第14話 立ち込める曇天

 幸一達後続組が通報していたという事もあり、直ぐに駆け付けてくれた警察が取り押さえられていた犯人の身柄を確保し、連行していった。

 誘拐されそうになっていた犬に怪我は一つも無く、ドッグランの秩序も守れた。これにて一件落着。ほんの些細な事件として誰にも知られないまま、いつもの日常に戻る。その筈だった。


「感謝状。風間紗希殿、京極院絵里花殿。並びにソーニャちゃん、ノア君。貴方達はドッグラン施設で小型犬を誘拐しようとしている被疑者を発見するや――」


 何故か紗希は絵里花達と一緒に警察署で感謝状の贈呈式に参加させられる事となった。最初こそ断ろうと思ったが、本宅へ帰った幸一が義之に件の出来事を報告するや、絶対参加する様にと命じられた。其処まではまだ良かった。問題はその後だ。


「……テレビで放送されるとか聞いてないんだけど!?」


 地方チャンネルだけではあったが、夕方の報道番組にて前日行われた贈呈式が放送されていたので紗希は思わず恥ずかしがった。毅然とした態度で臨んだつもりではあったが、客観的に観ると緊張のあまり顔を強張らせている醜態を晒していたので彼女の頬は紅潮する一方であった。


「新聞にもキッチリ載っていますよ」


 何処か誇らしそうな表情と共に望が新聞紙を広げる。其処にはまるで二人と二匹が仲睦まじそうに肩を並べて謝状を見せつけている写真と記事が載ってあった。


「……これ、もしかしてパパにも?」

「ええ。メイド長がこの新聞紙の為だけに此方まで買いに来たらしいですよ」


 最悪だ。もう恥ずかし過ぎて死にそうだ。マスメディアは人のプライバシーを何だと思っているのか。明日からどんな顔して学校に行けばいいのやら。


「……暫く学校休んでもいい?」

「俺は別に構いませんが、旦那様は許してくれないと思いますよ」


 そうだった。転校する代わりに今の学校をサボらずに通う事を約束したんだった。もし不当な理由で欠席したのがバレたら間違いなく本宅に連れ戻されてしまう。


「本当もう最悪……」

「はて、俺の勘違いでしょうか。最悪と仰っていますが今の紗希の顔、何処か清々しい顔をしていますよ」


 つくづく隠し事が出来ないらしい。確かに恥ずかしい思いはしたが、最悪と言うには程遠い。一つ最高だと思う所もあった。

 犯人を捕まえ警察に突き出した後、子犬の飼い主が年下相手に深々と頭を下げ、嗚咽混じりに感謝していた。同じ犬を飼っている身として、犬を傷つけたりする輩が許せないから当然の事をしたまでなのだが、それでも大いに感謝してくれた。


