第弐回 消えた桜の樹の事 並に久月さんと親しくなろうとした事
この高校に入学して二週間が経った。しかし、問題がある。それは久月さんと私はあの部活勧誘合戦を華麗にスルーして今はどこにも所属していない。校舎から中庭を眺めると用務員のおじさんがゆっくりと箒で落ち葉を払いながら、巡回している。
そんなことよりも問題がある。
それは、久月さんとどのようにしてさらに近づけるかという難題であった。彼女自身はいつもボーッとしていて、適当な話題を出そうにも彼女はただただ微笑んで、こちらの話を聞いているだけのようだ。
友人兼護衛役としてもっとお近づきになるべきなのだが、彼女は俗世間から離れていたこともあって、なかなか話題が噛み合わないし、まだぎこちない。
「アニメとか漫画とかゲームとかはやる?」
「いえ、ほとんど見た事もやった事もありませんね……。すみません」
こんな感じである。
「じゃあ、久月さんは何か趣味とか、そういうのはある?」
しばらく考え込んでから久月は答える。
「茶道や日本舞踊などは嗜んでおりますが、趣味かと言われるとわかりません。強いて言うなら、お恥ずかしいのですが、観察……でしょうか?」
「観察って?」
涼は驚いて、久月さんを見つめ直す。
「周りの人の様子や変化を眺めていることです。例えば、涼さんは少し緊張しているようなときに顔やどこかを左手で扇いでいますよね。なにか手を動かしていないと落ち着かないように見えました」
「えっ、そうかな? あっ確かにいつもそうかもしれない……。人と話すときとか焦っているときとか、左手を扇ぐことがあるかも。貧乏揺すりのような感じだけど、気づいたらやっていたんだ」
「今も左手を少し扇いでいますね」
私はそのとき咄嗟に硬直したが、無意識のうちに左手がひらひらと動かしていたようであった。
「そのような人の癖や変化を見ているのが楽しいんです。あまり良い趣味ではありませんが……」
先日の料理研の超激辛カレー事件を思い出すと、彼女はあの副部長が誰も気づいていないうちに、指をさりげなく入れ替えていたことに気づいていたのは、久月菜乃香のみだった。それもその彼女の細かく鋭い観察力によるものであったのであろう。
しかし、これといって趣味がないとなると話題に困る。それは当然彼女も気がついていて、申し訳なさや困った感情がごちゃ混ぜになって、どうしようかと悩んでいるように見えた。
「あっ、今度の日曜遊ばない? とりあえず遊べばお互いを知れるかも……」
私は苦し紛れになんとか校外で遊ぼうと提案してみたが、彼女は少し戸惑った様子で、
「良いですね! あっそういえば私たち、まだ連絡先も交換していませんでしたね」
その言葉にハッとさせられた。確かにその通りだ。友人兼護衛のくせに入学から二週間、連絡先も交換せず、ただ学校で顔を合わせて、休み時間に特になんともない話をするだけの関係であった。
これで一歩。私は引っ込み思案なところがあり、常に受動的なものである。そんな自分自身から行動に移すできたことは、小さな一歩であるが、私にとっては大きな一歩であり、誇らしい気持ちになった。しかし、彼女のほうから連絡先交換を先に提案されたことについては、ちょっと口惜しかったり申し訳なかったりして複雑な気分だった。
そんなこんなで久月さんと雑談をしている最中、クラスの男子が友人に向かって焦ったかのように話をしていた。
「だーかーらー! 昨晩忘れ物を取りに学校を行ったら、桜が咲いていたんだよ! でも今朝来た時にはそれらしいものなんてなかったんだ。おかしいだろ?」
それに対して彼の友人は、
「何かの見間違いだろうよ。だいいち、まだ四月の初めころなんて北海道は桜はまだ咲かないのはお前も知っているだろうよ。咲くとしても、四月の後半だ」
