第13話 正義の牙

 ドッグランでソーニャと一緒に全力で遊んで満喫する休日。だがそんな楽しいひと時も一気に興醒める。何故なら、席の向かいに座っている京極院絵里花とその取り巻き二人の存在が居るからだ。


「あら、サキにもこんなカワイイお友達が出来たのね。安心したわ」

「全っ然違う!! こんなヤツ、全然友達じゃないし!!」


 話はほんの少しだけ遡る。昼前になったという事もあり、紗希達は休憩も兼ねて早めに昼食と済ませようと店内に入った。しかし空席が一つしか無く、その上絵里花達とも入店が被ってしまったので已む無く相席する事になったのである。


「最悪……そもそも何でアンタが此処に居るのよ。ご飯がマズくなるじゃない。ねぇソーニャ」

「それは此方の台詞ですわ。全く、暫く来ない内に此処の客の質も落ちたものですわねぇノア」


 紗希と絵里花、ソーニャとノア(絵里花が連れてきた犬の名前)。飼い主同士と飼い犬同士が睨み合い、火花を散らし合う。それを尻目に従者達は和気藹々と話に華を咲かせていた。


「そういえばアナタ達はこの子のお友達かしら?」

「いえ。我々はエリカ様の従者、鳥嶋とりしまと申します」

牧瀬まきせと申します。以後お見知りおきを」


 従者二人は軽く自己紹介を済ませると、寸分狂わず同時に会釈した。


「御二方は風間紗希様の御家族なのですか?」

「俺は……」


 望達がふと此方に目線を送ってきた。無論、使用人だと失言しようものなら容赦無い折檻を与えるつもりだ。風間家の令嬢とその一行だとバレない様に上手く誤魔化せ、と紗希は目配せでサインを送り返した。


「……兄の望です。いつも紗希がお世話になっております」

「姉の幸一よ。今後ともサキをヨロシク♥」


 どうにか二人に伝わったようだ。望の兄という設定は兎も角、幸一の姉という設定は性別的にも年齢的にも無理があるだろうとは思ったが口にすると面倒な事になりそうだったので敢えて言及しないでおいた。


「え? 姉って……どう見ても男――」

「あ~ん? アタシがサキの姉で何か文句でもあるのかしら? あぁ~ん?」

「す、すみません何でもないです……」


 身長百八十は優に越していて筋骨隆々な見た目をしている壮年の男が姉と言い張るのは違和感でしかないだろう。至極真っ当な指摘を入れようとした二人に対して幸一は満面の笑みと共に凄まじい剣幕を立てて黙らせた。

 鳥嶋と牧瀬は知らないから無理もない。メイド長こと大西幸一は自身の性別についてとやかく言われるのを一番嫌うのである。


「痴れ者が。人の性にケチをつけるなんての名折れですわよ」

「も、申し訳ありません! エリカ様!」


 一方で絵里花はというと、幸一の姉という設定に一切動じず、無礼を働いた二人をいつもより厳しい口調で叱責した。

 よくあんな高慢ちきな女相手に貴重な休日の時間を費やす事が出来るものだ、と深々と頭を下げて詫びる二人を見て紗希は同情した。そんな中、幸一だけは彼女の名前を知るなり少し顔を強張らせていた。


「京極院家って……もしかして、あの京極商事の……!?」

「あら、御存知でしたか。京極商事の代表取締役はワタクシのお父様になりますの」


 目の前で優雅に珈琲を嗜む女の正体を知った幸一は大いに驚き、愕然としていた。それに対し望と紗希はいまいち良く分かっておらず、こっそり耳打ちし始めた。


「……京極商事ってそんなに凄い所なのですか?」

「おバカ! 旦那様の会社とバチバチにやり合ってる超大企業よ!」

「ええ!? じゃあアイツってホンモノのお嬢様なの!?」

「アナタそんな事も知らないで今まで喧嘩吹っ掛けてたの!?」


 転校前の学校で金持ちを気取っていた連中は少なからず居たが、蓋を開ければ雀の涙程度の世帯年収しかなかった。絵里花もまたソイツらと同じ金メッキの類だと思っていたから猶更目から鱗だった。