「……そうね。悪くないって思ってるのかもね」


 出来て当然、やって当然。そんな目で見られ続けていたから純粋に感謝されるなんて事、本当に久々だった。むず痒い気もするが、不思議と心地は良かった。


「――俺も紗希には感謝していますよ」

「何か言った?」

「いえ何も。……今から夕食の準備に取り掛かりますね」

「こら逃げるな! 待ちなさいったら!」


 それから望はいつも以上に張り付いた笑みを浮かべながら業務に取り掛かっていく。執拗に追いかけて問い詰めてくる紗希をのらりくらりと躱しながら。



「……あら。おはようございます風間さん」


 翌朝。いつも以上に感じる視線を掻い潜りながら登校した紗希。その途中で絵里花と合流すると、さっきよりも注目が確実に集まってきている事を実感できた。


「……何かめっちゃ見られてない?」

「ワタクシ達テレビに出演しましたから当然でしょう。何をビクついてらっしゃるのかしら? まるでチワワですわね」


 意にも介していない様子で絵里花はいつもより早歩きで教室へと向かっていく。本当にいけ好かない奴だと悪態を吐こうとした瞬間、紗希は彼女の足元を見て気付いてしまった。


「……上履き、片方だけしか履いてないわよ」


 左は上履きで右はローファーという有り得ない履き間違いを絵里花はしていた。さっきまでの威勢は何処へやら。思わず立ち止まり、少しばかり俯いていた。

 ゆっくり近付き横から顔を覗き込んでみると、いつにもなく顔を紅潮させていた。それを見た紗希は確信した。絵里花もまた自分と同じく羞恥心に駆られているのだと。


「何で早く言って下さらないの!!」

「申し訳ありません。あまりにも堂々としていらっしゃったものですから」

「意図して片方だけ履き替えたものかと」

「そんなワケないでしょう!? 全く、恥を掻いてしまいましたわ!!」


 鳥嶋と牧瀬は揶揄う事も嘲笑する事も無く、いつもの平常運転で絵里花に従っていた様だ。そして二人は単純なケアレスミスという事も想定してか、彼女の片方の上履きを持って来てる様だ。


「あれあれ~? もしや京極院絵里花ともあろう方が緊張していらっしゃる?」

「ば、バカな事を仰らないで下さる!? アナタじゃああるまいし!!」

「そんなちぐはぐな足元で言われてもねぇ?」

「そういうアナタこそ靴下が別々ですわよ!!」


 思わず足元を見た。確かに右は灰色で左は黒色だった。聡い望が気付いていない筈が無い。気付いておきながら何も言わずに送り出したに違いない。またしても此方を見透かしているかの様に望から電話が掛かって来た。


『そろそろ靴下の履き間違いに気付く頃合いかと思いまして連絡致しました。ああ安心して下さい。両方共鞄の中に入れておきましたよ。では』

「望!! アンタやっぱり気付いてて――!!」

 

 望は紗希の言葉を最期まで聞かずに電話を切った。そして鞄のファスナーを開けると、ご丁寧に折り畳んで入ってあった。

 此方もまた有り得ない履き間違いをしており、紗希も絵里花に負けじと赤面した。さっきまでの情けない態度から一変し、彼女はまるで鬼の首を取ったように元気を取り戻していた。


「おーっほっほっほっほ!! 実にブザマ!! ブザマですわねぇ風間さん!!」

「コイツ……! 本当に性格が悪い……!!」


 またしても、性懲りも無く彼女達は争い合う。成り行きでとは言え共闘して悪を成敗した二人の姿はもう無かった。そんないつも通りの光景ではあったが、今回ばかりはいつも通りのまま終わらない様だ。


「テレビ見たよ! 風間さんに京極院さん!」

「やっぱ皆見てるし……!!」

「一緒に感謝状貰うとか、何だかんだ言って二人とも仲良いじゃん」

「心外ですわ!! 仲良くありませんわ!!」


 案の定クラスメイト達は例のニュースを観ており、二人の姿を見るなり囃し立て始めた。暫く余熱ほとぼりが冷める事は無さそうだ。


「それにしても風間さんの犬も京極院さんの犬も可愛いね」

「ソーニャの方が可愛いし!!」

「ノアの方が可愛いですわ!!」


 何気なく放ったクラスメイトの一言が思わぬ火種となる。両者共に素早くポケットからスマホを取り出し、アルバムからお互いの飼い犬のベストショットを表示させて見せつけ合った。


「アンタ目ぇ節穴!? ソーニャの方がふわふわしてて可愛いでしょうが!!」

「そちらこそ目玉を落としたのかしら!? ノアの方がサラサラしててカッコいいですわ!!」


 またしても勃発した喧嘩。お互いのスマホを頬に押し付け合いながら紗希と絵里花はソーニャとノアの素晴らしさを熱弁し合う。そんな幼稚でどうしようもない二人にクラスメイト達は乾いた笑いを零していた。


 ――その中に、忌々しそうに二人を睨んでいる奴等が居るとも知らずに。

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