だが、彼は必死に弁明をする。
「だから、おかしいんだよ! しかも今朝来たらそんな桜なんてなかった。おかしいとは思わねえか?」
彼はうちのクラスの高部克起。陸上部所属でマラソンランナーであり、将来はオリンピック選手になるかもしれないと有望視されている、スポーツ推薦でこの学園に入学した人物だ。明るい性格で男女問わず、入学から二週間足らずで友達が多くでき、クラスのムードメーカーにもなっていた。
そんな高部の大きな声の話を久月菜乃香はじっと見つめていた。それに気づいたのか、高部は、こちらに歩み寄り、向こうで笑っている男子を一瞥して、
「なあ久月さん、古代さん、訊いてくれないか? あいつらったら俺のことぜんっぜん信じてくれねえんだよ」
久月さんの目は少し輝いているように見えた。
「どういうことでしょうか? 気になりますね」
高部克起は腕を組み、昨日の出来事を回想し始めた。
「あれは、俺が昨晩、今日の課題があるのに教科書やノートを全部机の中に忘れて帰っていたんだ。せっかくだからと、いつもは公園を走るんだが、なんとなく冒険的な気分でルートに変えたんだ。夜の学校はどんな感じなんだろうなって。まぁ、夜の校舎はひっそりとしてはしていてところどころ電気はついているが、なかなか不気味だったな。で、すると、学校の入り口から少し離れたところ庭のほうでぼんやりと桜が咲いていたんだ。そのときは『もう桜が咲く季節かぁ。今年は早いなぁ』とか思っただけで、すぐに教室に行って忘れ物をとったわけだ。また玄関から出て、ちらっとその桜のほうを見たけど、満開の桜の樹の周りが少し外灯に照らされていてピカピカってきらめいてんだよ。遠目だけど綺麗なピンク色がハッキリと見えたんだ。ところが、今朝、学校に来てみると、桜の樹はなんかまだ咲いてすらいなかったんだよ。これはおかしいと思わないか?」
久月さんは頭を傾げた。彼女は、北海道出身ではないのでピンときていなかったようにも見えた。
「この時期はまだ北海道は桜が咲かないんですよ」
私は補足してあげた。
「北海道でも函館の方は早いけど、ここら辺は早くて四月中旬から五月の初め頃咲くんだよ。ちょうどゴールデンウィークに咲くからお花見のお祭りが行われるところも多くて、バーベキューやジンギスカンをやるところが多いんだよ。まぁこの時期に早咲きしていても満開にはならないと思うけど」
彼女は感心していた。どうやら道外出身者なのか、珍しいと思っているようだ。
「高部さん、その桜を見た時間は覚えていますか?」
「え? そうだな、ちょうど八時半くらいだったと思うよ」
久月さんは考え込みだした。
「あの、校舎のどの辺にあったのでしょうか?」
「ああ、ちょうど、校門の左横の先生たちの車とかが停まってる場所だった」
私たちも登下校時必ず見かける場所である。そんなところに桜が咲いていたとは昨日を思い出してみても、なかったように思える。
「だからおかしいんだよ。なあ久月さん、お前この前なんか事件解決したらしいじゃん。もしかしたら学校の七不思議的なものかもしれないし、久月ならわかるんじゃないか?」
高部の目がきらきらと輝いて久月菜乃香を見ている。先日の激辛カレー事件の話がいつの間にか広まっているようだが、大袈裟すぎやしないだろうか……。久月さんは、
「いえ、大したことはしていません……」
なんて謙遜している。そんなことないのに。「でも、その一晩にして消えてしまった桜、気になりますね!」
好奇心旺盛な彼女は見事にその件に食いついてしまった。
「久月さん、桜とか詳しいの?」
彼女は照れながらも、
「いえ、植物に関してはあまり……」
