第19話 害虫駆除

「おや、ですね紗希」


 今日は散々な日で御機嫌斜めな紗希は部室に寄らないで下校しようとしていた。校門を潜り抜けると、家で待っている筈の望が白々しい演技と共に出迎えてくれたのであった。


「……何で来てるの」

です。通りかかっただけです。……それはそうと少し歩きませんか? 今日は絶好の散歩日和ですよ」


 何処からどう見ても雨が降り出しそうな曇天日和。降水確率も低くない日に歩き回るのは無謀か馬鹿かの何方かであろう。こんな暗雲立ち込める灰色の空を見上げながら散歩しようなんてほざくのだから望はきっと後者なのだろう。


「はあ? 私、バスに乗ってさっさと帰りたいんだけど――」

「そうですかそうですか。紗希もそう思いますよね。では早速行きましょう」

「ちょっ! 何すんの! やめなさいってば!」


 有無を言わさず望は強引に背中を押してバス停とは逆方向へと進ませる。抵抗しようにも絶妙な力加減で押してくるものだから、紗希は逃げられずにどんどんと目的地である家から遠ざけられてしまう。


「何処まで連れてく気!?」

「さぁ? 何処まで歩きましょうか?」

「さっきから何なの!? ウザいんだけど!!」

「ふふ。今日は一段と御機嫌斜めの様ですね」


 従者の愚行に紗希は怒りを露わにするも、望は飄々とはぐらかしながら宛ても無しに彷徨わせる。流石に我慢ならなくなって強い語気で罵倒してみるが、男はそれでも何処吹く風であった。


「……おっと、靴紐が解けてしまいました。ちょっと待って下さい」

「靴紐!? それ靴紐結ばなくてもいい奴じゃない! アンタ本当に頭おかしくなった――!?」


 人が賑わう通りまで拉致すると、望は急に立ち止まった。かと思いきやゆっくり屈んで靴紐を結び直すフリをし始めた。

 普段から少しばかり変な所が散見していたが、今日は一段と奇行に走っているものだから働き過ぎてトチ狂ったのものかと思った紗希が顔を覗き込んでみると、男はいつもの穏やかな表情でありつつも少しばかり剣呑な雰囲気を醸し出していた。


「紗希。先程から貴方を追い掛け回しているが居ます」


 すっとぼけた事しか喋らなかった望が打って変わり、淡々としながら報告をするものだから紗希は思わず面食らった。ふと彼が目線を寄せた先にある車のサイドミラーを覗いてみると、小蝿と思われる不審な影が物陰から此方を見ている様な感じがした。


一匹、ですね。恐らくは基本的に自宅まで追跡し、あわよくば奇襲を仕掛ようと隙を狙っている……といった所でしょうか」


 報告し終えた望はゆっくりと立ち上がり、ごく自然なままに再び歩き始める。彼の意図は良く分かったので紗希もまた早歩きで追い掛けて隣に並んだ。


「――それで、くだんの対応はどうなさいますか。三つほど策を用意しましたが」

「……聞かせて貰おうじゃない」

「では僭越ながら。……一つ目は相手が尾行に気付かれていないという事を想定し、俺が逆に強襲してはたき落とす上策」


 上策を言い終えると、人差し指を立てて一本目を示す。


「二つ目は相手の出方次第になりますが、紗希を餌にしておびき寄せられた所を捕まえる中策」


 中策を言い終えると、そのまま中指を立てて二本目を示す。


「三つ目は穏便に且つ迅速に終わらせるべく、このままタクシーでも何でも使って一気に振り切って撤退する下策」


 下策を言い終えると、最後に親指を立てて三本目を示した。


「さぁ選んで下さい。どれを選んでも構いませんよ」


 本来狩られる側に在る立場の筈なのに何処か楽観的で、何処か此方を試している様な口振りと共に三本指をこれでもかと見せつけてくる。本当にどれを選んでも不正解にはならないのだろう。この際どれでもいいのだが、少しばかり確かめておきたい事がある。


「……二番目で」

「ほう、恐れながら理由をお伺いしても?」

「確認したい事があるの」

「つまり拷問をご所望という事ですね」

「物騒な事言うな! ……取り敢えず、私はどうしたらいいの?」


 狙いは定まった。後は実行に移すだけ。望は中策の詳細を簡潔に説明する。要するに、餌らしく無防備で隙だらけな後ろ姿だけを晒し続けていろ、との事だった。


「という訳で紗希。貴方は毎朝晒している寝惚けた姿でも見せつけておいて下さい。俺はその姿を見て油断している相手の背後に回っておきますから」

「……何か腹立つ物言いだけど分かったわ」


 夕暮れ時。帰りの社会人や学生達でごった返しているスクランブル交差点に突入する時。それが作戦決行の合図だ。二人は大きく一歩踏み出した。


 雑踏を掻き分けて向こう側まで横断し終えると、望は手筈通り姿を消していた。人混みの中でも頭一つ抜けている位には高身長なあの男が音も無く雲散しているのでどういうトリックを使ったのかは謎であるが、今は疑似餌に成り切らなくてはならない。


