第5話




「今日の放課後のあれ、違うから」




 前回より少し遅くなった夜、また私の部屋のベッドの上で向かい合ったユウは、申し訳なさそうにそんな言葉を私に差し出す。

 あれとは、なんて聞く必要はない。そう“お願い”したのは私であり、その事を気に病んでユウの交友関係に問題が生じる方が私には気がかり。

 これに甘く応える事も、関係を長持ちさせるための秘訣。




「大丈夫ですよ。ユウが今ここに居てくれるのなら」


「そ、そっか……本当はあたし、言い返したかったんだけど」


「それはダメです。“お願い”ですから、ね?」


「やっぱ意味わかんないよ、それ」


「大丈夫……“お願い”を聞いてくれさえするなら」




 この時間はユウに、いつも通り私を罰しいじめてもらう為にある。

 私から促せばユウは躊躇った後、眼差しを私に向ける。




「……今日は、何を?」




 内容を注文するのは、私の役割。

 お気に入りはユウの手。あの白い手が私のお腹に沈み込むのは、甘い衝撃があってクセになる。

 しかしここは、別方向のモノを提案したいところ。

 ……今日の放課後のやりとりと、近く行われる授業の事を思い出して、これはどうかなと思い至る。




「今日は……“首筋を咬んで”ください」




 体育の時間にプール授業があったはず。

 もし首筋に、キスマークや愛咬あいこうと思しき痕があったなら、クラスの人はどう思うでしょう。

 きっと、“曲輪せつなは、隠そうともしない売女だ”なんて思うに違いない。

 それを聞いたユウは、私に対する罪悪感で胸をいっぱいにして。……あぁ、何てステキな未来絵図。




「咬む……って、でも見られたら……」




 ユウは常識人のフリをするのが好きなので、こう言う事は気にかけてくれる。

 その優しさに絆されないよう、振り切る為に私は、




「嫌なら良いですよ? でもその時は……わかってますよね?」




などと嘯いてからテーブルの上のスマホを視線で示し、ユウに理解を促す。

 ……そんな事、例え私が死んだってするつもりはないけれど。

 スマホにデータを残しているのは……彼女に罪悪感と同じくらい、私に強要されていると言う理由をあげる為でしかない。

 そうして、ユウは悲しそうな顔をした後、ただ黙って私のブラウスを脱がしていく。それでいい。その罪悪感もまた、私の望みなのだから。




「……ねぇ、やっぱり……やっぱりさ」




 私のブラウスのボタンを外し終えて、ユウは不意に言葉を紡ぎ始める。




「こんな事……」


「やめようよ、ですか? しつこいですね」


「ちが、くて……どうして」




 ……あぁ、その先は、その先だけはどうか、言わないで欲しい。

 それを言われてしまえば、私は、私は。




?」




 

 問われたが故に零しそうになった言葉を、必死で胸の内に留める。……そう、言葉にできたなら、どれだけよかったのでしょう。

 問われてしまえば、なんてあっけのない答え。だからこそ、その問いかけだけはしないで欲しかった。




 ——私は、ユウが私の唇を奪うよりずっと前から、彼女の事を愛していた。恐らくは、初めて逢った時から。

 それから長きに渡る思慕の時間があって、その中で気付いてしまった。

 私は、ぐちゃぐちゃに愛され、ぼろぼろに虐げられその果てに……この胎に愛を宿したかった。

 そんな妄執を抱えた私が、ユウのような優しい人と結ばれるなんて、ありえないと理解した。

 この恋が報われる事はない。

 この愛を世界が赦す事はない。

 この想いに囚われた私は、誰かに罰を受ける事になる。それを見て優しいユウも、きっと苦しむ事になる。

 だから私は、私が死ぬまでこの気持ちに蓋をするつもりだった。ただの片思いで終わらせたなら、苦しむのは私一人で済む。

 その時まで黙って、ユウの傍に居られれば、それで良かった。

 ……それなのに、ユウはその境界を超えてしまった。

 一人堪える私の想いを無視するかの如く、突然に、私の唇に彼女のものを触れさせてしまった。

 刹那、私の中で激情が暴れて、その果てに私は……狂ってしまった。

 いつかユウが傷ついてしまう前に、私を嫌悪し離れていって欲しい。

 それでいて私を傷つけた罪悪感を抱えて、私の事を忘れないで欲しい。

 同時に孕んだ矛盾を抱えて、私は狂気に堕ちてしまった。

 築いたこの関係は、赦されぬ愛を抱いた愚かな私の祈り。

 赦されぬのであれば、せめて他でもない貴女の手で。

 どうか、狂った私を、あいして欲しい。




 ……こんな事は、やっぱり言葉にできそうもない。

 だからせめて、自分でも呆れる程、この身体は虐げられる事に異常な興奮を覚えるという、その一点だけに絞りを合わせ、ユウに伝える事にしていた。




「……なんて事はないのです。暴力的に扱われる事に快感を覚える、と言うだけの事」




 その言葉の頭につく、“好きな人に”という文字列だけは、必死で胸の中に隠してしまえ。




「何度か伝えた筈ですが……幻滅しました? 幼馴染がこんな……はしたない、欲望塗れの女で」


「そんなことは! ……ない、よ」


「……そう。なら、ユウもやっぱり、私に暴力を振るって気持ち良くなっていたとか?」


「……どうして、そんなことばっかり!」


「さあ、どうしてでしょう、ね」




 出来るだけ、不愉快そうな笑みを浮かべて、ユウの不快感を煽る。

 そうでもしなければ、先に私の方が狂い果ててしまいそう。

 その効果は……ああ、有ったみたい。

 苛立った様子のユウが私をベッドの上に押し倒して、手を手で押さえつけたなら。

 彼女の口許が、私の首筋に添えられた。

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