第6話 それ絶対馬じゃないよ

延々と続く真っ赤な荒野を荷馬車は飽きもしないでひたすら走り続ける。

当然街の舗装なんてされておらず乗り心地は最悪だ。最初のうちは良かったもののだんだん尻が痛くなったきたのでその辺に転がっていた死体の服を拝借しては積み重ね、座布団兼布団にした。

地獄に堕ちたのにさらに罪を重ねるのはいけないのではないかと思い尋ねると、「悪人に対する悪事は総合で考えれば収支ゼロだからまぁセーフです。」との事だった。そう言われるとなんだか座り心地も悪くないような気がしてくるから不思議だ。

 突然、地鳴りがした。しかし別段驚くような事でもない。おそらくは…ああ、やはりそうだ。荷台のカーテンを開いて外を覗けば案の定ムカデがいた。それもただのムカデではない。足の一本一本がおよそ1メートルほどの太さがあり、それが百本近くより集まって百メートル近い肉体を支えている。胴体そのものもかなり巨大で、黒光りする肉体は赤い地獄の光を反射してまさに怪物と言った様子である。土埃を巻き上げて、地面から巨大な肉体をずるりと抜き出している。しかしまぁ、だからと言って驚くようなことはない。

最初の頃は死ぬほど驚き正直少し漏らしたりもしたが、今となっては恐るるに足らない相手だ。

やはり今までのムカデと同じように頭を正反対の方向へ向けて一目散に走り始めた。そう、アイツは食事をしに出てきたのではなく逃亡の為にする為に地上に顔を出したのだ。たった一台の、馬車を恐れて。

いや、「馬車」と読んでいいかどうかは怪しいラインだろう。なぜなら、今自分たちがいる荷台を引くその生物はどうみても馬ではないからだ。黄色い乱杭歯、それも犬歯臼歯が出鱈目に生えたものが口唇を突き破って生えている異形の口、皮膚は爛れたようにびらんがあちこちから垂れており、触ると液を噴出して萎む。脚に至っては、パッと見た限り間違いなく10本近くは生えているはずなのに何度数えても6本までしか数えられない始末。

だが、りんこが言うには、これは馬らしい。口論しても仕方ないし、実際コイツはきちんとその役割を果たしているから文句はないから一応は納得している。

じゃあそのりんこはと言えば、ムカデの逃亡による地鳴りで荷台が揺れるのも構わないで一心不乱に荷物の確認をしている。

「ええと、六文銭はよし、こないだ通販で買った不貫靴は入れた、地図は最後に入れるとして後はそうだ、ムチも持ってかなきゃ…」

何やらぶつぶつ言いながら、デカいカバンに次から次へとよく分からない代物を取り出しては詰め込んでゆく。

「なぁ、あんた。

「あんたじゃなくて、名前で呼んでください。」

「いいのか?」

「これからしばらくは一緒に旅するわけですから。まぁそのくらいの馴れ馴れしさは許してあげますよ。」

「…そうか。それならりんこ、ちらっと聞きたいんだけど、まだ荷物の確認は終わらないのか?かれこれ一時間くらいやってる気がするんだけど。それに、行く前に何回もチェックしてたろ。」

「はぁ〜これだから素人は…。」

そういうとムカつくため息をつきながらこちらへ何かを投げ寄越す。

拾い上げてみると、それは丸められた紙だった。広げると何か茶色っぽい下地に赤やら紫やらの暴力的な殴り書きが書き込まれている。しかし何より気味が悪いのは、妙に生暖かいと言う事だ。まるでさっきまで誰かが尻に敷いていた座布団のような微妙な温度だ。

「それ、地図です。私がメモをしておきましたから、その通りに辿ってみてください。そうすれば大体の旅路がどんだけ大変で、ちょっとやそっとの準備で済むものじゃないってのがわかるはずです。」

分かるわけがなかった。メモというのはおそらくはこの荒れ狂ったミミズの痕跡のような筆跡の事を言っているのだろうが、こんな物が読めるわけがない。もしも読めたなら間違いなく生前の自分の職業は暗号解読士とかだろう。

