永遠の命はいかが?

ねこじゃ じぇねこ

前編

 正直、参った。こんなにも苦戦するとは思わなかった。

 武器や装備品は一流のものばかり。万が一の時の薬も十分揃えていたし、何より、剣を振るう腕だって、誰にも負けないし止められないほどの勢いがあったはずだと自負していた。

 勿論、相手が強いのは分かっていた。近隣の集落で、その魔物の話をすれば、死にに行くつもりなら止めないと異口同音に言われるくらいだったからだ。

 これまでも冒険者の成れの果てはいっぱい見てきたし、あの魔物の周囲にも道半ばで散っていった彼らの忘れ形見がいくつも転がっていた。

 それでもわたしが歩みを止められなかった理由は、その先に広がる未来がどうしても欲しかったからに過ぎない。

 願うだけで良い未来がもたらされるとは思っていない。それでも、もはやこれまでかと何度も思い知らされつつも、わたしは勝利を掴むことができた。

 ただし、無傷ではない。這這の体で歩むわたしの足跡は、赤い。


「あと少しで休息所よ」


 耳元でその場にいない者の声が聞こえる。


「全く、これだから言ったのに。今のアンタには早すぎる。いくらアタシと契約しているからって、自分が矮小な人間──それも小娘に過ぎないことをちゃんと理解しなさいって」


 悪魔リリの声だ。


「でも……勝てた」


 霞む視界に見えてきたのは、リリの言う休息所だった。無人だが頑丈な壁に囲まれ、外敵に怯えることなく誰でも休むことの出来る有難い小屋だ。中に入りさえすれば大丈夫。その一心でわたしは力を振り絞り、なんとか扉を開けて中へと転がり込んだ。

 横に倒れながらもどうにか扉を閉め、部屋の隅へと這ってから懐から出した薬を口に入れる。強い生命薬だが、強烈な眠気に襲われると忠告された。その忠告通り、程なくして瞼は重くなり、辺りが静かになっていった。

 けれど、それも束の間のこと。すぐに真っ暗闇の視界の中に光が集まってきた。現れたのは一人の女性。半人半獣で、山羊のような角とトカゲのような尻尾、そして蝙蝠のような翼を生やした美女だ。

 リリ。普段は見る事の出来ないその姿が、わたしの目の前にあった。


「あーあ、こんなに傷ついて」


 呆れた表情を浮かべ、リリは言った。


「生命薬だって所詮は人間が作るもの。全能なわけじゃない。効かなかったらどうするの。何のためにアタシと契約したのよ」

「妙なことを言うね」


 乾いた笑みがもれた。


「わたしが死んだときは、魂は君のものになるのでしょう。それなのに、君はそんなことを言うんだね」

「おバカさん。事情があるのよ」


 呆れた表情でリリはそう言った。


「アタシが欲しいのは、強い願いを叶えた後のアンタの魂。志半ばで散った哀れな魂なんて求めていないの。契約した時に言ったでしょ?」


 流し目でそう言われ、わたしは苦笑しながら言った。


「そうだったね」


 その悪魔と契約した者。

 並々ならぬ力と引き換えに、死後の安らぎを失うことになるだろう。


 それが、悪魔リリにまつわる言い伝えだった。彼女は強い願いを胸に秘めた者の前に現れ、取引を持ち掛ける。その誘いに乗ってはいけないという話だ。

 言い伝えは言い伝え。死後の事なんてあまり気にしていない。それでも、いざリリと契約を交わそうとした際は一瞬だけだが不安になった。

 リリの話には裏がある。悪魔とはそういうものだ。契約によって力を手に入れ、凶暴な魔物すらひとりで倒せるようになったその代償は、わたしが想像しているよりも重たいものなのかもしれない。

 でも、今はもう怖くない。確実に望ましい未来は近づいてきている。この契約がなければ、この度勝利した魔物にだって瞬殺されていたことだろう。このまま突き進めるだけ突き進んでいけば、いつかきっと彼女に会えるはずだから。


