第2話 「ない」って事には気づきにくい

「獄法第四条により、あなたには説明を受ける義務があります。」

 すまし顔で女の子はそう言った。

 何、何だって?地獄?異世界はどうした。チートの説明をしてくれるんじゃないのか?

 パニックになる俺を意にも介さず女の子は淡々と続ける。

「あなたも重々承知している事とは思いますが、貴方は地獄に堕ちました。これから苦行と拷問を受けていただきますが、それも自身の穢れ切った魂の浄化の為です。そもそも地獄に堕ちたのはあなたの悪因悪果が原因なのですから、覚悟を決めて亡者としての人生を送ってください。」

「は、え?い、いやちょっと待ってくれよ。」

「あぁ、心配しなくてもこの後のスケジュールなら説明してあげますよ。そうですね、ここからなら刃の竹林が近いのでそこにしましょう。とりあえずはそこで手足がなくなるまでブレイクダンスを踊ってもらいましょうかね。あ、つれて行くのはもちろんさっき貴方を叩き潰した悪鬼がやってくれますよ。一人で行くと多分道中で死んじゃいますからね。」

「いやそうじゃなくてだな、もしかしてここ、本当に地獄なのか?」

「もしかしなくてもそうですよ。閻魔大王にきちんと説明されたはずなんですけどねぇ。あ、そうだ。その時に罪状と量刑をまとめた紙を渡されたんじゃないですか?アレを見せてもらえないとこっちとしても罰が下さなくて困るんですよ。」

「いやいや知らないよ全く覚えがない。そもそも俺は気がついたらここにいたんだから。」

 すると女の子は少し考えて、ポンと手を叩くと

「あぁ、分かりました。結構いるらしいんですよ現実が受け入れられなくてデタラメ言う人。でも地獄で嘘をつくと言うのはよくないってことくらい知らないんですかね?全く心だけじゃなくて頭まで悪いとは本当に救えませんね…。」

 女の子がガサガサと懐を漁ると中から手のひらほどの手鏡が出てきた。

「ふふん。貴方もこれに見覚えがあるでしょう。コレでもすっとぼけられたら褒めてあげますよ。」

「いや、悪いけど全くわかんないんだ。何コレ。」

「…まぁ、その肝の座り方だけは褒めてあげますよ。いいですか、コレは携帯浄玻璃鏡です。閻魔大王が持ってる生前の行いを映し出すあの鏡の、携帯バージョンです。ですから、いかにあなたが天才的な詐欺師であっても、その行いの記憶は全てこの鏡の中に晒されると言うわけです!」

 鼻息も荒くまるで菊の印籠のように見せつけてくるが、いかんせんまったく覚えがないのでリアクションに困ってしまう。

 丸い手鏡の中に自分の顔が見える。見慣れた無気力な顔が焦点の合わない視線をこっちへ向けている。しかもちょっと笑える事に、いかにも死人らしい白い三角の布が頭についている。

「あれ?」

 声に頭を上げれば、勝ち誇っていたはずの様子が少し崩れている。何か不調でもあるのか、電池のわずかなリモコンみたいに手鏡をバシバシと叩いている。と言うか、仮にも地獄の神聖な動画を模したものにそんな扱いをしてもいいのだろうか。

 振ったり叩いたり回してみたりと鏡に一通りの拷問

 を加えた後、苦虫を噛み潰したような顔で女の子は言った。

「…信じられない事ですが、鏡が壊れてしまっているようです。いやしかしそんな話聞いたことありませんし、」

 そこまで言いかけて女の子は急にこちらを向いた。

「あなた、名前を言えますか。」

「急に何だよ」

「いいから。」

 何が何だかわからないまま自分の…あれ?

 女の子はやはりと言う顔をして続ける。

「好きなご飯、死んだ原因、飼っていたペットの名前。何か一つでも思い出せたなら教えてください。」

「そう言われて、やっと気がついた。」

 意識して、初めてないことに気づく。

「ある」ことに気づくのは簡単だが、それの必要に迫られるまでは「ない」ことに気づくのは、とても難しい。

 例えば、財布をどこかに置き忘れたとして、それに気づくにはジュースでも飲もうかとポケットに手を突っ込む必要があるみたいに。改めて自分の脳みそを隅々まで見回しても、かけらほども見つからない、あるはずの物。

 恐ろしい事実に、息が詰まる。いや、無いはずがないのだ。だって、俺には常識がある。少なくとも、俺が今まで生きてきた世界において必要不可欠な知識と経験が、間違いなくあるのだ。だから、「それ」だけがないなんてことはあり得ないのだ。


 俺は、誰だ?

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