【映画感想・考察】君たちはどう生きるか ※ネタバレ注意

・君たちはどう生きるか


 話題の作品を遅ればせながら見て来たので、感想や拙いながらの考察なぞを書いていきます。ネタバレ回避は不可能な内容であったため、事前に情報を仕入れたくない方はスルーを強く推奨します。











※※※以下ネタバレ注意※※※












 極めて難解。


「凄かった、圧巻」

「面白いけどよく解らん」

「評価が5点と1点に集中して平均が3点になる現象、エヴァでも見た」


 そんな感想も実に納得できる。往年の『ジブリらしさ』を損なうことはなく、映像作品として「一切説明なんかしないから、とりあえず見て感じて考えろ」を徹底的に突き詰めていると思う。


 もちろん解説なぞなくとも、劇中には多くの情報が映像として叩き込まれているし、物語としての主題もある程度はっきりしている。その表面的な部分を読み取って行くのは難しくないのだが、ではそこに込められた真意とは……? というところを考えて行くと、またドツボにハマっていく。沼のような作品であるかと。


 そこで今回は、自分なりの整理を目的にしつつ語っていきたいと思う。




【まずは感想をば】


 視聴後に「ほんの少し、他人に優しくなれる」あるいは「こんな世界だけど、まあもう少し頑張って生きてやるか」と思えるようになる作品だった。


 映画館を出る時に、横から階段を下りてきているお年寄りに先を譲りたくなるような、また妙なクソ野郎に変な因縁をつけられても「まあ彼らなりに色々あるんだろうな」と許せてしまうような。ちょっと心に寛容というか、余裕が生まれるような感じである。


 たかが一回見た程度、しかも内容は難解で、おそらく表面的なメッセージ以外に読み取れていることはない。そんなあやふやな状態でも、何か少しだけ自分の生き方、考え方が変わったような気がする。人の深層意識へと何かしらの影響を与えてしまうという点は、さすがのジブリ作品ではないかと思う。


 特に「もう少し生きてやるか」と思えるところ。どっかで見た気がするんだが、読者や視聴者、観客にそう思わせる作品や娯楽というのは、存在意義という点においてある種の究極に達しているという話がある。こういった部分において、真剣に見る価値は十分にある作品ではないだろうか。




【考察など色々】


 とは言え何かとメッセージが難解な作品である。というわけで、仮にも創作者の端くれとして、偉大なる先達からの課題だと思って、本作において語られる様々な要素を拙いながら考察していこうと思う。




・物語について


 極めて単純に、身も蓋もなく、冷徹に無機質に、ただ物語を『主題』として分解分析するならば、本作は以下の三つで構成されているかと思う。


1.親子の愛

2.人々の絆

3.理想郷の否定


 まず『親子の愛』と『人々の絆』について。


 母を火事で喪った主人公、眞人は、父親に連れられ、田舎の再婚相手の家で世話になる。この再婚相手の夏子というのが、他ならぬ母の妹であり、容姿は母親そっくり。しかも既に父の子を妊娠中で、どう考えても母の存命中にこさえやがった子供である(私の時系列の認識があやふやなので正しくないかもしれないが)。


 そりゃまあ、いくら出来たお子さんである眞人とて、様々な意味で拒否反応が出るというもの。未だ母を喪った悲しみから抜け出せない中で、さらに母のことなど既にすっかり忘れたような父の態度と、義母のいちゃつきまで見せつけられたら「ふざけんな!」と言いたくもなろう。直接言葉にはしないまでも、夏子に対する拒絶は様々な所作から見受けられる。


 夏子も彼女なりに眞人へ歩み寄ろうと努力するが上手く行かず、次第に軋轢は大きくなっていく。遂に全てを投げ出し、大叔父が作り上げた塔を通じて『海の世界』(おそらくは『死後』かあるいは『現世と幽世の狭間』とでも言うべき場所だろう)へと一人で行ってしまう。


 眞人も対面上は夏子を助けるために後を追いかけるが、劇中でも語られていたように、その本心は「向こう側の世界に実母が居るかもしれない」という可能性を確かめたいがためのものである。眞人も夏子もお互いを「居なくなってしまえばいい」と思い合っており、この時点での二人の関係性は最悪の一言に尽きる。


 しかし『海の世界』で眞人は、若かりし頃のキリコや、幼い頃の母親であるヒミとの出会い、敵対者であったはずのアオサギとの和解などを通じて、様々な困難を乗り越えて行く。精神的に大きく成長を遂げ、その先でようやく再会した夏子を『母』と呼び、多くの確執を打ち破って、本心から元の世界へ連れて帰ることを望む。


 こうした物語から描かれる『親子の愛』『人々の絆』が、本作における主題となるのではないか、と一考する。


 次に『理想郷の否定』について。


『海の世界』にて大叔父と出会った眞人は、この世界があと一日で崩壊してしまうこと、自分がこの世界を存続させる後継者となれることを伝えられる。


 しかしこの世界は、ペリカンやセキセイインコたちを無理矢理に捕らえて働かせ、本来は現世へと生まれゆく魂たちや、迷い込んだ者たちを食らわせるなど、他者に犠牲を強いることで存続していた。それを目の当たりにしてきた眞人は「この世界は悪意の塊だ」と一蹴する。またこの世界を真の理想郷として再構築できる可能性を告げられても「自分もまた悪意持つ存在である。そんな世界を作る資格はない」と拒絶する。