「何にせよ、勝ちは勝ちだよ。君の望みどおり、わたしは願いに一歩近づいた」

「……そこまでして会いたいのね。大切なお友達に」


 お友達。その言葉を心の中で反芻する。

 リリの言う通り、探している彼女は友達に過ぎない。幼い頃、まだ、世界の全てが対等に出来ているのだと信じられるほどに純粋無垢だった頃、わたしと彼女はかけがえのない友達だった。

 その関係は心と体が年を重ね、成長していっても変わらなかった。けれど、月日と共に世の中の事が段々と分かってくると、わたしは、自分と彼女が決して対等な立場にいるわけではないのだと気づいた。

 今でも覚えている。三年前の夏至の頃、彼女は魔族の使いに手を引かれて故郷を去っていったあの日の事を。


「それなら尚更、自分のレベルをちゃんと理解しなさい。アタシの力がなかったら、アンタは今頃、あの怪物の胃袋の中だったんだからね」


 リリはそう言って指をさしてくる。


「勿論、それは感謝しているよ。君に選ばれなければ、わたしは夢を見る事すら出来なかったんだから」


 彼女がいずれ魔族の王のもとに嫁ぐのだと知ったのは、純粋無垢で、まだ世の中がきらきらと輝いているように見えた子供時代が終わろうとしている頃の事だった。

 故郷の娘らが逞しく美しい顔立ちの冒険者の青年に恋をし始める頃、わたしはというと気づけば彼女ばかりを見ていた。

 ただの友達だった彼女への眼差しが変わったのはいつの頃からだったのだろう。今となってはもう分からないが、その感情の正体を知る頃に、わたしは思い知らされたのだ。どう転んでも、わたし達は引き離される。彼女はいずれ、いない者として扱われるのだと。

 これも運命だと彼女は納得していると故郷の大人たちはそう言った。

 けれど、いざ彼女が故郷を去るという直前、わたしと二人きりの時に、彼女は静かに涙を見せたのだった。


 ──本当は離れたくないの。あなたとずっと一緒にいたいから。


 あの時の彼女の顔が、わたしは今でも忘れられずにいた。


「魔族の王のもとへ、か。随分と大胆な夢だこと」


 リリは言った。宙に浮かびながら頬杖を突くその姿は、はしたなくも愛らしい妖精のようだった。


「各地の集落から送り出される花嫁たちは、魔族と人間たちの親交の象徴でもあると聞いているわ。嫁いだ娘たちがどのように暮らしているかは外部には一切知られていない。それが一生続くの。いわば、無力な大勢の人間たちのための生贄のようなもの。そんな花嫁に手を出したりすればどうなることやら」

「でも、その願いを叶える力すら君にはあるのでしょう?」


 そういう契約のはずだ。疑ってなどはいない。悪魔は嘘をつかない。下心や言葉に裏はあっても、全くの嘘出鱈目を口にすることはない。そういう存在なのだ。

 リリは高らかに笑い、それを認める。


「ええ、その通り。こう見えても悪魔ですもの。魔族の王だって、ともすればアタシとの契約を欲しがる瞬間があるかもしれない。そのくらいの可能性は秘めているはずよ。……でも、契約する前にも言ったでしょう。いくら可能性があっても、アタシは全知全能の神ではない。それに、アナタの願いを何があっても絶対に叶えてしまえるほどの呪力があるような非常に高位の悪魔というわけでもない。そうでなければ、アンタがこれほどまでの深手を負ったりしない」

「分かっているさ。こう見えても反省はしているんだよ。次は気を付ける」


 そう言ったものの、リリは白い目でわたしを見つめてきた。


「信じていいものかしら。人間って善良そうに見えて嘘つきばかりだもの」


 どうやら信頼はされていないらしい。


「契約して時間も経てば、アンタの性格くらい分かってくるわ。今はこうやって反省できても、また頭に血が上れば分からなくなる。こんなにも冷や冷やする契約相手は初めてよ。……だから、アタシ、考えたの。新しい契約を結ばない?」

「新しい契約?」


 問い返すとリリは深く肯いて、わたしの手を取り訊ねてきた。


「ねえ、アンタ。永遠とわの命に興味はない?」

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