第7話 今時テレビショッピング使う人とかいるんだ
馬車から飛び降りると途端に熱気が全身を包んだ。サウナなんて目じゃない。瞬く間に皮膚がじりりと焼け、口から水分が飛んでゆく。
意識が霞んで倒れそうになった瞬間、後ろから掴むてに引き戻された。そのままの勢いで荷台の床に投げ出される。
霞んだ視界にヌッと顔面が近づく。よく見えないけれど、これは多分怒った顔だ。
「あなた馬鹿なんですか?仮にも地獄、しかもご丁寧に『灼熱地獄』なんて名前がついてるんだから普通熱い事くらい予測つくでしょうに。」
「あ…ごめん。」
「全くもう…ほら、これ使ってください。」
そう言って凛子が差し出したのは、何やら瓢箪と厚みのある蓑のようなものだった。使えと言われてもこれがなんだか見当もつかない。
ぼんやり眺めている俺に痺れを切らしたのか、凛子は蓑を床におろし、空いたその手で俺の顎を掴んだ。そしてそのまま、瓢箪の先端を俺の口へ突っ込んだ。
ひんやりした液体が喉の奥へ流れていく。心地よさが産んだ錯覚だろう、そのまま液体が全身まで浸透したような錯覚さえ覚える。
「…あーっ生き返る!」
「全くもう…瓢箪といえば水が入っていることくらい普通わかるでしょう。」
「いや、そう言われてもなぁ…」
まだ小言が来るかと思ったが、凛子は憮然とした顔のまま蓑を拾い上げて俺の体に巻き付け始めた。
実に奇妙な感覚だった。僅かに落ち葉のような匂いがする蓑が体に巻きついた途端、何か冷たいものを感じた。例えるなら、イタズラで背中に雪を入れられたような…そんな冷たさだった。
そして点在していた冷感はどんどんその範囲を増してゆく。
「それ、氷結地獄からとってきた氷柱が編みこんであるので溶けることなく中の人間を冷やし続けてくれるんです。通販で買って高かったから、壊したり汚したりしたら承知しませんからね。」
氷結地獄って何かとか、そもそも通販ってあの悪趣味なアレのことかとか書きたいことはたくさんあったが、それどころではなかった。今度は寒すぎるのだ。最初は心地良かった冷気も限度を超えれば熱気と変わらない。地獄というのは加減を知らないのだろうか。このままでは心臓が止まりかねない。
たまらず馬車を飛び出して熱気を浴びる。忘れていた。顔と足は無防備だった。たちまち熱で焼け始める。息も苦しくなって思わず息を吸えば鼻の奥が焼けた。目も開けられない。
熱気の中でもかろうじて機能していた耳が、ため息を聞き取った。スパンと頭に何かがかぶせられる。途端に熱気が緩み、心地よい冷感が顔を包む。次いで足が持ち上げられて何かがはめられる。こちらも心地よい冷感がある。
目を開ければ視界が暗いことに気がつく。顔の肌触りから察するに、被せられたそれはおそらくは虚無僧のように顔全体を包む仕組みになっているのだろう。
薄暗い視界の向こうで不機嫌そうに眉を顰める凛子が見える。
「あのですね、馬鹿なんですか、あなた。胴体を包んだからって外に飛び出すのは、宇宙服の服のところだけ着てヘルメットを着用しないで宇宙に飛び出すようなもんですからね。考えたら普通わかるでしょう。それとも暑さで頭が馬鹿になっちゃったんですか?」
「いや、違うんだよ。寒すぎたんだ。」
「…寒すぎた?」
いまいちピンと来ていないようだったので加えて説明する。
「つまり、この蓑は冷房機能があるみたいだけども効きすぎてるんだよ。俺にとって。」
「あ、そうだったんですね。私が来ても涼しい程度だったので全く気がつきませんでした。」
そんな馬鹿な。この寒さを「ひんやり」程度で済ませるのは人間ではあり得ない…いや、待てよ。
改めて凛子を見る。なんの変哲もない服、何見てんだよと言いたげな顔。無論、汗ひとつかいていない。
「…熱くないのか?」
「全くなんとも。ほんのりあったかいなぁくらいですね。」
「お前本当に人間かよ。」
「違います。獄卒です。あなたとは根本的に種族が違うんですよ。あなたは地上の肉体のままここにいますけど、私たちはここで生きるための肉体を持っていますからね。例えば人間は水中では息ができませんけど、お魚にとってはその水こそが空気であるように、地獄に生きる鬼にとってはこの血生臭くて粘っこい地獄の空気も私たちにとっての初夏のそよ風みたいなものなんです。」
「へぇ…そういうもんなのか。」
「そういうものなんです。さ、具合も問題ないみたいですしそろそろいきましょうか。」
無駄話はコレまでだとでも言いたげに凛子はおもむろに歩き出すと、俺の背後に向けて歩き出した。
出来るだけ目を背けていたかったが、もう、そうも言っていられないらしい。
覚悟を決めて振り返る。荷台から一瞬見えたアレは見間違いではなかった。自分が振り返って認識するまでは存在は確定しない、と縋っていた勝手な願望は、堂々と存在する「それ」に壊される。今まで散見されてきたそれとは明らかに格が違う、反吐を吐きたくなるような凄惨さ。
肌色。
一面の肌色が向かう一面を染め上げていた。それが何かなんて容易に想像がつく。だって、「肌」色なのだから。少しでも、そこに近づく時を先延ばしにしたかった。しかし、凛子から離れすぎるわけにもいかない。
ゆっくりとゆっくりと、揺らぐ蜃気楼の向こうからその全容が明らかになってゆく。
気分が悪くなり目を細めて下を見る。
見なければよかった。
目があった。いや、なかったと言うべきか。
瞳のない人間の顔が、そこには薄っぺらく存在していた。
視界を、ゆっくりゆっくり、前へと滑らせてゆく。
そこにはまるでタイルのように一面に敷き詰められた人面皮が感情のない顔で虚空を見上げていた。
一歩、歩くたびに柔らかな感触が伝わってくる。柔らかくそして、ぬめりをもった感触が新品の藁靴の裏から伝わってくる。
あと、どれだけ歩くのだろうか。
揺らぐ蜃気楼のせいで遠くまでは見渡せないが音だけは聞こえる。叫び声と、笑い声。だけどきっと、楽しくて笑っているわけじゃないだろう。
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