「……ちょっと望〜? 何処行ったのよ~?」


 紗希はスマホを取り出し、見失った相方の居場所を聞き出すという演技を試みる。無論電話は掛けてはいないので傍から見れば滑稽な姿だろう。けれど電話に夢中になって周囲が見れていないという格好は出来ている筈だ。


「え? 何? うるさくて聞こえないんだけど~?」


 そして紗希は周囲の雑音で聞こえないという体で人気の多い喧噪を離れ、人気の無い閑散とした裏路地へと入っていく。

 薄暗くて視界が悪くなる一方で聴覚だけが十二分に機能していた。一人分の足音がハッキリと聞こえてきた。


「!」


 徐々に大きくなっていく足音の方向へ紗希が振り返ると、不敵な笑みを浮かべた見知らぬ男が黒い得物を片手に間近にまで迫っていた。


 本来ならばこれで一巻の終わりなのだろうが、此方には望がいる。ギリギリまで敵の後ろに張り付いていた男が一瞬の内に手首を捉えると、そのまま背中の方へと捻り上げて武器を奪い取る。どうやら持っていたのはスタンガンらしく、試しに望が横のボタンを押してみると、電極部から蒼白いスパークが迸った。


「まさかそんなので引っ掛かってくれるとは思いもしませんでした。とんだ猿芝居でしたよ」

「アンタはイチイチ一言多い!!」


 いつものように軽口を叩きながら此方を揶揄う望。そんな余裕を見せてつけている従者に軽くとっ捕まっている敵性存在は苛立っており、振り解こうと暴れていた。


「くそっ!! 放せっ――!?」

「下品な羽音を立てないで下さい。近隣の迷惑等を考慮する脳味噌を持ち合わせていないのですか?」


 ジタバタする男の一瞬だけ浮いた足を払い、地面にひれ伏せさせるとそのまま背中に回った腕を捻り上げて拘束した。涼しい顔をしているが、いつにもなく刺々しい言葉を吐き捨てているので望は少し苛立っているのだと思われる。


「どうして私の事を付け狙ってたの?」

「……殺すぞ、クソガキ」


 悪漢は鼻で嗤いながら減らず口を叩く。今の立場がまだ解っていない様だ。紗希が眉を顰めると同時に望は掴んでいた腕を可動域ではない方向にまで押し込む。骨をへし折られそうになり、男は呻き声を上げた。


「……百地魅遊の命令?」

「! さ、さぁ何の事だか?」


 単刀直入に訊ねてみると目を逸らし、あからさまに不自然な態度でシラを切った。それはもう答えを言っている様なものである。

 まさかこんなにも早く露骨にけしかけてくるとは流石に想定外だった。いくら何でもちょっと揶揄っただけで此処までするか、とまで思ったほどだ。京極院絵里香が手を焼くのも納得の女だ。


「紗希。こんなのを持っていました」

「な、いつの間に!? か、返せ!!」


 望が目にも止まらぬ速さで何かをっていたらしい。奪われたと知るや否や一気に顔を蒼褪めさせていた。どうやら男にとって致命的な物らしい。

 紗希が手に取って見てみると、何か花を模っただけの何の変哲も無い金色のバッジだった。


「……これ、いわゆるってヤツ?」

「……ああ、そうだよ! 俺らに目を付けられた時点でもうテメェらは終わりなんだよ! せいぜいビクビク怯えながら毎日過ごしやがれ!!」


 正体を暴かれた男は開き直り、狂気をも感じる笑い声をあげていた。あの取り巻き二人の与太話程度だと思っていたが、このご時世にこういったが本当に存在しているとは思いもしなかった。


「……御忠告どうも。もうアンタに用は無いわ」


 これ以上は何も得るものは無いと判断した紗希が顎で指示を出すと、望は躊躇無く奪い取っていたスタンガンをならず者に押し当てた。感電した男は短く悲鳴を上げ、俯せのまま身体を痙攣させていた。


「ほんっと、厄介な奴に目を付けられたものねぇ」

「その喧嘩っ早い性格が原因だと思いますが」

「うっさい。気に食わない奴を気に食わないと感じる事の何がいけないワケ?」

「いえいえ。紗希のその自分の気持ちに正直な所、俺は素晴らしい事だと思っていますよ」


 蠅を駆逐し路地裏を抜けると途端に小雨が降ってきた。二人は近くに停まっていたタクシーに乗って家まで帰って行ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る