Day9 肯定

 弔路谷怜ちょうじたにれいと同じ空間で長時間、二人きりで過ごす。耐え難い苦痛だ。拷問に等しい。それに加えて、窓の一切ない真っ白空間が監禁部屋だなんて! 犯人は、僕の殺し方を心得ている。今すぐ首を括って死にたい。

 鬱々とした気持ちで天井を仰ぐ僕とは反対に、弔路谷のテンションは中々に高い。

「いやいやハジメくん、首吊りは賛成しかねるよ。ここにはロープも、ロープを結ぶ丁度良い梁もない。おまけに、ドアは取っ手がないタイプときた。吊りたくても何も吊れない。だったらボールペンで頸動脈を刺す方が確実だよ。あたし、良いボールペン持ってるよ! 昨日買った、おにゅーのモンブラン! かっちょいいよ、見る? 見る⁉︎」

「見ない」

「あっ。もしかしてハジメ氏、万年筆派でござるか。万年筆は持ってないなー……いや、持ってるわ。LAMYで良い?」

「良くない」

 それに、僕は万年筆派でもない。ゲルインクの高コスパなボールペンなら何でも良い派である。

「ボールペンを動脈に刺して、その後インクカートリッジを上手いこと取り除いたら、ぴゅーって血が吹き出したりするのかな? 噴水みたいに」

「さぁ」僕は天井を見上げたまま言葉を続ける。「海外の医療ドラマでは、ボールペンの筒を使って体内に溜まった空気や液体を抜き出すシーンがあるけど。あれは手元に医療器具がない緊急事態に限るし、素人はやらないし、そもそもフィクションだからな」

「ハジメくんで実験させてくれるって⁉︎」

「言ってねえ」

「じゃあ、あたしをモルモットにして良いよ!」

「結構です」

 馬鹿な会話を繰り広げていると、何処からともなく紙が一枚、ひらりと落ちてきた。まるで猫のような身軽さで跳躍した弔路谷が、素早く引っ掴む。そして、僕に背を向けて読み始めた。

 一体何処から、どんな仕組みで紙が現れたのか。とても興味深い。が、それより書かれている内容が気になる。

「なんて書いてあるんだ?」

 弔路谷の背中に向かって問いかける。短く「ん?」と声を発した彼女が、僅かに首を傾げた。そのまま暫く沈黙したかと思えば、なんと、ビリビリに破いてしまった。

「おい。まだ僕、読んでないんだが?」

「大丈夫、大丈夫!」

 手の中の紙屑をパッと、花弁を放るように棄てた弔路谷。振り返った顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「ハジメくんは知らなくて良いよ!」

 何を?

 疑問が口から出る前に、弔路谷がポールペンを取り出す。先ほどの会話に登場した“おにゅーのモンブラン”だろう。それを指先でくるくると回しながら壁へと歩いていく。

 僕は黙って彼女の行動を見守った。この辺かな、なんて呟きながら、弔路谷はペン先で壁を小突く。かと思えば、拳で握るように持ったモンブランを振りかざした。

 そして、何の躊躇いもなく突き立てる。

 刹那、壁が外側へ向けて文字通り爆発した。ドカンと。爆風と共に舞い上がった粉塵が収まれば見えてくる、ぽっかりと空いた大きな穴。向こう側に広がる見慣れた景色。

「出よっか、ハジメくん」

 弔路谷の細い手が、そっと僕の手を掬い上げる。

 日常へ戻りながら、僕は弔路谷を盗み見た。彼女の四肢は健康的な細さだ。真っ白い空間の正体は不明である。けれど、壁を破壊するような力が弔路谷にあるとは、とても考えられない。同じことがモンブランにも言える。

 うんざりするほど判らないことだらけだ。でも、判らないままにしておこう。結局、謎の監禁部屋から脱出できたのは弔路谷怜と“おにゅーのモンブラン”のお陰であるわけだし。

 それから、頸動脈に刺さなくて良かったとも思う。もしも、あのモンブランを頸に突き立てられたら……。

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