Day11 飴色

「きみの瞳を嘗めたい」

 大学の最寄り駅から徒歩八分。平日にも拘わらず、それなりの利用者が居る公園の片隅――良い感じの木陰の下に設置されたベンチにて。

 右隣から聞こえた台詞に、僕は無言のまま慄いた。


 世の中には、他人の眼を嘗めたがるひとが存在するらしい。眼球フェチだか何だか知らないが、その性癖に対し、僕がコメントすることはない。何に性的興奮を覚えるかは当人の勝手だ。僕が対象となった場合には話が別だけれど、知り合いが誰かの眼球に舌を這わせたいなら、ご自由にどうぞ。双方合意のもとでやれば良い。

 しかし、先の述べたように「僕が対象となった場合は話が別」だ。きみの瞳を嘗めたい。そう告げた声の主を、悲しいかな僕はよく知っている。“きみ”が誰を指すのかも。

 そっと右隣を見遣る。弔路谷怜ちょうじたにれいが夏の陽射しに何かを翳していた。人差し指と親指に挟まれた透明感のある黄金色は、宝石のように輝いている。

 取り敢えず「嘗めたい」発言を無視して、僕は話の水を向ける。

「何それ」

「これ?」黄金色に視点を合わせたまま、弔路谷は答える。「べっこう飴」

「熱で溶けないか?」

「溶けるよー。今、指先めっちゃベタベタしてる!」

「じゃあ止めろよ」内心で、汚い奴だなと続ける。

「止めるけど。それより瞳を嘗めたい」

「……誰の?」

「きみの」

「…………そういう性癖はないんだが」

「あ、んん?」奇妙な声を発し、首を傾げる弔路谷。数秒の間を置いて「あ!!」と叫んだ。

「違う違う! 『ハジメくん』じゃなくて! 『前世のハジメくん』!」

「前世」

 弔路谷怜との付き合いは、かれこれ五年程になる。が、前世の話題が僕らの間に上ることは一度もなかった。最初の最初――高校の入学式で「あたしたち前世からの仲なんだよ〜」と軽い調子で告げられて以来だ。

 だから、今ここで「前世」の二文字が登場して、ほんの少しだけ動揺する。

「……僕ら、前世でどんな関係だったの?」

「気になる?」べっこう飴を口に放り込んだ弔路谷が、にやりと笑う。

「まあ、ちょっとは」

「実は、あたしたち……将来を誓い合った恋人同士だったんです!」

「ダウト」

「なんで!?」

「絶対嘘。有り得ねえ。天地がひっくり返っても無理」

「無理って何よ! 非道い! ハジメくん、あたしのことは遊びだったのね!?」

「そうだよ。僕、帰るわ。暑いし」

「待って待って冗談だよ、ジョーダン。真剣に答えるから」

 縋り付く彼女を軽く振り払い、浮かしかけた腰を再びベンチに降ろす。

 背筋を伸ばし、ごほんと咳払いをする弔路谷。

「前世のハジメくんは、金色の瞳が美しい青年だった。さっきのべっこう飴みたいに、きらっきらしてた。あたし以外のひとも食べちゃいたいぐらいハジメくんの眼が好きで、でもハジメくんは、あたしの従者だったから。誰もハジメくんの眼を嘗めたり抉り出したり出来なかった。そんなことしようものなら、あたしが相手を爆発四散してたからね」

 語りながら、弔路谷の手が拳銃の形を模す。どこから突っ込むべきか判らない僕は、黙って話の続きを聞く。

「あたしとハジメくんは主従関係だったけど、友人でもあり、仲間でもあった。仲間はもう二人居て、四人は切磋琢磨しながら世界平和に貢献してたの。でも、ある事件を皮切りに一人が闇墜ちしちゃって。……で、まあ、なんやかんやあって結局、最後まで正義を貫いたやつが人類を救って、けれど独りぼっちになっちゃいました。おしまい!」

「…………お前、最近何読んだ?」

「え、なんで?」

「良いから」

「こち亀」

「……じゃあ違うか」

「あ、ハジメくん、信じてないな? 最近読んだ漫画か小説をパクったと思ってるな!?」

「パクったっつーか、何かしらの影響を受けたなと思ってる」

 主従関係だの世界平和だの闇墜ちだの人類を救っただの、ラノベかバトル漫画の世界観じゃないか。そんな前世があって堪るか。

 僕の主張に、弔路谷は「事実なんだからしょーがないじゃん」と唇を尖らせる。

「それに、ハジメくんの眼が大人気なのも事実だもん」

 そう言って、話の途中で解いていた弔路谷の手が再度、拳銃の形を作る。そして銃口を僕の顔――正確には左眼の横辺りに向けると、くいっと幽かに上下させる。

 刹那。


 パンッ!


 響きわたった破裂音に、僕は思わず肩を竦める。そして大慌てで周囲を見回した。しかし、何かが起こった様子はない。それどころか破裂音を耳にした様子もなかった。誰も彼もが普通にしている。きょろきょろしているのは、ただひとり――僕だけだ。

「ね、言ったでしょ」

 弔路谷の愉しげな声が厭にはっきりと聞こえる。

 まるで世界から切り離されて、ふたりぽっちになったみたいだ。ぶるりと身体が震える。振り返りたくなくて、けれど振り返って彼女と向き合う選択肢を選んでしまう。そんな僕に、僕自身が失望する。

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