第10話 男女トイレを間違えるとこんな感じ
「なぁ、罪によって命を落としたってつまり…」
「平たく言えば、誰かによって殺された。ということになりますね。」
合点がいった。凛子達獄卒の、亡者に向ける憎しみの理由がわかった。当然だ。
だが、引っかかる事もある。
「…なぁ、確かに復讐って事ならアレくらいはするのかもしれないけれどさ、地獄って…別に人殺しばっかり落ちてくるわけじゃないだろ?確か…いや、記憶がないのに確かってのも変な話なんだけども、ちょっとした罪でも地獄に落ちるはずじゃなかったか?例えば、嘘をついたり、虫を踏んだりとか。その程度の相手でもあそこまでやれるもんなのかな。」
「あぁ、それなら大分前に変わりましたね。やっぱり、価値観を現代風にアップデートしていかないと不平等だと言う事で、かなり前に改正されまして。多分今は地上の刑法と同じ様な感じです。だから虫けら踏み潰した程度じゃ別に量刑には影響したりはしません。」
「へええぇ…結構地獄ってのは柔軟なんだな。」
「そうですね。閻魔大王様が割と適応力のある人みたいですよ…まぁ、会ったことなんてないのであくまでも噂ですけれど。」
そう言うと、男はそっと目を落とした。
視線の先には、デカいズタ袋と、そこから飛び出た布で包まれた細長い何か。
…そうか、そういえば何か急いでいる様子だったな。これ以上引き止めるのも申し訳ない。
「や、そういえば何かやってる途中だったよね。ごめん引き留めて。もう行って良いよ。」
そう言うと男はほっとした様子で
「すみませんありがとうございます。」の、「が」の部分で荷物を肩にかけ、「す」の部分でこちらに背を向け駆け出していた。
…よっぽど急いでいたらしかった。ちょっと申し訳なかったかな。
瞬く間に彼の姿は人混みに消えてゆき、行く先々のどよめきだけが彼の行先を教えてくれた。
急ぐのは仕方ないが、またぶつからないと良いけど。
そう思った瞬間、誰かが叫び、何かが飛んできた。
幾多の肉壁をものともせず、それは破壊的な速度で人間雑貨屋に突っ込む。苦悶の表情を浮かべる人面バックカバーが、贅沢に人間丸々一つ使いましたって感じの椅子が、恐らくは首飾りであろう耳が数珠繋ぎになったアクセサリーが、陳列棚からあちこちにぶっ飛ぶ。
その代わりに陳列棚の上で転がっているのが薄桃色のボロを着た、ついさっきまで自分と話していたあの男だった。
慌てて駆け寄り、気づく。両膝が曲がってはいけない方向に曲がり、恐らくは殴られたであろう顎が「真横」を向いている。そして何より目立つのは、真っ黒な、まるで鞭で打たれた様な痕跡。これだけの怪我、意識がないことだけが救いか。
ざわめきの中、一際目立つ音が聞こえる。ゆっくりと、彼が飛んできた方向から何か柔らかいものを踏み締める様な、「ぎゅっ」という感じの足音が聞こえてくる。
見えた。
凛子と同じ服。しかし、身長は10センチくらい凛子よりもデカい。眉間に皺を寄せ、一言。
「どけ。」
「断る。彼が何をしたって言うんだ」
空気が凍る。
反射的に答えてしまった。さっきまで獄卒として振る舞っていた意識がまだ残っていたのだ。
「…お前、よそ者だな。格好からして、多分大焼灼地獄のヤツか。何しに来たのか知らんが、ここにはここのやり方があるんだ。邪魔をするな。」
よせば良いのに、もう引くに引けない。
「そんな事関係ない。俺はさっき彼に世話になったんだ。せめて理由くらい聞かせてくれ。」
返答はない。ただ、十秒ほどの沈黙。そして。
「まず、その格好がおかしいと思ったんだ。身長が高すぎる。そしてその声。ちょっと、低すぎる。それで今度は『俺』とな。」
「何の話だ。」
「お前、男だろ。」
瞬間、全身に何かが突き刺さった。
そっと周りを見回す。
怒りに燃える目が、俺を取り囲んでいた。中には、腰に下げた物騒な鞭や刃物を取り出そうとしている者すらいる。
「ちょっと待て、悪いが、俺は訳あって地獄の事情に疎いんだ。男だと何の問題があるんだ。」
「知らんとは言わせんぞ。ここは灼熱地獄。色欲の罪を裁く刑場。ここにいる罪人どもはみんな自分の身勝手な欲望の為に罪を犯した。そして私たちはみんなその欲望のために命を失ったんだ。」
気がつく。見かけた獄卒が全員女だったことに。
気がつく。ボロを着た人間が、みんな男だった事に。
気がつく。俺を囲むその目のいくつかが、赤く充血していることに、潤んでいることに。
ゆっくりと、周りにできた人間の輪が縮んでくる。
「獄卒同士の闘いは御法度だが…因果応報、天網恢々。これが地獄の定めだ。閻魔様も分かってくださるだろうよ。」
そう言って背の高い獄卒は、腰から縄を取り出した。真っ黒い、不気味な縄だった。
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