「じゃ、じゃあ、園芸部に訊いてみない? あそこなら何か知っているかも……」
彼女は好奇心旺盛で観察力や洞察力は飛びぬけているようであるが、流石に専門知識はあまり持ち合わせていないらしい。私も植物に関してはあまり知らないどころか、小学生のときの夏休みに朝顔の観察日記をつけていたが、育て方がへたっぴで観察日記をつけ始めてすぐに枯らしてしまった経験がある。桜についても、どのような品種があるのかも知らないが、北海道の桜の咲くころくらいは知っている程度である。
私たちは、早速園芸部の部室の戸をノックした。が、返答はない。
「もしかして、外に出ているのでしょうか?」
「……たぶん」
我々は早速、校舎を出て園芸部がいそうなところを回った。
案の定、校舎の中庭の家庭菜園場のようなところに園芸部らしき人たちが数名いた。
「あのーすみませーん!」
彼女は大きな声で声をかける。園芸部の人たちがこちらを向いた。
「園芸部の皆さんお聞きしたいことがありましてー! お時間大丈夫でしょうかー?」
それに応答するように一人は大きな丸を描いた。
「入部希望の方々ですかー?」
彼女らが園芸部のようだとわかり、近づく。
「いえ、私たち、ちょっとした調査をしていまして……」
園芸部員たちは少し残念そうだ。久月菜乃香は申し訳なさそうに用件を話始める。それに対して園芸部の女子たちは、少し話し合い、
「あぁ、それなら部長さんのほうが詳しいかも。たぶん今は校舎表の花壇にいると思いますよ」
「ありがとうございます」
久月さんと私は園芸部員たちにぺこりと頭を下げ、早速校舎表の花壇に向かった。
そこには、丸く屈んだ女子が土を丁寧に弄っていたり整えていたりしていた。
「すみません、園芸部の部長さんでしょうか?」
彼女が声をかけると、丸く屈んだ官女がこちらを向き立ち上がった。少し大柄だが、穏やかそうな様子がこちらにも伝わってくる。にこやかな表情をして、
「はい、あたしが園芸部部長兼農業クラブ部長の福羽歩莉です」
なんと農業クラブの部長も兼任しているとは。腕を見ると力強そうな腕っぷしをしている。彼女は農家の娘なのであろうか、と自分なりに推理してみる。久月菜乃香も驚いたようで、
「へえ! 農業クラブの部長さんでもありますのね! 二つの部の部長を兼任しているとは大変ではありませんか?」
「いやあ、そんなことないですよぉ。うちは農家で酪農もしているんで朝早くから家の農作業の手伝いなんかもしているんです。だからこんなこと朝飯前ですよぉ」
珍しく私の推測通りだった。私は心の底で少しガッツポーズをした。
「ところであなた方は……?」
「申し遅れました。一年A組の久月菜乃香と申します」
「あ、私も一年A組の古代涼って言います」
「あら、あなたが久月さんだったのね。噂には聞いていましたよ」
一体どんな噂なのだろうか。赤い振袖か、以前の騒動を解決したことか……。
「入部希望だったりします? 大歓迎ですよぉ」
久月さんは申し訳なさそうに、
「いえ、入部希望ではなく、ちょっと部長さんに訊いてみたいことがありまして……」
と、高部克起が見た桜の話をし始めた。
福羽部長は腕を組み少し考えだし、
「うーん……。この学校の桜は校門前から壁に沿って並ぶ二十本と中庭の二本、グラウンドの少し離れたところにある一本の大きい樹だけ。で、今年の桜まだ蕾で、たぶん開花するのは、早くて来週末からゴールデンウイーク前。その高部君というのは何か見間違えたんじゃないかなぁ?」
福羽部長は校舎にある桜の樹の数を全て把握していることに驚き、私はつい訊いてしまった。
「えっ福羽部長はこの学校の桜の樹の数を全て知っているんですか?」
その質問に福羽部長は照れながら、
