第14話 カツ丼くらいあってもいいのに
いた、凛子だ。
もう無理だとゼエゼエ抗議する肺の主張を却下して、勘弁してくれとばかりに痛む足の回転数を上げ、そして可能な限り生臭い空気を吸い込み、
「りんこおぉーーーーーーっ!」
もう目立つ事なんてどうでもよかった。一刻も早く凛子と会って、誤解を解いてもらうしかなかった。
最後の力を振り絞り残り50メートル近くを駆け抜ける。
「…り、りん
「この人です!この人この人!」
いきなり遮られた。
見れば、さっきとは真逆、つまりちょっと小さい背の獄卒がこっちを向いて喚いている。
「サチさん、おかしいんですこの人!いきなり現れてユキさんに因縁つけるわ、ユキさんの獄卒は攫うわ、その挙句追い付かれたら反対にのしてしまうわでもうメチャクチャなんです!早くどうにかしてください!」
潤んだ目玉で抗議するその視線の先には、目を丸くしている、サチさんと呼ばれた少し変わった獄卒。制服のデザインが少し豪華だ。もしかして階級的なものが上の存在なのだろうか。
「あー、君、その、うーん…」
急に振られて困ったのか、少し間があり
「あー…こういうトラブルに関わるのは初めて?」
と言った。
初めてもクソもない。地獄に来てからどころか、生前の記憶すらない。つまり、俺は人生の記憶が全くと言っていいほどないのだ。知ることなす事全部初めて。赤ん坊の様なものだ。
「初めて、です。」
するとサチは見るからに面倒くさそうな顔をして…頭をふり、なぜかシャドウピッチングをして、そして少し悲しそうな目でもといた建物の方を見やると、視線をこちらに戻した。
そして
「ええと、私も久しぶりだから不手際があったら申し訳ないんだけど、私の上級獄卒の名の下に君はこれから簡易裁判にかけられます。」
そう言って、ぴらりと付いている赤いリボンの様なものを指差した。やはりそういう事だったらしい。
「まぁ裁判とはいうけどさ、要は私が話を聞いて、そんでどっちが悪いか決めて、それで罰を下すっていうヤツなんだけど…おーけー?」
「おーけーです。」
「話が早くて助かるよ。秀子ちゃんから聞いた感じ会話もできない野蛮人みたいな印象だったからさぁ…ねぇ?地獄って閻魔様から離れた場所ほどデンジャラスなイメージだし、君の格好からして少しビビってたんだよね。」
トントン拍子で話が進む。喋り方は力が抜けた感じだが、存外仕事はできるタイプなのかもしれない。
「あ…分かってるとは思うけど、嘘は通用しないからね?鏡の力は君だって知ってるでしょ。」
鏡。凛子が最初に俺にかざしたアレか。記憶を読み取るとか言っていたが、亡者だけじゃなくて獄卒にも効くとは。
「ヨシ。それじゃあ早速始めよう。まず聞くけれど、さっき秀子ちゃん、そこのちっちゃい子が言ってた事は本当?」
「言ってた事って、その、俺が攫ったり殴ったりって話ですか。」
「それ以外ないでしょ。分かりきった事の確認は心象を悪くするよ。」
「…本当です。」
「あそう…マジか。」
「ちなみに、原因は?」
「事の発端って事ですよね。」
「そー。」
「その、俺はちょっと困った事があって、道端を歩いてた亡者の人に尋ねたんです。そしたら、凄く感じよく、丁寧に教えてくれて。」
「…そんなんで感動したの?獄卒の頼みを断る亡者なんているはずないだろうにさぁ…それで?」
「何か用事の途中みたいだったから急ぎ目で解放してあげたら、行ったそばからぶっとばされて来て。」
「ほう。」
「酷い怪我してたし、お世話にもなったから頭に来ちゃって。それで…」
「ふぅん…分かった。なるほどね。」
取り敢えず、ここまで話せば誤解はないだろう。ただ、問題はどういう判決をこの人が下すかという事だ。
やや垂れ目でぼんやりした感じの顔だが、それ故に表情が全く読めない。
「まぁ、大体決まったかな…じゃあ、最後に一個だけ。」
「なんですか。」
「なんでこの街に来たわけ?その格好、大灼熱地獄のヤツだよね。なんでそんな所からここまで来たのか、気になるな。」
難しい質問だった。これに素直に答えると、「そもそも出身はそこじゃないし、来た理由は凛子に連れられたから。」が答えになる。しかしながら、当然そんな事を言っても信じてもらえないだろう…いや待てよ。鏡がある。これを使えば、一発じゃないか?それにどうも彼女は役人のようだ。俺みたいに記憶をなくしたイレギュラーはこういった公式の人間を頼るのが一番かも知れない。今までは凛子しか頼るアテがないから従うだけだったが、今こうして新たな選択肢を含めて考えるとそちらの方がいいのかも知れない。ならばここは…
「その、原因はわからないのですけれど、記憶が飛んじゃってるんです。気がついたらその辺をこの格好で歩いてて、その内にここを見つけて…ていう感じですね。」
「記憶がない、ねぇ?」
案の定怪しいと思われた様だ。しかし伏せた部分はあるとはいえうそではない。
そして、アレコレと考えた末に、サチと呼ばれる獄卒は言った。
「うーん…あの、言いにくいんですけれど、アナタ有罪です。」
…まぁ、なんとなくそんな気はしていた。
「ここに来た事自体はともかく、他人の亡者に手を出す事、しかもその動機が亡者に同情してという事ですからね。その果ての暴行という事になると、ちょっと正当防衛とは認められません。」
そっと凛子の方を見る。苦々しい顔。恐らくは言っている事は本当なのだろう。
「それに、心身喪失の線も難しいですね。記憶を無くしているなんて、聞いたこともないしちょっと流石に信じられません。」
「…分かりました。じゃあ、俺が有罪だとしてどんな罰を受ける事になるんですか。」
「…まぁそうですね。取り敢えず私の身元で拘束させて貰います。」
「具体的にはどのくらい」
「まー取り敢えず短めに見積もって一年程度ですかね。」
冗談じゃなかった。
こいつら、長く暮らしているせいか時間感覚がビロビロに伸びてしまっているらしい。
まさか本当に一年も拘束される訳にはいかない。こうなれば最後の手段だ。
「あの、信じられないというなら、鏡を使えばいいじゃないですか。」
話せば話すほど自分でも信じられなくなる様なこの状況も、彼女たちの信頼しているその鏡に映せば何よりも固い証拠になるはずだ。
ところが、サチは信じられないという顔でコチラを凝視している。
「えっ…それ、本気で言ってるんですか。」
「本気ですよ。疑われるくらいなら、自分を曝け出した方がマシです。それに、知られたくないどころか、知られてもいいような過去すらありませんから。」
尚も何か言おうとするサチを制し、「さぁ」と顔を近づける。
サチはそれ以上何も言わずにそっと鏡をかざした。
鏡を挟んで二人向き合ったまま、時間が過ぎてゆく。
表情は見えない。
そろそろ終わっただろうかと口を開きかけたその時、気づく。
ここまでの話は、俺が「獄卒」であるという前提のもとで進んでいた。もしも自分の正体が亡者だと露呈したらただでは済ま
もう一瞬、早く思い至るべきだった。
金棒が避ける間もなく顔面に迫る。
かろうじて感じたのは、さっきのがくすぐったく思うほどの衝撃。
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