか? 金なんて自動販売機の置き忘れを漁るぐらいだからな。

 それにさっきの男は大丈夫だろうか? 流石にヤバそうだが。

 …………。

 よく見てみると、硬貨の山がもぞもぞと振動している。


「……まあ百万円が欲しい人に行き渡ったようだし、一件落着か!」


 原因がこっちにあるとはいえ、喧嘩を吹っかけてきたのは向こうだし、別に助けてやる義理もない。そして寿限ムは男が硬貨の山から自力で這い出てくる前に、路地裏を後にするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る