Day7 酒涙雨
最近、夢見が悪い。
特別嫌いな何かが登場するだとか、恐ろしい目に遭うということはないけれど、なんとなく厭な感じなのだ。後味みたいな、そういうものが。起床後すぐに内容を思い出そうとしても非道く朧気なのが余計に不気味だ。お陰で連日、寝不足である。暑さによる寝苦しさのダブルパンチが辛い。
そんな最悪なコンディションで
「ご紹介しましょう! この麗しき御令嬢は、
イエーイ! ひゅー! ぱちぱちぱちー!
謎の掛け声を上げて拍手をする弔路谷の隣――無言で立つ彼女を眼にして、僕はぞっとした。瞬間、脳裏に蘇る夢。長い黒髪。白い肌。焦げ茶色の瞳。細い体躯を包む鮮やかな赤色のワンピース。それに合わせた真っ赤なハイヒール。耳元まで裂けた大きな口。
唾液腺から無理やり液体を分泌し、乾いた口内を湿らせようとする。張り付いた喉と口から苦労して出した声は可哀想なぐらい潤いがない。おまけに、彼女を指さす僕の手は震えている。
「この人、口裂け女だよな」
「そうだけど」先程のテンションが嘘のように、弔路谷の声音が冷たい。
「『女』って呼ぶのは止しなよ。それから『ひとを指さしちゃ駄目』って教わらなかったの?」
かちんときた。僕の怒りの沸点はかなり高い筈なのに、何故だろう。たぶん寝不足の所為だ。ついでに言うと、弔路谷怜という非常識界の令嬢に正論を振り翳されたのがシンプルに腹立たしい。これぞ悪夢だった。
しかし、誰が振り翳そうと正論は正論なので、僕は素直に謝罪をする。口裂け女を『ひと』に分類して良いのか問題は脇に置いて。
「わりぃ。それで、えーっと……どうして僕は口裂け女さん……根室さんを紹介されてるんだ?」
「なんかねー、ハジメちゃんのこと好きになったんだって」
「…………は?」
「だーかーらー、恋! しちゃったの!」
「……誰が?」
「サッちゃんが」と言い、根室さんを指さす弔路谷。おい、指さしちゃ駄目だろ。
「……誰を?」
「ハジメくんを」
「……僕は夢を見てるのか? いつだったかに入った番傘の呪いか。いやでも、お前の話では『ヤンデレ彼女に愛される夢を見る』んじゃなかったか」
つまり根室さんは、僕の未来のヤンデレ彼女?
「夢じゃないよ、現実だよ。ハジメくん、なんか変じゃない?」
「お前にだけは『なんか変』って言われたくない。寝不足なんだよ」
「あー、判る。最近寝苦しいもんねぇ」
「それで、どうして僕は根室さんを紹介されてるんだ?」
「マジでハジメくん大丈夫? 呆けた?」
事前に弔路谷が根室さんから聞いた話によると、数日前、根室さんは駅前でハンカチを落とした。それは彼女にとって大切な代物だった。ずっと昔に愛した男性が唯一遺してくれたもの。細かいレース編みで縁取りがされた美しいハンカチ。
肌身離さず持っていたのだが、スマホを取り出した時に落ちてしまったらしい。手帳型のスマホケースにレース部分が引っかかっていたのかもしれない。実際のところは判らない。が、兎に角、ハンカチを落としてしまった。
そして、それを拾って届けてくれたのが僕――
「Twitterの〈#ヒト探し〉を見て、あたしはピンときたね。このイイヒトは絶対ハジメくんだ、って。で、会って特徴を聞いたら、もう完璧『九十九一』じゃんってなって。ハジメくんエピ語って隠し撮り画像を見せたら『そうこの男性』って言うから、イマココ」
「イマココじゃねえよ。プライバシーって言葉知ってる?」
「で、どお?」
どお? と訊かれても。僕は困惑するしかない。何故ならハンカチのエピソードに、全く身に覚えがないからだ。もしかしたら本当に拾って届けたのかもしれない。けれど、僕の記憶には残っていない。だから「好きになった」とか「恋をした」と言われても、答はひとつしかない。
「気持ちは嬉しいんですけど……ごめんなさい」
「…………そう」
根室さんは吐息の混ざった小さな声で、たった二音だけ呟いた。そして、はらはらと涙を零した。弔路谷からの視線が痛い。なんと言って涙を止めようか。内心で頭を捻っていると、根室さんの方が先に口を開いた。
「お友達からでも良かったのに……」
消え入りそうな声に僕は白旗を揚げる。
口裂け女さんとお友達になる、ナシよりのアリだ。過去の男の遺物を大切にする、他人より大きな口をした女性。電波で狂人な女を相手にするより楽に違いない。スマホを取り出し、互いのLINEに友達追加する。
冷やかしへシフトチェンジした弔路谷の視線がウザい。にやつきながら僕らを交互に見る彼女を、僕は完全に無いものとした。
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