「桜の樹だけじゃないよ。白樺の樹やチューリップ、向日葵、スズラン、ミズバショウ、ツツジ、キキレンカ、クレマチス、あとうちで育てているサボテン、サフィニア、ミリオンベル、マム、サンク・エール、スミレ、ウインティー……他にたくさんあるけど全部どこにいくつ生えているかわかりますよ」
す、すごい。花の名前はよくわからないが、それら全てを何本あるか把握しているとは。
久月菜乃香も感心したらしく、「凄いです!」と手を叩いている。
「それで、その高部君が見たっていう、桜なんだけど、まずありえないよね。しかも翌日にはなく、失くなっていたなんて。場所も校門の左横でしょう? あそこには桜の樹はないの。あるとすれば、白樺、イチョウ、モミジ。花ならツツジ、ムスカリ、シラー、アルケミラ・モリスくらい。しかもあたしは毎朝六時に登校して校舎の花の水やりや畑の様子を見まわりしているのだから、一夜にして咲いて失くなるなんてことあったらすぐ気づきますね」
久月さんは少し考え、福羽部長に深々と頭を下げた。
「どうもありがとうございました。ちなみにその中で桜のような色の花がなる樹や花はありますか? 梅みたいな……」
「うちには梅の樹はないですよ。うーん……ピンク色の花が咲くのはチューリップかツツジくらいかなぁ……」
「ありがとうございます。また何か気になったことがあったら来てもいいですか?」
福羽部長はにこやかに、
「いいですよ。こんなに可愛らしいコスモスみたいな子ならいつでも歓迎しますよ。そちらの菖蒲みたいにかっこいい子も」
花に例えられてもよくわからなかったが、福羽部長はとても人当たりの良い人物であった。
福羽部長は「ちょっと」と私たちを止め、二本の草を取ると、
「四つ葉のクローバーを見つけました。キリスト教の聖パトリックは四つ葉の三つ葉は『信・望・愛』で、四枚目の葉を幸福と呼んだそうです。お二人に差し上げますね」
そう言って四つ葉のクローバーを渡してきた。私はなんだか照れくさい気持ちになった。久月菜乃香は「まあ! ありがとうございます」とにこやかな笑顔を浮かべていた。
校舎に戻るとすぐに図書館に向かった。この学校の図書館は大きく、体育館のように別棟にある。久月菜乃香が何故すぐさま、図書館に向かったのかは教えてくれず、不思議だった。ただ「ちょっと気になることがありまして……」だけ。
図書館の中は当然静かで、図書委員の他は三名ほどの生徒しかいない。一人は勉強をしているようで、もう一人はなにやら小説を読んでいる様子。もう一人は机に突っ伏して眠っているようであった。
彼女は迷うことなく、花・樹木図鑑を探し出してきて机に座った。私はその様子を隣の席で見ていた。
「あっ」
彼女は小さな声をあげた。
「どうしたの?」
「もしかしたら、これかもしれません」
そう言って見せてきたのは、エゾムラサキツツジと書いてある花と写真であった。
一般に、ツツジは桜が咲き終わるころに咲き始め、晩春から初夏に見頃を迎えるが、北海道のエゾムラサキツツジは桜よりも先に咲く。葉の展開に先立って花をつける。花の色は紅紫色で、花径は二十五ミリから三十ミリくらい。花冠は五つに裂けて平らに開く。雄しべは十本と書いてある。
「もしかすると高部さんはこれを桜と見間違えたのでは……」
と、私がつぶやくと、久月さんはあっさりと否定した。
「いえ、これではなさそうですね……」
天然の罠に引っかかってしまった。
「でも、もしもこれだとして、一夜にして失くなったっていうのはどういうことなんだろう……」
「もう一度、高部さんに訊いてみたいことがありますね」
ちょうど高部克起は、部活動の真っ最中のようで、グラウンドを走り回っていた。
「高部さーん!」
