後編
正直、参った。こんなにも苦戦するとは思わなかった。
気づけばこの世に存在し、本能のままに人々に力を貸す契約を交わし続けてどのくらいの時間が経っただろう。
もはや何人目なのかも覚えていないこの度の契約者は、やっと大人の仲間入りを果たしたかどうかという年齢の小娘だ。狙った相手の魂を軽く四桁以上は自分のものにしてきたベテラン悪魔のアタシにとって、簡単に思い通りに出来る好い鴨でしかない存在のはずだった。
それなのに、これは一体どういう事だろう。
「だから、永遠の命だってば。それがあれば、アンタは傷つくことを恐れなくていい。思う存分戦えるし、願いに向かって突き進むことだってできる。いい話でしょう?」
けれど、契約者の表情は渋い。
眉間に皺を寄せているのは傷の痛みのせいだけではないだろう。彼女はアタシを軽く睨みながら言ったのだった。
「いい話には必ず裏があるものだよ。わたしは今の契約で満足している。永遠の命なんてものに興味はないよ」
「どうして? 永遠の命よ。老いることもなければ、死ぬこともない。そうなれば、アンタは今以上になんだって出来る。お友達に会いたいのでしょう? 永遠の命があれば、何も恐れずに真っすぐ会いに行くことだって出来るのよ?」
「その誘いの裏には何があるの? 今結んでいる契約は、死後の魂と引き換えだ。その魂を手に入れられなくなるわけだ。君にとっても望ましい何かがあるんじゃないの?」
「鋭いわね。勿論、あるわ。新しい契約でアタシが求めるのは、生きている状態の魂。アンタの魂を今ここで抜き取ってアタシが食べてしまえば、アンタは永遠の命を手に入れられるってわけ。決して悪い話じゃないわ。たとえ魂を抜かれても、アンタには自我が残る。抜け殻みたいにはならないから安心して」
嘘ではない。本当に悪い話ではないはずだ。この契約はアタシが可能な取引のなかで最も高度なもの。嘘偽りなく、契約相手は永遠に死を恐れなくなる。
けれど、彼女の表情は優れなかった。
「痛みや死に怯えなくて済むのは確かに魅力的だね。でも、やっぱり必要ないよ。永遠の命そのものに魅力を感じない。だって、願いが叶って彼女と再会したあとで、わたしだけ死なないならば、また引き裂かれることになるじゃないか。そんなのは嫌だよ」
強く主張する彼女の目は輝いていた。
この目だ。この目の輝きを始めてみた時、心がときめくのを感じたのを思い出す。
王族でもなければ、何か特別な才能があるわけでもない。世界の片隅にある集落に生まれた、ただの小娘。本来ならば静かに暮らし、それとなく幸せな一生を終えていたかもしれない一般人。
そんな彼女の中に、他の者にはない輝きが宿っていることに気づいた時、アタシは掘り出し物を見つけたと歓喜したのだ。
彼女に力を貸し、願いを叶えてやれば、きっと美味しい思いが出来る。
けれど、彼女は思っていた以上に厄介者だった。
「孤独が怖いの?」
アタシにはよく分からない感情だ。けれど、なるべく想像して寄り添う姿勢を取れるのも悪魔であればこそ。アタシは彼女に言った。
「それなら、お友達にも永遠の命を与えましょう。一人きりで未来永劫彷徨うのは寂しくとも、二人一緒なら話は変わるはずよ」
彼女の瞳が揺らいだ。
本当は、分かっているはずだ。アタシとの契約で超人的な力を手に入れたからといって、それは結局のところ、超人であるという範疇に止まる。
このまま突き進んだって、思い通りの未来が手に入るとは限らない。アタシが何故、当初の契約から別の契約に乗り換えるよう取引を持ち掛けているのか、その理由も何となく察しているはずだ。
今のままでは自分の願いは敵わないかもしれないのだと。
だからだろう。彼女は少しだけ考え込んだ。その末にもたらされる結論が、アタシの望み通りであればいいと淡い期待が生まれる。しかし、期待はすぐに打ち砕かれた。
「悪いけど、その誘いには乗れないよ。彼女がどうしたいか、直接聞いてみないと」
乾いた笑みを漏らしながらそう語る彼女の目には、いつものあの輝きがあった。
期待外れの答え。だが、アタシもきっとこうなると分かっていたのだろう。そんな納得が心の何処かにあった。
