第18話 二等辺三角形

「この状況、何?」


 昼休み。いつもの様に望が作ってくれた弁当と共に優雅なひと時を堪能する筈だった。それが何故か因縁の相手である京極院絵里香、それに加えて今日初めて会ったばかりの女との間に挟まれて食事を共にしている。


「……風間さん。老婆心ながら最初に言っておきますけれども、その方の言葉に耳を傾けてはなりませんわ」

「京極院さん。そんな喧嘩腰にならないで下さいよ。折角のお昼ごはんが不味くなるじゃないですか」


 別に食事の相席位どうだっていいのだが、何せ二人が互いに牽制し合って火花を散らしているものだから本当に飯が不味くなりそうだった。喧嘩するのだったら他所でやれ、と言いたかったが横槍を入れる余地は無さそうだと判断したので、静観する他無かった。


 ――時は遡る事、昼休み突入直後。小物達の策略により教室で一人ポツンと寂しく孤立していた紗希は英気を養うべく巾着袋から弁当箱を取り出して開封しようと蓋に手を伸ばした。

すると目の前に影が出来たのでふと顔を上げてみると、素知らぬ女子生徒が如何にも張りついた様な、胡散臭い薄ら笑みを浮かべて此方を見ていた。


「風間紗希さん、ですよね?」

「だったら何?」


 ささやかな楽しみである昼食の出鼻を挫かれたので内心苛立っていた紗希は視界から消え失せろとばかりに目線を戻しながらぶっきら棒に返し、正面に居る相手なんてお構い無しに弁当箱の蓋を開けた。


「ごめんなさい、お昼時に。私、百地魅遊って言います。以後宜しくお願いしますね」


 何を話しかけられても金輪際無視してやろうと一口目を口に運ぼうとしていたが、思い掛け無い名乗りに思わず箸が止まる。

何を企んでいるのかは分からないが、牧瀬と鳥嶋から聞いていた例の女がまさか向こうから急浮上してくるとは思わなかったので、紗希は泣く泣く優雅な昼食を断念する事を決めた。


「……で、その百地魅遊さんは私に一体何の用なの」

「特にこれと言った要件では無いのですが、一緒にお昼ご飯でもどうかと思いまして」

「何でまた? 一応聞いておくけど私達初対面よね?」

「ええ。……確かに面と向かうのは初めてでしょうが、貴女は私の事を既に耳にしている筈ですよ」


彼女の細めている目の奥から底知れない眼光が漏れている。どうやらあの二人から名前と正体を聞かされた事は既にバレているらしい。向こうもまた探りを入れようと接近を試みたと考えていいだろう。


「勝手に座ったら?」

「ふふ、ありがとうございます」


 そう言うと近くに机を移動させて対面に座る。ふと後ろを振り返ってみると、教室内に居る彼女の手駒と思われる生徒達が固唾を呑んで此方を静観していた。その視線を察知したのか、魅遊が睥睨しながら顎を動かすと蜘蛛の子を散らす様に退散していった。


「最初に聞いておきたいんだけど、昨日のってアンタの仕業?」

「昨日? ――はて、私には何の事かサッパリ分かりませんねぇ」


 あくまでもシラを切り通すつもりでいるらしい。確固たる証拠も無いのでこれ以上言及出来ないと判断して紗希は会話を打ち切る様に一口目を頬張った。


「こちらも質問してもいいですか?」

「答えられる範囲ならね」

「では単刀直入に聞きましょう。――貴女は京極院さんの何なんですか?」


 咀嚼する口が一瞬止まった。何を聞き出すのかと思いきやまたしても同じ名前。はっきり言ってうんざりだ。絵里香アイツもそう思っているに違いない。


「知らないわよ、そんなの」

「なら何で京極院さんに噛みつく必要があるのでしょうか? 私は知ってますよ。貴女達は目を合わせる度に勉強やら体育やら犬の自慢やら父親の自慢やらで下らない意地の張り合いをしている、とか」


 何かの病気かお前は、と思わず口に出しそうになったが紗希は寸での所で抑える事が出来た。

 取り巻き二人が一方的に因縁を付けているとは言っていたが、まさか此処まで彼女に執着しているとは思いもしなかった。ある種の恐怖を感じる程だ。


「……決まってるでしょ。気に食わないからよ、アイツが」

「それは。私も京極院さんは気に食わないと思っているのですよ」


 お前と一緒にするな、と言いたい所だが話が拗れそうだったので何も言及しなかった。一方でその執着心は何処から来るのか少しばかり気になったので敢えて話に乗ってみる事にした。