彼女が声を張り上げるとグラウンドの向こうにいた高部克起は、こちらに気づき、グラウンドを半周して、こちらに向かってきた。
「おう。久月さん、古代さん。何かわかった?」
高部克起の額からは汗がしたたり落ちているが、表情は笑顔であった。
「あの、高部さんに尋ねたいことがありまして……」
高部は不思議そうな顔をする。
「その、夜に忘れ物を取りに行って、玄関からその桜を見たとき何故、桜だと思ったのですか?」
高部は思い出すように頭をゴリゴリと掻いた。
「そうだな……あっ! ちょうどその桜だけライトアップされていたんだよ。周りが暗かったけど、ぼんやりとピンク色に光ってた」
「その時学校にはどなたかいらっしゃいました?」
「うぅん。どうだったかなぁ。生徒はいなかったと思うけど……」
「わかりました。お忙しいところ失礼しました」
久月さんは深々と頭を下げた。
「いやいや別に大丈夫だよ。いつでも来いよ。もしかして、もうあの謎が分かったのか?」
「恐らくですけど、見当はつきました」
高部克起は驚いた顔をして、
「凄いな! 名探偵かよ」
久月さんは、首を横に振り、
「いえ、まだわかりません」
久月さんと私は、校舎内の用務員室へと足を運んだ。彼女は、私に何もその理由を教えてくれなかった。ただ、「簡単な謎かもしれません」とだけ言ったのみだった。
警備室のドアをノックする。
「失礼します」
そこには人のよさそうな初老の男がいた。彼は警備員でもあり、この学校の用務員も務めている小谷さんという方であった。
「おや、どうしたんだい?」
得能さんはにこやかな顔で我々を出迎えてくれた。久月さんは早速、話を訊く。
「ちょっと調べごとをしていまして……。昨晩の八時半ごろですが、用務員の小谷さんはどこで何をしていましたか?」
用務員の小谷がどこか困惑したように頭をかいた
「うーん覚えてないなぁ」
と、汗を拭きながら答えた。
「最近桜を見ました?」
用務員の小谷は少しギクリとした表情を浮かべた。
「さぁ……」
彼女は間髪入れずに質問を続ける。
「昨晩遅く、誰か校舎にいたりしました?」
「うーん。演劇部の子に倉庫のカギが借りにきたくらいだね30分程度で戻って返しに来たよ……それ以上は良く知らないね……」
私は直感した。この人は何か隠している。彼女も察していたようであるが、それ以上追及しようとはしなかった。
「演劇部に行ってみましょうか」
久月さんは私の袖を引っ張って、演劇部の部室に向かう途中に何かに気付いた。
「これは……?」と彼女は言いながら、地面から小さなきらきらと光る破片を拾い上げた。 「キラキラ光る……紙?」
私はその破片を見つめ囁いた。
「ホログラムラミネートフィルムの一部ですね」
「なんでこんなところに落ちているんでしょう……」
「わかってきたかもしれません
と、そう言い、」演劇部の部室へ向かった。
演劇部の部室は美術室の隣で様々な道具や板などが散乱していた。
「すみません演劇部の方はいらっしゃいますか?」
奥から、一人女子がひょこっと顔を出した。
「あら、いらっしゃい。入部希望? あ、私、芥すみれ。一応演劇部の部長やっているわ」
久月さんは深々とお辞儀をした。
「その、演劇部の大道具について少しお聞きしたいことがありまして……」
芥部長は少し残念そうな顔を浮かべたがすぐに取り戻し、
「何かしら?」
「演劇部って背景や道具も作っていますか?」
芥部長は少し考え込んでから、
「そうね。たまに美術部の人が手伝ってくれるけど基本は私たちが作っているわ」
久月さんは驚いたように、
「まあ! 背景や道具も手作りなんですね!」
芥部長は少し照れくさそうな顔をした。
「うちの二年の天才がいてね。毎回凄いアイデアを出してとても精巧な道具を作ってくれる大道具係がいるのよ」