そもそも、二つ返事でこの誘いに乗るようであれば、初めからアタシは彼女を取引の相手にしなかっただろう。アタシが彼女に惹きつけられたものの正体は、きっと納得のいかない物事に対して抗いたいという強い心なのだから。
「分かったわ。じゃあ、ぜひとも聞きに行かないとね」
それでは意味がないのだが、致し方ない。呆れ半分のアタシの言葉に彼女は笑みを漏らした。凶暴な大型魔物と戦っている時には微塵も見せないその表情には、年相応の若い娘らしさがある。
ようやく大人扱いされる年齢。悪魔であるアタシからすれば瞬きほどに短い時間しか生きていない彼女。この傷が治って、再び旅に出て、願いを叶えて、望み通りの未来を手に入れて、そのまま長生きしたとしても、アタシからすれば本当にあっという間の月日となるだろう。
ああ、少しだけ気づいたことがある。
何故アタシが新しい契約を持ち掛けようとしたのか。
それは、彼女の事を信じ切れなかったからだけではない。これまで同じ契約を持ち掛けた相手とは明確に違うものがある。
「その代わり、約束してちょうだい」
アタシは彼女に言いつけた。
「今のままで行くつもりなら、願いを叶えずに死ぬのは契約違反よ。アタシは悪魔だもの。違反には厳しい罰則を下すことになる」
「わたしが死んだあとで? 一体どんな罰を与えるつもり?」
「罪を背負うのは死に逃げたアンタではないわ。アンタの代わりに、アンタが助けたいというお友達が背負う事になる」
わざと煽るようにそう言うと、彼女は面白いほどに表情を曇らせた。そして、鋭い眼差しでアタシを睨みつけてくる。そうまるで、先ほどまで死ぬ気で戦っていた魔物を見ていた時のように。
「卑怯だね。さすが悪魔だ。そんな話、聞いていないよ」
「そうね。聞かれなかったもの。アタシが語ったのは、アンタがこの力で願いを叶えた後の対価のことだけ。その対価が足りないまま終わってしまったら、肩代わりしてくれる誰かを捜さなくてはならなくなる。当然でしょう」
彼女は黙り込んでしまった。
いい気味だ。そう思った反面、何処か寂しい気持ちにもなった。
「このアタシの力がなければ、アンタは夢を見る事すら出来ない」
呟くようにそう言うと、彼女は俯いて絞り出すような小声で答えた。
「分かったよ。肝に銘じておく。今まで以上に慎重になると約束するよ」
その表情は弱々しかったが、これまで何度もアタシの忠告をあしらってきた時の表情とはまるで違った。
その表情こそ、間違いなくアタシがひと目で惚れたもの。取引相手なんて誰でもいいわけではない。力を貸し、魂を頂くに値する何かがなくてはいけないのだから。
けれど、この相手はあまりに厄介だ。
「目の色が変わったわね。さすがにお友達の事となると」
お友達。その言葉を心の中で反芻する。
間違ってはいない言葉だ。彼女たちはまだ恋人同士ではないはずだから。それでも、アタシは自覚していた。アタシは、敢えてこの単語に拘っているのだと。
なんて面白く、残酷な相手なのだろう。けれど、これも悪くない。同じような時をただ過ごすくらいならば、悪魔にだってちょっとくらいの刺激が欲しい時もある。だから、感情を燃え盛らせる嫉妬の心も、気を抜くと零れ落ちそうになる涙の気配も、一つ一つ楽しむ余裕がアタシにはあったのだ。
その全てを隠しつつ、アタシは彼女に囁いた。
「約束を守ってくれるのなら、それでいい。今はただ傷を癒すために眠りなさい」
子守歌代わりに魔力をほんの少し吹きかけてやるだけで、彼女はすぐに寝入ってしまった。
心配はいらない。傷はすぐに癒え、再び彼女は前へ進むだろう。今のままであろうと、新たな契約を結ぶ事になろうと、アタシは望みのものを手に入れる事が出来るのだ。
けれど、何故だろう。安心したら少しだけ気が抜けてしまったのだろうか。余裕があるはずのアタシの頬を、一筋の涙が伝っていった。
永遠の命はいかが? ねこじゃ・じぇねこ @zenyatta031
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