「アンタはどうして京極院さんの事を――」

「風間さん!!」


 ――ああ、今日は本当に厄日だ。今度の帰省の時に神宮に行ってお祓いして貰った方がいいのだろうか。


 教室中に轟く大声で呼びつけてきたのは言うまでもなく絵里香である。紗希が気怠そうに振り返ってみると、いつにもなく怒りを露わにした表情で有無を言わさず詰め寄って来ようとしている。


「おバカ!! アナタ何を考えていらっしゃいますの!? いいえ何も考えてないのでしょう! おバカ! 本当におバカさん!!」

「あーもううっさい馬鹿!! 耳元で騒ぐんじゃないわよ鬱陶しい!!」

「そうですよ京極院さん。招かれざる客なんですから分を弁えたらどうです?」


 嘲笑交じりに魅遊が挑発する。一瞬だけ絵里香は眉間に途轍もない溝の皺が出来る程の嫌悪感を示していたが、大きく深呼吸をして平常心を取り戻した。そして近くにある椅子を持ってきては勝手に同席し、今に至る――。



「百地さん。ワタクシへの嫌がらせに風間さんまで巻き込む様のは辞めて下さいまし。それがどれだけ卑劣で浅ましい行為か分かっていますの?」

「嫌がらせ? 何の事です? 私には貴女の言っている意味が解り兼ねますねぇ」


 遠慮無しに捲し立てる絵里香。それを揶揄からかう様にはぐらかす魅遊。その二人の間でお構いなしに食事を続ける紗希。そんな一触即発な雰囲気が教室内を支配しており、いつの間にか領域内は三人だけとなっていた。


「……どうでもいいけど、アンタはどうして京極院さんの事気に入ってないの」

「簡単な理由ですよ。だからです。直ぐにでも消えて欲しいくらいです」


 淀みなく言い放ったその言葉に絵里香は絶句していた。発言者はと言うと、何の悪びれも無く薄ら笑みを浮かべていた。


「そんな理由で今まで散々ワタクシの事を……?」

「これ以上に無い程に単純明快で良い理由だと私は思いますけどねぇ」

「ふざけていますの!?」

「ふざける? 何がです?」


 彼女の戯れた態度に絵里香が激昂し、机を叩きながら立ち上がり睨んだ。それでも魅遊は嘲る様に目を合わせ、口角を釣り上げていた。


「なるほどね、目障りだから。確かに納得出来るわね」

「風間さん!?」

「ふふ、貴女が何処ぞの勘違い成金女と違って話の分かる方で助かりますよ――」


 のらりくらりと白を切っていたサマは何処へ行ったのやら。最低限の取り繕う事すらしなくなるまでに魅遊は驕り高ぶっていた。その得意げな顔の近くに指を突き付けて黙らせると、紗希は不敵な笑みを浮かべてハッキリと告げた。


「アンタ、だからさっさと消えてくれない?」


 二人が目を丸くし、絶句していた。双方に一泡吹かせる返しだったのだろう。先に停止していた思考を取り戻せた魅遊は釣り上げていた口角をピクピクと痙攣させながら言い返そうと必死な様子で言葉を紡ごうとしている。


「い、今……。今、なんと……?」

「聞こえなかった? アンタの。方が。邪魔で。目障りで。鬱陶しいから。二度とその気色の悪いにやけ面を見せるなって言ったのよ」

「風間さん!!?」


 一言一句、強調して紗希は魅遊に対して悪態を吐いた。それが如何に無謀で愚かで危険な事なのか分かっていないのか、と二人が言いたそうにしているが彼女には関係ない事である。


「……ふ、ふふ、ふふふ。そうですか残念です。貴女は使えそうだと思ったのですがとんだ思い違いでした。がっかりです。失望しました」


 さっきまでの無礼なめた態度とは打って変わり、露骨に嫌悪感を剥き出しにして減らず口を叩いていた。


 ――自分から煽るくせに自分が煽られるのは嫌がるのか。勝手な奴。


「声震えてるんだけど。面白いわねアンタ」

「辞めなさい風間さん!!」


 まだ燻っている火種に油を注ぐべく、紗希は鼻で笑いながら小馬鹿にする。絵里香の懸命なる制止も無駄に終わり無事に着火。魅遊は一瞬牙を見せると不機嫌そうに去って行った。


「おバカ!! あの方がどんな方なのか知ってますでしょう!?」

「知ってるけど。百地なんとかの娘とかだっけ? ――で、それってそんなにやばい事なの?」

「ああああもう!! アナタがそんな愚かでトンマでアンポンタンだとは思いもしませんでしたわ!! ワタクシはもう知りませんからね!!」

「……全く、昼休み終わりそうじゃない」


 鼻息を荒くしながらそう言って絵里香もまた教室を出て行ってしまった。誰も居なくなった教室内。時刻は予鈴の時刻まで残り五、六分のみ。紗希は望のお手製弁当を平らげるべく再び箸を手に取り、昼食を再開するのだった。

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