第12話 犬も走れば思わぬ偶然に当たる
翌朝。紗希は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに朝食を食べていた。昨日の夕方に望がやらかした軽率な行いが彼女の憤怒の引き金を引いてしまっているのである。
当の張本人はと言うと、いつもと変わらない様子で淡々と業務を行っている始末であり、猶更紗希の苛立ちを募らせていた。
「サキ。ノゾムちゃんも反省してるみたいだしアタシからもきつーく言い聞かせておいたからいい加減機嫌を直してちょうだい」
「別に機嫌悪くなんかなってないし!! 当分望の顔を見たくないだけだし!!」
険悪になった二人のその後を心配し、幸一は急遽一宿し、朝食を共にしていた。臍を曲げると紗希は手が付けられない事を知っての事である。
「……紗希。昨日は申し訳ありませんでした」
「……べぇっつにぃ~? どうせメイド長に謝れって言われたから仕方なく謝ってんでしょ? そんな気持ちの籠っていない謝罪とか逆にムカつくだけだし~?」
朝の業務を終わらせた望が彼女の真横に立つと、深々と頭を下げて詫びを入れてきた。それに対し紗希は露骨に顔を
まだ許すつもりは無い上に、簡単に許していては示しがつかないからだ。取り敢えず最低限土下座くらいして貰わないと気が済まない。
「……紗希、こっち向いてくれませんか? 紗希、聞いていますか? 紗希――」
「あぁもう!! しつこいわね!! そんなんで許されると思ったら大間違い――」
あまりにも食い下がらず、執拗に呼ぶので紗希は我慢ならずに雑音のする方へと振り返る。すると目の前には
男は何も言わずに頭を垂れて箱を捧げるのみである。埒が明かないので紗希は怪訝そうに見つめながら受け取り、蓋を開けてみた。
「これは!」
中身はとある有名なパティシエの店でも一番人気のスイーツ、白桃のレアチーズケーキであった。彼女の好きな物と好きな物とが合わさった夢のコラボレーションであり、前々から食べたいと思っていた代物である。
「……本当に申し訳ありませんでした。紗希のお尻があまりにも魅力的過ぎたので我を忘れて触ってしまいました。……それは些細ですがお詫びの品です」
片膝を着けたまま面を上げ、望は澄み切った瞳と共に弁解した。それを傍から見ていた幸一は彼のあまりにも杜撰な謝罪に呆れていた。
「いや小さい子じゃあるまいしケーキなんかで機嫌直すワケなんて――」
「そ、そうよ……。わ、わたっ、私が、そんな謝罪と、ケーキなんかで、許すと思ったら……お、おお、大間違いなんだから!」
「……え?」
反発する言葉とは裏腹に紗希は酷く赤面しており、顔の綻びを誤魔化そうとしていた。これには予想出来なかったのか幸一は呆然としていた。
「ていうか、アンタ……! 私の事、魅力的って……!!」
「ええ。お尻だけではなく、その御尊顔も魅力的です。
「や、やめ――!」
「勿論、自信に溢れている佇まいも、貴方自身が生まれながらにして秘めている優しさも、今まで培われてきた努力を感じて素晴らしいものだと感じます」
「もう止めて……! これ以上は……! おかしくなっちゃう……!」
「いえいえ御遠慮なさらず。この程度では紗希の魅力的な所なんて語り尽くしていませんから」
「……何を見せられてるのかしら、アタシは」
周囲の嫉妬を一身に受けていた彼女は素直な気持ちで称賛される事なんて滅多に無かった。なので望の純然たる褒めちぎりを容赦無く浴びせられた紗希は寧ろ泣きそうな位に照れていた。
「しょ、しょうがないわねぇ! 今回は特別に許してあげる! 感謝なさい!」
「有難き幸せ。感謝致します、紗希」
「……サキが結婚詐欺とかに引っ掛かりそうでアタシはとても心配だわ」
計算通りか否かは不明瞭ではあるが、望が放ち続けた賛美にすっかり機嫌を直して昨日の失態を不問にした紗希。あまりにも容易く御されている彼女に一抹の不安を覚えた幸一であった。
※
朝食を食べ終え、紗希はソファに座り寛ぐ。時刻は九時二分。今日は土曜日という事で学校は休みなのだが、特段する事が無い。また前回の休日と同じくショッピングに出掛けようと思いつき、望と幸一を連れて行こうと呼ぼうとした時、彼女の愛犬ソーニャが視界を遮る様に急接近してきた。
「ワンッ!!」
「あぁごめんごめん。最近構ってあげられてなかったよねソーニャ。今日一日一緒に遊ぼうか」
どうやらソーニャは不平不満を主張している様だ。留守中は望が世話をしてくれているが、どうにもまだ彼を認めていない節がある。彼女は何処かの誰かに似て気難しい犬なのだ。
「あら、それならうってつけの場所があるわよ。折角だしアタシが車出してあげる」
「それってどんな場所?」
「ンフ、それは着いてからのお楽しみ」
紗希達は幸一のポルシェに乗り込み、約一時間程走らせていく。県の南東部にある半島の中にある山道を越え、辿り着いた先は大自然に囲まれた公園であった。
「着いたわ。県で一番大きいドッグランを併設しているドッグカフェよ。ソーニャも遊びたいだろうし事前にリサーチして予約しておいたの」
「凄い! こんなところ初めて!」
「ええ。ソーニャもとても喜んでいます」
初めての場所に紗希は興奮していたが、それ以上にソーニャが興奮しており、頻りに吠えてリードを引っ張る始末であった。望が掴んでいなかったら今頃遥か彼方へ走り去っていた所だろう。
「さ、大型犬エリアはあっちよ」
敷地は小・中型犬用と中・大型犬用と区分されており、後者の方は四百八十平米もあるエリアとなっている。午前中でも既に他の客がそれなりに利用しており、様々な犬種が楽しそうに遊んでいた。
「ワンワン!!」
首輪のリードを外すとソーニャは今までの鬱憤を晴らすかの如く走り回る。ボルゾイの瞬発力は凄まじく、他の犬達をぶっちぎる程のスピードだった。
「はっやい……! ソーニャってあんなに速かったんだ……!」
「ええ。でも俺の方が速いですよ」
全力疾走するソーニャを遠巻きに見ながら望がそう呟いた。冗談のつもりで言っているつもりなのだろうが、犬相手に何を張り合ってるんだと紗希は内心呆れていた。
「……あれ? ソーニャと一緒に何か走ってない?」
「あらホント。あれは……アフガンハウンドね」
あの俊足に引けを取らない速さで並走する犬が一匹。黒くエレガントな毛並みを靡かせ、ソーニャと共に風になっているその姿はまさに芸術とも言える光景であった。
両者引けを取らず、最終的に激しい吠え合いが続き、一触即発の喧嘩になりそうだったので紗希達がソーニャを呼び戻そうと急いで向かうと、同じく飼い主らしき人物達もまたアフガンハウンドの所へと向かっている姿が見えた。
「ああ、ごめんなさい。この子、こういう所に来るのは初めてで興奮しちゃってて――って、ええ!?」
「こちらこそ申し訳ございません。この子も久しぶりに来たからか柄にも無くはしゃいじゃってて――って、ええ!?」
向かい合った瞬間、紗希は驚愕の余り素っ頓狂な声を漏らした。そして向こうも彼女と全く同じ反応であった。
「何でアンタが此処に!?」
「何でアナタが此処に!?」
こんな偶然、あってたまるか、と紗希は心の中で毒吐いた。何と目の前に居るのは、宿敵である京極院絵里花とその取り巻き二人だったからだ。
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