第5話 山羊の執事の名はタング

 荷馬車や背に籠を担いだ行商人、旅人などが閉ざされた門の前で身動きが出来ずに集まって騒いでいる。門番と騒動を鎮めるために増員された門兵たちが詰め寄る群集に怒鳴り声を上げるが静まるどころか騒ぎが大きくなるばかりでどうにも近づける雰囲気ではなかった。


「このままじゃ近づけないな」


 健太郎がかなり手前でトラックを止め前方を注意深く見ているとトールが「少し戻って、右側に入れ」と指をさす。


 大通りの道は整備されていたが両側は短い草が生え、ところどころに大小の岩がある原野に近い広大な土地だった。健太郎は大きな岩を避けながらトラックを乗り入れゆっくりと走らす。


「止まれ、ここで一旦休憩じゃ」

 

 岩のないひらけたところでトラックを止めるとトールはそう言って自らトラックの荷台部分を開けるボタンを押した。


「なにをするんだ?」


「降りろ、お茶の準備をするぞ」


 トールはそう言っていぶかしがる健太郎に降りるように言うと、アンリエッタの頭に手をかざし優しく顔を撫でるように手を滑らせた。

 うーーん、とアンリエッタは少し身じろぎして目をしかめる。


「このおなごを外にだしてやれ」


 トールがアンリエッタの方を気遣ったのに対して少し驚いた顔をした後、何故か健太郎はトールの背中と腰に手を回して彼女をお姫様抱っこした。

 

 トールのアホ毛がビュンビュン揺れる。


「なんじゃ、優しいのう、あのおなごを先に出してやればよいのに」 


 機嫌よくいうトールだったが「子どもが先だ」と健太郎に言われてアホ毛が萎えた。

 トールを下におろすと、いつの間にか執事の恰好をしたヤギが傍らに立っているのに気付いた健太郎が驚く。


 姿勢よく長身を真っすぐに伸ばし白い手袋をした男は首から下は立派な執事だが

顔はヤギだった。大きな角に豊かな白い髭をたくわえ、丸眼鏡をしているが顔だけはどう見てもヤギだ。


「はじめまして、トール様の執事をしております、タングと申します」

 

 健太郎は失礼のない程度に姿を確認したあとタングと向き合い、


「はじめまして、さっきはヤギ汁とか言ってすまなかった」と、先ほどの失言を謝罪した。


「いいえ、大丈夫です。あながち間違っておりません。私はトール様に過去に何度か食べられておりますので」


 健太郎はぎょっとしてトールをみやる。


「大昔の話じゃ。しかも食べたのはわしじゃないしの」


「さようでしたね」 ほほほほ、とタングは笑う。


「わしの眷属の山羊は骨と皮さえ残っていれば何度でも再生できる。昔、飢えておったある人間を助けるために肉をやったのじゃ」


「はい、あの者はたいそうトール様に感謝しておりました」


「それにしたって、眷属とはいえ仕えているものを……、流石に驚く案件だな」


「お前の国には顔を食べさせる勇者がおるだろう、それと同じじゃ」


「……、顔? あれか、良く知ってるな、言われてみると確かに同じようなものだ」

 

「いや、同じじゃないじゃろ、ほんにお前は変なやつじゃの、まぁいい、それよりタング! ここいら一帯に結界をかけてお茶の用意をするのじゃ」


「かしこまりました」


 タングは軽く会釈をしてからぐるりと回ってトラックを含むかなり広い範囲にごく薄い幕のようなものを下ろした。


 その後、どこからか白いクロスで覆われたテーブルと座り心地のよさそうな椅子、お茶のセットにお菓子がたくさん載ったお盆とお皿、テーブルフラワーまでが一瞬で揃えられる。


「今はどうしようもない、騒ぎが収まるまでお茶にするのじゃ、あのおなごもトラックから下ろしてやれ」


 健太郎がトラックを振り返るとすでにアンリエッタは車外に出ており、タングにかしずかれ丁重に連れられてくる。


 テーブルまでくるとタングに椅子を引かれたアンリエッタは楚々と座りながら礼を言った。


「ありがとうございます」言葉は少ないが感激しているのは十分に分かる表情で今までの疲れや心労が一気に吹き上がったのか大きな瞳に涙を浮かべ、そのうちほろほろと泣き出した。


 タングはカップに紅茶を注ぎ、


「こちらをどうぞ、気持ちが落ち着きますよ」とそっとアンリエッタに差し出した。


 健太郎は心配そうにアンリエッタを見ていたがそっとしておこうと思ったのか黙って自分にも差し出された紅茶を飲む。トールはお菓子を摘まみながら門の方を見ていた。



 アンリエッタは出された紅茶を品よく一口飲むと頬に赤みがさして穏やかな表情になった。しばらくしてからぽつぽつと話し出す。


「このジゼル王国はこの広い草地を中心に北側に街、東に山、南に砂漠、西に森と湖がある天然資源には恵まれた土地です。しかも砂漠から石油が出ることが分かり、たくさんの商人がはいってくることとなりました。やがて利権をめぐって争いが起こり、商人と結託した貴族の裏切りで私はデスエンジェルスに拉致されてしまったのです」


「あんたが拉致される理由が分からない」と健太郎がアンリエッタの方に顔を向けた。


「不穏な動きのあった件の貴族から砂漠の管理を一任させて欲しいとわれた国王である私の父が断固として反対したのです。なので私を人質にして話を通そうとしたのではないかと」

 

 なるほど、と健太郎は頷いてから


「だが、どうやって逃げ出せたんだ、か弱そうな女のあんたが」


「監禁されていた廃屋から石油で動く車に乗せられそうになったときに逃げました。縄抜けは得意なので」


「「縄抜け、が」」 トールと健太郎が同時に言った。


「はい、縛られてからのこう……」と身振りを交えながらアンリエッタは恍惚とした表情で「するすると抜けだすのが気持ちよく……」


 ダバーーーーーーーーーーーーーーーー


 健太郎が持っていた紅茶のカップの手が緩み茶色の液体がテーブルに滝のように流れ落ちる。


 その瞬間パチンと音がして流れ出した紅茶が時間が止まったかのようにそのままの形で固まる。さながら食品サンプルのようだった。


「こちらに」と執事のタングがそのまま健太郎からカップを取りテーブルから離れたところでパチンと指を鳴らすと固まっていた紅茶が元の液体に戻り地面に吸い込まれる。


 健太郎とアンリエッタが驚いていると「ちょっとした魔法です」と言ってタングは穏やかに笑う。


 しかしながら、ヤギの顔なので笑ったかどうかは実はよく分からなかった。



つづく

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