第16話 交渉決裂
入部届を受理して貰い、文芸部の正式な部員となった紗希。後顧の憂いを無くした紗希は意気揚々と職員室を後にし、望が作った優雅な夕食を堪能するべく下校する。
廊下を歩いていると、名前はまだ覚えていないが恐らくクラスメイトの二、三人と確実に初対面な生徒が数人と彼女の前に立ちはだかった。
「風間さんだっけ? ちょっとアンタに用があるんだけど」
この無粋な連中を無視して横を素通りしようかと思ったが、見逃してくれそうに無い雰囲気だけは確かに感じ取れた。ふと後ろを振り返ると、更に素知らぬ二人が背後を陣取っており、完全に包囲されていた。
面倒な奴らだ、と紗希は大きく溜息を吐きながら渋々付き従う事にした。どう見ても悪質な拉致でしかないが、他の生徒や教員達は何の疑問も抱く事無く、この小物達のパレードを通り過ぎて行く。
無論、救助の声を出しても後々厄介な事になるのは目に見えているので敢えて大人しく連行されているのである。
「此処ならいっか」
長くて無駄な旅の終点は植木とコンクリートの壁に囲まれて陰鬱としている体育館裏であった。確かに此処なら第三者に勘付かれにくい最適な場所とも言えるだろう。そして態々こんな所にまで連れてきて取り囲んで来たという事は今から後ろ暗い事を話すつもりなのだろう。魂胆が見え見え過ぎて寧ろ新鮮味を感じる程だ。
「で、用件は何? さっさと話してくれない?」
今までずっと黙っていた紗希が徒党相手に臆する事無く減らず口を叩く。眉間に皺を寄せ露骨に苛立っている表情を見せて睨みつけてきたが、それでも彼女の不敵な表情は崩れなかった。
「……風間さんってさぁ、京極院絵里花と仲良いよね?」
はぁ? と思わず気の抜けた声を漏らしてしまう。此処の連中は視覚機能を消失してしまったのかを疑う程の衝撃だった。
「あのさぁ、しょうもない冗談に付き合うつもりないんだけど。もう帰っていい――」
壁を背にして追い詰められていた紗希が包囲網を抜けようと前に出た瞬間、彼女の右側頭部近くの壁を蹴りつけた。殺気立っている方を改めて見やると、足の持ち主は以前絵里花に告白して見事に玉砕した男子のものだという事に気が付いた。
「いいから黙って質問に答えろよ」
「……アンタ達の想像に任せる、と言ったら?」
普通ならば顔面を思い切り蹴られそうになったら震えあがる程に恐怖するのかもしれない。それでも紗希は不敵な笑みを浮かべ、やれるものならやってみろと言わんばかりに鼻を鳴らして答える。向こうも今此処で手を出せば不利を被る事は百も承知な様なので、舌打ちして蹴り上げた足を不本意そうに引っ込めた。
「……まぁいいや。風間さんさぁ、京極院絵里花と手を切ってアタシらと手を組まない?」
「手を切る? ……どういう事?」
「悪い話では無いでしょ?」
「だからどういう事なのって――」
「断ったらどうなるか分かってるよな?」
何なんだこいつ等は。同じ日本語を使っている筈なのに話が通じない。もしかしたら人語で喋れない犬のソーニャの方がよっぽど会話が成立するのではないか、と錯覚する程に紗希は辟易した。
どうしたものかと画策している最中、ふと奴等の後ろの方を見てみると、夕食を用意して待っている筈の望が遠くで佇んでいた。それも目に光を宿していないアルカイックスマイルと共に。
何で此処に居るのかは甚だ疑問ではあるが、一先ず連中に気付かれない様に指を動かして待機する様に指示をしておいた。
「……アンタらと手を組むとして何をするって言うのよ」
「決まってんだろ? 京極院絵里花をとことんにまで追い詰めるんだよ」
「あのスカした顔を一泡吹かせんの」
そんな事だろうとは思っていた。烏合の衆が企んでいる事と言えばそんな低レベルな事でしかない。予想通り過ぎて、笑ってしまう位だ。
「どっかの大企業の娘だか何だか知らないけど調子に乗っちゃってさぁ。アンタも何かしら思う所があるから突っかかってるんでしょ?」
「……確かに京極院さんはムカつくと思うしギャフンと言わせたいわね」