「あらやだもうウチの愚妹が御無礼を働いた様で……! おほほほほ……」

「モノを知らない馬鹿な妹で申し訳ございません。俺達からもきつーく躾けておきます」

「お姉様とお兄様はそう硬くなさらないで下さいまし。……生まれ持った品性は人それぞれ、というコトですわね? 風間さん」


 乾いた笑みと共に幸一と望は不敬を承知の上で紗希の後頭部を抑え込んで無理矢理頭を下げさせた。風間家だと隠す為の演技と言えども、兄と姉の設定で通すつもりと言えども、こんな屈辱は初めてだった。

 後で覚えていろ、と机に伏せられた紗希は青筋を立て、この状況を何処か楽しんでいそうな望に復讐を誓ったのであった。


「ワンワン!!」


 飼い主達の足元で大人しく寛いでいた筈のソーニャとノアが突如として立ち上がり、明後日の方向へ吠え始めた。そしてリードを引き千切らんばかりの勢いで走り出そうとしていた。


「ソーニャ! 駄目でしょ!」

「ノアもお辞めなさい!」


 いつもなら一言叱れば大人しくなる筈だが反抗して吠え続ける始末だった。このままでは他の客に迷惑が掛かると思い、二人が外で落ち着かせようとリードを外した瞬間、ソーニャとノアは飼い主の命令を無視して店の外へと出て行ってしまった。


「ソーニャ!!」

「ノア!!」


 二人が追い掛けた先には、小型犬を胸に抱きかかえている男性の行く手を阻む様に威嚇混じりの咆哮を上げるソーニャとノアの姿があった。紗希達は急いで駆けつけ、二匹を抑えつけた。


「どうしたっていうのソーニャ!」

「申し訳ありません。ご迷惑をお掛けした様で――」

「誰かその人捕まえて!!」


 叫び声のする方へ振り返ると、血相を変えて此方に向かってくる女性の姿が見えた。大きな舌打ちが聞こえてきたので視線を戻すと、大事そうに抱えていた筈の犬の首輪を掴んで遠投し、そのまま走り去ろうとしていた。

 ようやく合点がいった。この男は客の犬を連れ去ろうとしており、ソーニャとノアはそれを察して追い掛けていたのだと。


「あっぶなぁぁぁい!」


 墜落しそうな犬をスライディングしながら受け止める鳥嶋と牧瀬。幸い犬に怪我は無いようだ。そして幸一も携帯電話で警察に通報しながら追随しようとしている姿が見えた。

 後顧の憂いは無くなった事を確認出来た紗希と絵里花は誘拐犯を追い掛けていく。普通なら振り切られる程に距離を取られていたが、二人の脚力は普通の女子高生とは段違いなのである。更にそんな彼女達よりも速く走れる犬達も居るのだから逃げられる筈が無いのだ。


「もう逃げられませんわよ!」

「大人しく観念しなさい!」

「くそが! なめんじゃねぇ!!」


 二人と二匹の執念が打ち勝ち、犯人を追い詰める事が出来た。だが男は往生際が悪かった。近くにあった角材を拾い上げ、雄叫びと共に紗希達に襲い掛かろうとしてきた。

 暴挙に出てきた悪党に絵里花は悲鳴を上げて思わず身を縮ませていた一方で、紗希は一向に動じず、不敵に微笑んだ。何故なら自身が抱えている最強の懐刀が必ず守ってくれると確信しているからだ。


「……聞こえなかったのですか? 観念しろと紗希が仰ってるのですよ」


 彼女達の前に割って入っていた望は、角材を持っていた手首を掴んで動きを封じていた。其処からは望の動作があまりにも速過ぎて何をやったのかは全く見えなかったが、達人的な技で綺麗に投げ飛ばした事だけは理解出来た。


「図が高い」


 受け身を取れず、背中を叩きつけられた犯人は途端に動きが鈍くなっていた。それでも逃げるべく起き上がろうと奮闘するがもう手遅れである。

 何故なら、自慢の牙を剝き出しにして唸り声を上げているソーニャとノア、そして凍てつく様な双眸で見下ろす紗希と絵里花が間近まで迫っているからだ。


「人様の大切な犬を攫う様なクズ野郎は」

「馬に蹴られて地獄に堕ちやがれ、ですわ」

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