「…ちなみに、念のためきいてもいいか?これ、なんて書いてあるんだ?」

そう言っておそらくは現在地であろうところの文字を指さす。なぜそうわかったかと言えば、さっきの家らしき白い模様が地図の中に書き込まれていたからだ。

実にめんどくさそうな顔で振り向き、「焼灼地獄」と答える。加えて、「こんなのも読めないんですか?まさか漢字の記憶までも喪失してたりしませんよね?」と言ってくる。

どう考えてもそうは読めない。それをそうと認めてしまうのは、漢字の歴史への冒涜にすら思える。半ばムキにになって他の文字も聞く。

「じゃあ、これは?」

「黒縄地獄。」

自分の目には、阿波踊りをするハリガネムシにしか見えない。

「コレは?」

「釜茹で地獄。」

どう解釈しても、片羽を捥がれた羽虫の軌跡にしか見えない。

「…コレは?」

「針山地獄。」

排水溝に詰まった毛髪をそのまま叩きつけたようとしか形容できなかった。

「まったく…こんな簡単な漢字すら読めないでどうするんですか。その調子だともしかしてひらがなすら読めなかったりするんですか?」

漢字とかひらがなとかいう問題ではないが、言ってもしょうがないので黙っておく。と、思っていたのに

「ほら、コレが、【あ】で、コレが【お】です。」

違いがわからない。どうも、自分にはどう頑張っても解読は不可能なようだった。これ以上読んだら馬車酔いしそうだったので適当に読んだフリをして突っ返す。

りんこは何やら納得していない様子だったが、読めた読めたと言い張って荷造りに戻させた。

「あ」

凛子が声を出す。

「どうした。」

「これ…」

そう呟く凛子の手にはあのお守りが握られていた。不思議な出来事だった。全く記憶のないはずの自分が、あれを握った瞬間に意識が溶けた。そして、まるでタイムスリップしたように、何かの感覚がフラッシュバックした。そして、どう言うわけか「凛子」と言う名前までも口をついて出た。

何か地獄特有の現象なのかと尋ねたが、凛子曰く他に聞いたこともないと言う。

…なんの根拠もない話ではあるが、もしかしたらアレは自分の生前にゆかりのあるものだったのかもしれない。そうでなくてはあの懐かしいような感覚のフラッシュバックの説明がつかない。

だが本当にそうなら自分が地獄に来る遥か前からここにいる凛子の名前を思い出せた説明にならない。まさかとは思うが自分は本来地獄の住人だったのかもしれない。

…いや、いずれにせよ旅を続ければいつかは分かる話だ。

「そのお守り、渡してもらってもいいか?もしかしてずっと持っていたらまた何か思い出すかもしれない。」

「…ダメ、です。これは、ダメです。」 

なんとなく返答はわかっていた。これを握って、蘭子の名前を呼んでからというもの、ずっと様子がおかしい。なんというか、少し丸くなった。今座っている座布団の確保だって、出会った頃の感じではおそらく許してはくれなかっただろう。きっとあのお守りは彼女にとって特別な意味を持つのだ。だからこそ、なおさら気になるのだけれども。

「そうか。あんな奥の方にしまってあったならよっぽど大事なもんだろうし別に無理にとは言わないよ。だけどその、良ければそのお守りがどういう…うわっ」

問う前に馬車が揺れた。「馬」が金属の弾けるような鳴き声を上げ、荷台の壁が軋んだ。一瞬遅れて熱がじわじわと壁から床から伝わってくる。

凛子の方を見れば、ちょっとした迷路なら作れちゃうんじゃないかと言うくらいに眉間に皺を寄せて、ぼそりとつぶやいた。

「もうすぐ付きますよ。ゴミクズたちの世界、灼熱地獄です。」

そっと荷台から顔を出せば、限界まで熱した鍋の蓋をとった瞬間のような熱気が顔にかかった。たまらず引っ込み少し息を整えてからそっと外を覗けば

そこには「地獄」があった。




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