「だったら好都合だろ? お前みたいな京極院とやり合えるのが居るなら心強いし是非とも俺らと一緒にあのクソ女を――」
全くどいつもこいつも腹立たしい。考えも暮らしも貧しい目の前の下民共も、それを蔓延らせるだけ蔓延らせておいて放っておいている京極院絵里花も。態々引っ越してきて心機一転して頑張ろうと思っているのにこれでは元の木阿弥ではないか。はっきりいって迷惑な上に邪魔でしかない。
「お断りよ」
「な!? どうして――」
抑え切れない苛立ちを解放する様に紗希は吐き捨てた。何故断られたのかを理解出来ずに呆気に取られている様を見て、吐き気を催しそうになる。馬鹿は人をイライラさせるのが上手いのだと改めて感じた。
「……つくづく思うわ。アンタらがどれだけ束になっても一生京極院さんに勝てっこないってね」
「んだと!?」
「私は私のやり方で京極院さんに勝つ。負け犬は負け犬同士で傷でも舐め合ってなさい」
悪態を吐き、踵を返して紗希は去ろうとする。怒り狂う獣が後ろから吠えている。嫌な予感を察知し、振り返って見ると、一人の男子が勢い任せに飛び掛かってくる姿を確認出来た。
流石にこれは危ういかと少しばかり肝を冷やしたが、何とかしてくれると確信していたので紗希は目を逸らさず、逃げないでいた。
「おっと失礼」
すると瞬時に望が間に割って入り、目にも止まらぬ動作で男を投げ飛ばした。宙で一回転した後そのまま墜落、させずに受け止めて緩衝させてから地べたに捨て置いた。突如として現れた存在に連中は動揺を隠せずにいた。
「だ、誰よアンタ!?」
「別に名乗る程の者ではありませんよ。……さぁ紗希、こちらへ」
そう言って望は小物達に対して歯牙にも掛けずに主をエスコートする。戦力的に言えば数匹の蟻と恐竜位の差が有るので当然と言えば当然である。理由はどうあれ弱い者虐めをすれば確実に此方が悪くなってしまうからだ。
「ふざけんな!!」
地面に伏せさせられた際に含んでしまった砂を吐き捨てながら獣は再度後ろから殴り掛かろうとしてきた。いい加減しつこいと感じていたが、それはきっと望も同じなのだろう。彼は勢い良く振り返ると同時に風をぶっ千切る様な速さで上段蹴りを放った。
「……本来ならば貴方は死んでいます。これ以上紗希を困らせないで下さい」
まともに食らえば人間の頭蓋骨など容易く粉砕出来るであろう蹴りを当てる筈も無く、望は寸止めで済ませていた。だが沈黙させるには申し分無く、死を前にした弱者は呆然自失の末に座り込んでしまい、失禁していた。
「待ちなさいよ!」
それでも紗希を逃がすつもりの無い残党達が追撃しようと身構えた。だがその事も想定済なのか、望は前以て策を仕掛けていた。
「そのお召し物、サイズが合っていませんね。新調する事をお勧めします」
「はぁ? 何言って――」
その言葉と同時に生徒達のスカートとスラックスがずり落ち、女子はインナーが、男子は局部が丸見えになった。羞恥心により大きな悲鳴を上げると同時にしゃがみ込んで隠すので身動きが取れなくなっていた。
「……行きましょう紗希。いつまでも此処に居ると馬鹿が
前に出て投げ飛ばす前、ほんの一瞬だけの時間の中で望は連中の制服に細工を施しておいたという事になる。本当に現実離れした速度だった。それでも紗希は微塵も恐怖を感じなかった。寧ろ、いつも自身の期待に応えてくれるので清々しい気分になっていた。
「くそっ……!! 覚えてなさい……!! あの人が黙ってないんだから……!!」
愚民達は無様に身体を丸め、恥辱で泣きそうになっている情けない姿を晒す。それでも威勢だけは潰えていないらしく、負け惜しみを言い放った。
「……今日の晩御飯は何?」
「本日は旦那様から送られてきた新鮮な車海老をフライにしようと思っています」
「あぁ、たまにはそういう庶民的な感じのもいいわねぇ」
それを見下ろし憫笑を送ると、紗希は望と共に他愛無い会話を繰り広げながら下校し、置き去りにしたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます