第13話 変質者現る

ふわぁと、あくびを一つ。

退屈だ。退屈で死にそうだ。いや、地獄だから死んだりはしないけれど、それくらい退屈だ。さっさと午後になって野球中継が始まらないだろうか。


役所務めなんて退屈なものだ。やりがいが無いとは言わないが、刺激がない。毎日ハンコで押した様な変わり映えのない仕事をこなしてしまえば、後はもうぼんやりとテレビで野球を見るしか楽しみがない。判定にキレて審判をバットで撲殺するバッターやら、デッドボールの報復合戦で選手の頭数の削り合いに発展する様な試合が恋しい。


…でもまぁそういう変わり映えという意味では、さっき来た獄卒は、なかなか面白かったかもしれない。

まず出だしからこうだった。

「明日以降の、地獄予報が欲しい。」

地獄予報というのはつまり、閻魔大王の癇癪に伴った地殻変動やら地獄飛蝗の進路やら、硫酸雨やらがいつ起こるかという予報のことだ。

そういった情報はラジオで聞けないこともないがパーソナリティが適当な事ばかり抜かすので信用度は「行けたら行く」程度には低い。だから、信用できる情報が欲しいときはここの様な役所へ来るわけだ。ここは本部との中継場の様な役割をもち、中央からの方針や指令を伝える都合上、最新の情報がいつも伝わってくる。

だが、問題はそこではない。地獄予報を聞くという事はつまり、外で起こる問題を前もって知ろうとするということ、即ち外へ出ようとしているという事だ。それはおかしい。普通獄卒というものは飽きもせず亡者を拷問する事に生きがいを覚えるものだ。余程のことが無ければ外に出ようなどとは考えにくい。現に、以前地獄予報を尋ねられたのなんて300年近く前のことだ。

それだけではない。その反応もおかしかった。

私は不思議に思いつつも、本部からの予報をそっくりそのまま伝えた。

当分は地獄は穏やかであること、反対に、虹海から

の鮭の俎上が発生しているのでチャンスであること、強いて危険があるというなら、一部地域で強酸性雨が起こっていることも。

すると、彼女は

「できるだけ発生している地域を詳しく教えてくれ」と言い出した。

おかしい。なぜなら、私たちは、まず地獄の酸性雨程度では何ともない。亡者なら三分で骨だが、私たちにとってはただの雨とも変わらないのに。


不意に、外が騒がしいことに気がつく。何だろう、また前みたいに大ザリガニが井戸から溢れたりしていなければいいけれど。あの時の様に大事になれば午後の楽しみの野球中継が見れなくなってしまうかもしれない。

少し様子を見ようと席を立った時だった。

「サチさん!」

見慣れた顔が飛び込んでくる。秀子だ。可愛い顔して、皮の剥ぎ方に定評がある。いつも穏やかな雰囲気なのに、この表情は尋常ではない。

間違いなくトラブルだ。残念ながら今日の野球は諦める事になりそうだ。

「どうしたの?」

「ユキさんが、ユキさんが…!」

要領を得ない言葉。だがしかし内容の想像はつく。ユキというのは比較的昔からいる獄卒で、一際亡者への憎しみが強い。恐らくは生前の出来事が原因なのだろうが聞いた事はない。全員傷を持つ者同士、過去の詮索はしないのが暗黙の了解となっているからだ。

しかしまぁ、その態度から想像がつかないでもない。あの子が地獄に堕ちてきた時期は、地上ではとりわけ女に厳しい時代だったから。

だがそのせいかユキは時々やり過ぎる事も多々ある。罪の程度が低い獄卒に対しても行きすぎた罰を与えるし、生来のものなのか場を仕切りたがり、罪物を集めたがる癖がある。そのせいで他の獄卒とトラブルになる事も時々あったが、今回はそれが高じて大きなトラブルになったといったところだろう。

…まぁ、ザリガニに比べればマシだ。そう思って鎮圧用の金棒を手に取った時だった。

「ユキさんがやられちゃいましたぁ!」

やられる。

懐かしい言葉だった。しかしそれ以上に衝撃的だった。コレは千年前の、地獄甲子園大革命以来聞いていなかったのに。

獄卒は死ぬ事はない。しかし、強い衝撃を受ければ気絶する事はある。それにしたって、普通の武器では効果がない。何かしらの曰くを持つ獲物でないと傷一つつかない。つまり、獄卒には獄卒でないと傷を与えられない。となれば、ユキをやったのは同じ獄卒ということになる。

しかしこの街にはそんな大した事しでかす奴なんて…


突如、先程の見慣れぬ獄卒の姿を思い出す。

まさか、あいつが。


嫌な予感を胸に、扉を蹴破る様に飛び出せば、そこには、あんぐりと口を開けているさっきの女が突っ立っていた。

「あいつです!」

後ろから秀子の声が飛ぶ。

「…あの女が?」

反射的に返すと

「違いますあっち!」

指を辿れば、不審と呼ぶ以外にない人影がこちらに走ってきていた。

この場にふさわしくない見慣れぬ衣服。あれは確か、大灼熱地獄のものだったはず。そして背中には薄桃色、つまり比較的軽微な罪を犯した亡者を背負い、大ぶりな動作で走ってきている。

そして極め付けに

「りんこぉーーーっ!」

と手を振っている。

呼びかけられたその女は、ぼんやりと突っ立ったまま、何が何やらわからないと言いたげに静止している。あっけに取られた様な間抜けな顔。

だけど私も、多分同じ顔をしている。

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