第15話 おさない かけない しゃべらない

前が見えない。

目玉が潰れたかとも思ったが、かろうじて明暗は感じる。

わかった。この笠が原因だ。多分さっきの一撃で覗き穴の部分が潰れてしまっている。

おそらくこの辺りだろうと見当をつけ、指でほじくりそっと穴を開ける。

見えた。

見えなきゃよかった。

おそらくはサチとかいう奴が元いた詰所、その中に自分はいる。

そしてその向こう側、地獄の赤い空を背景にゆっくりと近寄ってくるものが一つ。

表情の消え失せた顔で、サチがゆっくりと歩いてくる。担いだ金棒が、赤い光を受けて嬉しそうに煌めいている。

粉々に壊された木片を蹴散らして距離を詰めてくる。

「参ったなぁすっかり騙されちゃったよ。」

全然参ったというような声色じゃない。

「まさか獄卒を謀るアホが出るなんて思いもしなかった。あはは…」

穏やかな口調ながら、振るう金棒は全く重量を感じさせない。

そうかしまった。多分、俺が地獄に落ちてきた直後までしかサチは見ていないんだ。だから、俺の記憶の有無については全く把握していない。つまり、サチにとって俺は、『獄卒のフリをしたうえに、他の亡者に手を出してそれを咎めた相手を叩きのめしたクソッタレ』という具合になっているのだろう。

サチが鋭く息を吐き、それと同時に金棒が奔る。

笑えるぐらいの破壊が巻き起こった。

金棒の動線上にあった全てが豆腐の様に潰れ、藁のように吹っ飛んだ。

さっきとはまるでレベルが違う。多分、今俺が避けられたのもさっき拾った妙な銃から入ってきた経験のおかげだ。しかし、それは少しも迷う事なく逃走に向けて体を動かしているのだから、間違いなく俺の勝ち目は無いのだろう。

「分かってるよねぇ?もしも亡者が獄卒を、万が一にでも傷つけたらどうなるか。おめでとう。君は晴れて無間地獄の刑だぁ。中央に送るついでに家具にしてあげるからさ、じっとしてよねぇっ!」

続けて、二度、三度目の打撃が暴れる。

もはや条件反射的に飛び退き辛うじて避けているが段々体が追いつかなくなってきている。

しかし、それにしたって視界が悪い。さっきから三回ほど攻撃を避けているが、恐らく溜まった埃がそれによって巻き上げられているのだろう。

また、サチが金棒を構える。回避態勢を取ろうとして気がつく。

もう後ろがない。ダメだもう、いや待てあれは

黒い軌跡が、ギリギリで持ち上げた袋ごと自分を叩く。呆気なく袋は破れ、殺しきれなかった衝撃が軽々と自分を吹っ飛ばす。部屋の端から端まで飛ばされて壁にぶつかる。

…一体どれだけこの服は丈夫なのだろう。クッション有りとはいえ、全く痛くなかった。凹んでこそいるものの、穴などは空いていない。

視界を前に戻す。

部屋中に白い煙が充満している。破れた袋の中身のせいか。

視界が悪いこの機会に乗じて逃げ出したいが、おそらくは外であろう方向に薄く見える人影が一つ。

見事に逃走経路が塞がれている。

こちらから打てる手は何もない。しかし向こうは視界が晴れてからトドメを刺しに来るだろう。何か、何かないか…

考えても考えても何も浮かばない。


そして、そのうちに気がつく。粉塵を巻き上げただけにしては、いまだに視界が晴れない。それどころか、モヤは益々濃くなっている様な…。

「火事だ!」

声が聞こえた。言われてみればかなり煙臭い。だけどそんな馬鹿な。こんなクソ熱い場所で火事なんか起こるのか。ハナから燃えにくい素材で作ってあると思っていたが。

というか、さっきまで何もなかったのにこんなに早く火が回るものなのか?

どうもそれは向こうも同じらしい。かなりの狼狽えぶりで、外に出ようとしてしくじったのか、すっ転ぶ。その上で方向を見失ったらしく、適当な方向に見当をつけて金棒を振り回し、壁を壊して逃げようとしている。

笠の力なのか、煙の中でも全く苦しくない。

パニックになっているサチを尻目に外に出る。


全くもっておかしな表現だが、「地獄絵図」だった。

俺のいた建物だけじゃない。そこかしこから火の手があがり、火だるまになった亡者が助けを求めてあちらこちらに走り回って、挙句にはどこかの屋台に突っ込んでさらに延焼させている。

では獄卒はといえば、頭の帽子に火がついていても全く平然としているあたり別に熱くはないらしいのだが、生前の記憶のせいか炎に恐怖を覚えている者が多いらしい。すっかりこちらもパニックになっている。

肉の、髪の、木の、藁の焼ける匂いがそこかしこから漂っている。

この短い時間に一体何があった中まるで見当がつかない。この狼狽えようからして、普通はここで火事なんて起こらないらしい。という事は、何かイレギュラーがこの街で起こったという事だ。

しかし、その最たる俺はさっきから死ぬ気で逃げ回っていただけだ。

待てよ、あと一つ元々この街になかった物がある。それは


凛子の顔が、目の前に現れた。


街の外に置いてあった筈の馬もどきの馬車に乗っている。

「乗って!」

一も二もなく飛び乗った。

ガラクタを押し除けながら転がれば、いきなり目が合った。

「「うわぁっ!」」

ハモった。よくよくみれば、俺が助けた獄卒だ。

「なんなんですかアンタいきなり!訳わかんないですよ!」

尤もな意見だが、自分だって事態が飲み込めているわけではない。取り敢えず無視をして凛子のいる方向に顔を出す。

「おい、一体どうなってるんだよ、何でいきなり火事になるんだ。」

すると凛子振り向く事なく、呟くように言った。

「…そこの、クーラーボックスみたいなのありますでしょ。その中身を辺りに放り投げまくったんです。」

言われて探せば、確かにそれらしき物がある。開けようとして、その蓋にあのクソ悪趣味なテレビショッピングのロゴが刻印されていることに気がつく。形容し難い気分になりながら開いてみると、中にはオレンジ色の氷とでも形容すべき物があった。

「なんだこれ。」

「大灼熱地獄の炎を、大極寒地獄で冷凍してきてたんです。なんかの役に立つかと思って。」

「いや、訳がわからないんだけど。」

「大灼熱地獄の炎は決して消える事はありません。ですから、冷凍したところで一時的にその力を封印されるだけなんです。」

「…はっ?じゃあ、つまり、アンタは、消えない炎をそこかしこにばら撒いて火事を引き起こしたって訳かよ⁉︎」

そこまで言い切った瞬間、ついに凛子が振り返り

「あのですね!貴方がこんな馬鹿騒ぎ起こさなければこんな事する必要も無かったんですよ!まだ聞きたいことがあるなら後で話しますから、しばらくはじっとしてて下さい!」

そう言ったきり凛子は窓を叩きつける様に閉めて、馬車の中には肌色の大地を駆ける蹄と、阿鼻叫喚の叫びの音しか聞こえなくなった。



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