Day12 門番

 大学へ行く途中、『改修工事中』の看板が掲げられた公園の入口で、トイプードルに話しかけられた。

 人面犬などではない。紛う方なき愛らしいトイプードルである。が、声は全然可愛くない。寧ろ低音でかっこいい。所謂バリトンボイスと呼ばれる声色だった。ギャップが凄い。

「小僧、正直に答えよ」

「犬畜生に小僧呼ばわりされて、僕は大変不快です」

「感想は要らん。儂の質問に、正直に答えよ」

「はあ」

「レイというクソ女を知っているか?」

 レイ、と聞いて、真っ先に思い浮かんだのは腐れ縁の女である。彼女の名前は確かに「レイ」だ。

 しかし、クソ女かと問われると首を傾げてしまう。

 彼女は電波で、呪われた番傘を愛用していて、散歩がてら心霊スポットへ行く非常識な馬鹿で、新種の文鳥を飼っているのに死霊を大量捕獲したあげく「サステナブルなエネルギー」と宣う狂人である。「ハジメくんが好きなんだって!」と笑顔で口裂け女さんを紹介してくるし、自縛霊と化した女性たちを「かっこいい」と賞賛するし、バトル漫画か異世界モノのラノベでありそうな設定の前世を本気で信じている。控えめに言って頭の可笑しい痛すぎる女。

 でも別に、クソではない。

 なので、僕は正直に

「知りません」

 と答えた。クソ女のレイは存じ上げませんが、電波で狂人の痛女なら知ってますよ、とは言わない。そこまで訊かれていないので。

 トイプードルは、僕の足先から頭の天辺までを嘗めるように見る。

「本当か?」

「ええ、本当です」

「嘘をつくと咬み千切るぞ」

「どこを?」

 黒くて円らな瞳が下がる。視線の先を辿ると僕の股間へ行き着いた。現実的すぎる攻撃目標に身体が震える。やめろ、頸より恐い。

「そもそもの話、犬だろうが人間だろうが面識のない相手に、人様のことを話すタイプじゃないんですよ。警察とかなら別ですけど」

 おたく、ただの犬ですよね?

 淡々とした口調を意識して質問を投げる。トイプードルは一瞬だけ狼狽えた様子を見せた。が、直ぐ様キリッとした態度で「ただの犬ではない」と言った。

「儂は地獄の門番だ」

「トイプーが?」

「とい……?」

「愛玩動物が『地獄の門番』とか、冗談下手すぎだろ」

「ム、冗談ではない」ガルル、と唸り声をあげるトイプー。「これは仮の姿よ」

 その言葉に偽りはなかった。

 クパァという擬音と共に、可愛らしいトイプーの顔が十字に裂ける。エイリアンさながらに。グロテスクな裂け目の縁には細かい歯が生えていた。口の奥から現れたるは、ドロドロに溶けた皮膚が垂れ下がった赤子の頭部。眼球はない。瞼が閉じていて見えない、の意味ではなく。がらんどうなのだ。闇を携えし眼窩が僕を見る。

 可愛くない。全然、可愛くない。人面犬の方がまだ愛らしい。

「レイというクソ女を見かけたら、ここに連絡を寄越せ」

 どん引きの僕を無視して、赤子の顎が外れる。ぬるりと出てきた長い舌。その先端には一枚の紙が張り付いている。僕は厭々ながらも指先で摘んだ。名刺大のそれに記されているのは三桁の番号。

『991』

 必ず寄越せよ、と念を押すグロいトイプーへ、僕は訊ねる。

「なんで探すんです?」

「生者には関係のないことよ」

 トイプーは顔を元の形状に戻すと、可愛らしい声で一声鳴いた。

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