 結果、後継者を得られなかった『海の世界』は崩壊し、眞人と夏子、ヒミとキリコ、アオサギを始め囚われていた鳥たちは解放され、それぞれ本来在るべき世界へと帰っていく。例え世界大戦の戦禍に晒される世界でも、自分の生きるべき世界はここであるという眞人の選択は、『理想郷の否定』であり、同時に『現世の肯定』であるかと思われる。


 同時に『海の世界』崩壊の引き金を引いたインコ大王の愚行からも、いかに理想郷を創造する可能性があろうと、結局それを無に帰してしまう人の愚かしさが描かれていたかと思われる。彼は彼なりに、王としての使命を負って世界の存続を望んでいたわけだが……、眞人のような器があるわけでもない彼が、理想郷を創るなど土台無理な話であったのだろう。


 以上が本作の物語に込められている主題かと考えられる……、などと偉そうなことを言っても、所詮は構造上から読み取っただけの極めて表面的な情報であり、実際のところや、他の方々がどう感じたかはまた別物になるだろう。あくまで私個人の、極めて下世話な解釈だと思って貰えれば良いかと。




・設定について


 本作において謎多き『海の世界』と、そこに囚われた人や鳥たち、創造主である大叔父について……、まあ私なりに「こうだったんじゃね?」という考察をしていく。


 まず『海の世界』が何かということについて、極めて単純に、最も差し障りのない解釈をするなら『死後の世界』あるいは『現世と幽世の狭間の世界』だろうか。あらゆる時間軸を問わず同時に存在する、永遠の理想郷……を目指した出来損ない。鳥たちを奴隷として捕らえ、この世とあの世の狭間でおこぼれをいただきながら、どうにか存続させているだけの歪んだ世界だと思われる。


 しかし、世界が崩壊する最中でヒミが大叔父へと礼を告げていたことから、せめて彼らの一族を外界、すなわち現世の苦しみから一時的に救う程度の機能はしていたのだろう。ヒミが自分の後の息子である眞人と出会ったことにより「あなたのような子が産めるのだから、火事で死んだとしても構わない」と言えるまでの、現世へ帰る決意をさせたことには、大きな意義があったかと思う。


 とは言え、ではなぜヒミやキリコがあの世界に居たのかという理由については……、恥も外聞もなく言うが『分からない』。作中では明確に語られていない、あるいは私が見逃しているかで、判断できる情報が今のところは無い。


 夏子が自らの意志で『海の世界』へ渡った経緯から、おそらくは現世で辛い出来事があったのだろうということは考えられる。しかし所詮は邪推でしかないし、明示されていないアレコレについて私如きがグダグダ持論を述べるのは無粋であろう。


 あるいは本作のタイトルを借りたという書籍を読めばリスペクト元があるのかもしれないが、まあ読んでから考えれば良かろう。あるいは二周目を視聴した上で、気付きがあれば追加で垂れ流すのも良いかもしれない。


 眞人がやってきた直後に訪れた、封じられた門は幽世の管理者であろうか。解放を望むペリカンたちが眞人を押し込もうとし、キリコが炎によって境界を作ることで身を隠した。あの演出にはそういった意図があったのではないだろうか……というのも邪推か。暗喩としてこじつけられるような、神話などへの理解や知識があるわけでもなし。その辺の解釈は有識者にでも丸投げして、設定に関する考察は締めることにする。




・タイトル回収について


『君たちはどう生きるか』である。


 まあ、字面そのまま受け手に対する問いかけだろう。


 物語の中で、私なりの解釈をするなら、主人公である眞人は『自分の醜さも、他人の愚かさも、世界の歪みも全て受け入れて、自らの意志で生きることを選んだ』という結論ではあると思う。


 別にただ、それだけのことである。


 眞人はそう考えた。そう選んだ。それ以上のことはない。「眞人はそうしたのだから、お前らもそうしろよ」とか、そんなことは一切語られてないと思う。ただ一人の、ちょっと出来過ぎた子供が、一つの冒険を通して至った結論はこうだった。それをただ物語として見せられただけ。


 じゃあ視聴者たる自分はどうするのか。そんなことは各々勝手に解釈して勝手に決めればいい話かと。




【まとめ】


 好き勝手にグダグダと語ってはみたが、総評としては非常に良い意味で、受け手に解釈をぶん投げ切っている作品ではないだろうか。


 いっそ清々しく、世に出した後のことは知ったこっちゃない、受け手がそれぞれ好きなように受け取ればいいと。偉大なる先達の、創作者としてのスタンスめいたものを感じてしまった作品だった。まあそれも私個人の勝手な解釈であるが。


 とどのつまり、どう受け取ってもいいのだと思う。


 今回の感想及び考察で語った内容も「強いて言えばそう受け取れる」程度のものであり、解釈としてはかなり創作者向きに偏った内容である。主題として挙げた『親子の愛』『人々の絆』『理想郷の否定』という三つも、実を言えば、眞人を始めとした登場人物たちの感情導線としては強力に表現されていなかったりする。イチ視聴者、消費者として見たのであれば、受け取り方はまた大きく変わってくるものだろう。


 色々な意味で考えさせられる作品。受け手がそれぞれの解釈にて、お互いに寄り集まって、ぎゃあぎゃあと好き勝手な感想考察意見を述べ合ってみるのが一番楽しいのではないかと思う。もしこの感想を読んで思うところがあれば、是非に好き勝手にコメントなど残してくれると嬉しく思います。




 割と真面目に語ってしまったなあ……。ジブリ作品をキチンと、感想まで考えたのはこれが初めてなので、良かったのやら悪かったのやら。とりあえずもうちょっとライトな感じで書けると良かったですね。


 まあたまにはこんな感想も良かろうということで一つ。











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