第11話 負けイベントかよ

失敗した。多分だけど、生前の俺はあんまり思慮深い方じゃなかったと思う。後先考えずに行動して、そしてその結果に後から頭を抱えるタイプだ。そうに違いない。


すぐ後ろから怒声が響いてくる。何事かとこっちを振り返る人混みを押し除けて、凛子が歩いて行った方角目指して走り続ける。息が苦しい。背中の男が重い。


一瞬、人がはけた。待っていましたとばかりに、風切音。

かえって、見えなくて助かったかもしれない。反射的に横に飛び退けば、さっきまでいた場所に炸裂音と共に黒い跡が刻まれる。無論、それを刻んだ縄なんて見えるはずもない。


再び人混みの濃いところの中に割り込み、向こうの凶器の使用を牽制する。


何やら後ろで怒鳴っている様だが、そこに裂けるだけの脳のリソースは残っていない。ところが、ただでさえ酸欠で喘ぐ脳みそは天邪鬼なのか、どうでもいい事、例えばさっきの出来事をリフレインし続ける。


あの時は、つい義憤に駆られて飛び出してしまったが、考えてみればそもそも地獄では死んだって蘇るのだ。今ここでトラブルを起こす方がずっとまずい。

…なんて事は分かっているのだが、どういう訳だが背中の男を下ろす気になれない。下ろす瞬間、肉体の均衡が崩れてすっ転ぶかもしれない…みたいな理屈を言語でなく概念的な意識で思うが、それだって多分言い訳だ。

俺を走らせているのは多分「このままここに置いて行ったら、この男は多分ひどい目に会う。そんなのは、可哀想だ…」みたいな、子供じみた理屈。

俺って、存外いい奴なのかも知れない。でも、いい奴だったら地獄になんて落ちてこないよなぁ…普通。


いらん事考えてたツケが回ってきた。気がつけば大広間の様な空間、縄の使用を躊躇する様な要素は何もない。おそらくは声を聞きつけて退避していたのだろう。

早く、また紛れなければ。

周りを見まわし、他の通路を発見する。ありがたい事にいい感じに混んでいる。

右足を踏み出す。

左足は踏み出せなかった。前に繰り出した左足は、地面を踏み締める前に黒縄に捕まった。

引き倒す、なんてレベルではない。比喩でも何でもなく、体が浮いた。宙を浮いて体が引き寄せられる。

虚無僧笠の隙間から、ものすごい勢いで地面が下から上に流れてゆき、そして、目の前に目尻の吊り上がった顔面が


衝撃。


上も下も分からなくなり、全身に何かがドカドカとぶつかり、そして見える景色が肌色の地面と赤色の空とを激しく切り替えた末に、止まった。


どうも、殴られたらしい。しかしその割には痛くない。凛子にもらったこの服のおかげだろうか。目は回るが肉体には問題がなさそうだ。

縄に捕まった時に落とした男もすぐそこに見える。どうにかして縄を一発かわして、そしてまた逃げよう。

そう思って立ち上がる。

無理だった。左足は動くものの、右足がいう事を聞かない。見れば、180度までしか伸びないはずの膝が、限界を超えて240度くらいまで曲がっている。

痛くないのは、ただ単に麻痺しているだけだったらしい。

再び風切音。今度も避けられなかった。万力のような力で締め付ける縄はそのままの力で俺を引き寄せる。内臓が全部背中にくっつくような加速度。そして、肉体が手に捕まって急停止した。今度は腹部側に内臓が押し付けられる。息ができない。吐き気がする。

笠越しに声が聞こえる。

「お前…何がしたいんだ?男の身でこの街に入ってきたかと思えば、私の亡者を連れ去り、その果てに捕まった上に反撃すらしない。」

何がしたいかなんて、自分が一番知りたかった。

「ふん。ダンマリか…まぁいい。とりあえず動けなくくらい痛めつけたら、この街から叩き出す。」

動けなくなるくらい。獄卒基準でそれなら、亡者の肉体たる俺にとっては死刑宣告に等しい。

まぁ、死んだことがないわけでもない。ただ、問題はその後だ。凛子は俺を見つけてくれるだろうか。この街には人以外にも犬が彷徨いている。喰われて吐き出されてグチャグチャになったりしたら、凛子は俺を見つけてくれるだろうか。

そう思うと急に怖くなった。

鞭を掴んでいる方の腕が振り上げられる。

殴られる瞬間は見えなかった。

凄まじい速度エネルギーが肉体に与えられ、冗談のような勢いで地面を転がってゆく。どういう素材なのか、殴られた事による痛みは一切ない。ただ、この暴力的なまでの速度に、肉体がついて行けない。あり得ない角度での地面との接触により、関節がが許容範囲を遥かに超えた力を受け、呆気なく壊れてゆく。地面との1度目の接触で肩が抜け、2度目の接触で足首があさっての方向を向いた。

やっと運動エネルギーを消費しきった頃には、体は少しも動かなかった。多分、次の一撃で死ぬだろう。

ふと、目の前に薄桃色のボロを着ている男が目についた。思えば、災難をかけてしまった。俺が話しかけたばかりに多分トラブルに巻き込まれたのだろう。だがもう、弁解をするだけの体力すら残っていない。

足音が聞こえる。死神の足音だ。いや、死んでいるのにそれはおかしいか…なんて、変な事を考えている自分の脳みそを殴ってやりたくなる。

足音が止まった。

「かつかつ」

足音の主は、確かにそういった。いつかのように、肉体が心地よい空気に包まれたように楽になる。気がつけば、全身の痛みは無くなっていた。

「あんたいつまで寝てるの。とっとと起きろ。」

どうも、向こうの男を起こす為の呪文だったらしい。

意識を取り戻したのか、のっそりと薄桃色の後ろ姿が動くのが見える。

油断をしたのが行けなかった。笠で隠れているという慢心もあった。

目が、あった。その視線が、ゆっくりと下半身に移る。そして、正常な角度に収まっている膝を見られた。

もう目は見えない。見れば、射すくめられたように動けなくなるだろうから。

「あんた…亡者だったのね。あはっ、あははっ!予定変更。喜びなさい。アンタ、フルコースよ。はらわたを抜いて焼いたら、残った全身を家具に加工してあげる。その過程の途中、私はあなたを何回でも生き返らせるの。生と死の反復横跳びを、アンタは永遠に続ける事になるの。」

そっと声が近づいてくる。囁くように、そっと。

「あはは、言っておくけど、発狂なんて抜け道があると思わないことね。私たちの肉体が特別丈夫なように、アンタたちの心も特別丈夫に作られてるの。そうでなきゃ、罰を受ける意味がないでしょ?」

逃げなければ、逃げなければ。

尻餅をついたような格好で後ずさる。

と、何かが手に触れた。男が持っていた、荷物だった。

この際なんだって構わない。ただ、少しでも抵抗できれば何だって、ズタ袋を引き寄せ、そこから飛び出た棒状のそれを



溢れ出したのは、怒り。

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