芥部長は少しため息をつき、
「ただ、こだわりが強くてねぇ。私たちの想像を超えてくることが結構あるんだけど、凝り性のせいで締切を守らないのよ」
久月さんがその言葉に反応して、
「その大道具係の方のお名前は……?」
「成田岩雄っていう二年A組の人ね。今日は特に用事がないから自転車で帰ろうとしているんじゃないかしら」
久月さんは慌てて、
「涼さん! 行きましょう!」
芥部長にも深いお辞儀をしてすぐに外へ出た。駐輪場に向かった。
「成田さん!」
その掛け声に一人こちらを見た。彼が成田岩雄であろう。
「え? なにか?」
久月さんはお辞儀をして、
「初めまして。一年の久月と申します。成田さんにご確認したいことがありまして……」
成田の額には汗が見えた。
「昨晩、遅くまで学校内にいましたよね?」
成田はぎくっとした反応を見せた。
「ま、まぁ……。演劇部の次の出し物の道具作っていたら夜遅くなってね……」
久月さんは不思議そうな瞳を成田に向ける。成田も彼女からずっと見つめられてぎこちない。
「本当のことを教えていただけますか?」
***
成田は観念したように語りだした。
「うちの顧問と部長にもう要らなくなったって桜の樹の大道具を外の倉庫に片付けておけって言われていてね……。まぁあんな大道具でも時間かけて作たんだから少し愛着が湧いてた。だけど、ガッツリ忘れた。そのまんまにしていたら雷落ちそうだし……八時半前に焦って学校に戻って……」
久月さんが後をつなぐ。
「用務員の小谷さんから倉庫の鍵を借りて、急いで部室から運んでいたのですね」
久月さんの推理はこうだ。
四月前半の北海道では桜は咲かない。目撃された『桜』は別のもの。
夜間、遠距離、街灯の弱い明かりに一瞬照らされた桜の樹、それはつまり、精巧な人工物が桜に見えた可能性が高い。
校内で桜に見えるほど精巧な人工物があるとしたら、大道具を制作する演劇部か映画部がであろう。
昨晩、高部克起は夜の校舎に忘れ物を取りに来た際、演劇部の成田岩雄は用務員の 小谷から外の倉庫の鍵を借りており、これは頼まれていた桜の樹という大道具を片付けるためだったのではないか。
倉庫までの道中、剥がれ落ちていたラミネートのかけら。これは人工物の証拠。
そして夜八時半ごろ、ちょうど高部が目撃したときには成田は美術室から外の倉庫へ運んでおり、その桜の樹は外灯の近くにあった。外灯の光にラミネートを施した桜の花がキラキラと光りを放っていた。
つまり、目撃された桜の樹は『使い終えた演劇部の大道具』が夜間に運搬される途中であり、翌朝には倉庫に片付けられたため消えたように見えた。ということである。
同じ時間にうっかりさんが二人いたということでこの一夜にして消えた桜の樹騒動は久月菜乃香によってあっさり解決された。
成田は「部長や顧問には内緒にしててくれ」と言っていた。恐らく用務員の小谷にも口止めしているのだろう。
久月さんはどこで気付いたのだろうか。
「用務員さんと演劇部長さんの話を訊いた時点で全てわかりました」
と、にこやかな笑顔を向けた。私も笑うしかなかった。
「ところで……今度のお休み、どちらで遊びましょうか?」
油断していた。また、先に越されてしまった……。
「雪結庵のお店でお茶でもしませんか?」
彼女は眼を輝かせて、
「まあ! 私もちょうど行きたいと思っていたところです! 楽しみにしていますね」
そう言い、久月菜乃香は迎えの車に乗り込む途中「では日曜日に」と優雅に帰っていった。
私っていつも後手後手だな……と感じた。とりあえず日曜、覚悟しておこう。
了
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