第3話

 二人しかいない、狭い空間。その中で衣擦れの音がしたなら、ユウの耳にも容易に聞こえる。

 この関係性をすぐにでも終わらせたいのなら、目を背けたままでいればいい。

 けれど、ユウはぎこちない動きで私へ視線を向けて、そしてまた大きく目を見開いた。




「ふふ、ここ、すごいまっかです」




 キャミソールをを捲り上げた私のおなかには、先程、何が行われていたのかを雄弁に語る“痕”が残されている。ああ、ユウが好んでくれるかなと丁寧に、丁寧にお手入れをして、肌を白く綺麗に保っていてよかった。赤が白の上にこれ以上ない程に良く映えている

 それを見て、こくり、とユウが息を呑み込んだ。




「な、それ、そんな」


「ふふふっ。……二人の“行為の結実”ですね?」




 嫌悪するなら、はしたないなら、おぞましいなら、けがらわしいなら、やましいなら。……目を背けてしまえばいいのに。

 でもユウはそれをしない。……出来ない、と言った方が、言葉としては正しいのかもしれない。

 唇を奪ってでも自分のモノにしたかった私が、差し出すように白い肌を晒して、そこには彼女自身が施した明確な“痕”が残っているのだから。

 でも彼女は、自分が理性的で常識的な人間だとしているから、決まってこんな事を言う。




「……あっ、えっと、冷やしたりした方が、いいんじゃない」




 赤く腫れたなら冷やせばいい。教科書にでも載っていそうな面白みもなく、説得力もない言葉。

 ……折角なら、もっとステキな言葉を吐いてくれたなら、私も喜べたと言うものを。




「そんな事はしませんよ。大切に、大切に。自然と治るまで、このままです」


「で、でも……痛そうだし」


「ええ、とっても痛かったです。でも、それがユウから与えられた物ですから」


「あ、与えられたって、あたしはそんなつもりは!」


「……ほら、来てください。こういう時は、どうすればいいと思いますか?」




 私の好きなオープンクエスチョン。この問いかけには本性が現れる。ユウはこう言うと……ふふふ、やっぱり。

 彼女は徐に私の隣に手を着いて顔を近づけると、その柔らかい頬を、私のおなかにひたりとくっつける。まるでそこに、赤ちゃんでもいるかのよう。

 

 ……わかっていない幼馴染に、感想でも聞いてあげましょう。




「どうですか、私のおなかは」


「……えっ、あぁ、うん。……すべすべしてて、あったかくて気持ちいい、というか……」


「そう、お手入れしてて正解でした。もちろんおなか以外も滑らかですよ?」


「えっ! あ、わ、わかってるよ。セツナは綺麗だと思う、から」


「ふふふ、嬉しい……本当に、嬉しい……」




 ユウはお馬鹿さんなので、こういう時に気取った事は言えない。だからこそ、本当に思っている事を言ってくれているとわかってしまって、つい私も嬉しくなってしまう。

 ……なんだか、ムカつきますね。

 キャミの裾を掴んで、油断しきっているユウの頭に、




「えいっ」

 



と被せてあげれば、彼女は堪らず慌て始める。




「わぁ?! 何すんのさ!」


「ふふ、赤ちゃんみたいなユウに、より楽しんでもらおうというおもてなしです」


「赤ちゃん?! そんなつもりないし、誘ったのはセツナでしょ!!」


「私だってそんなつもりはなかったのですがー?  ほら、ママのお腹はどうでちゅかー?」


「ママって……いい加減にして!!」




 がばっとユウが離れて、私を睨みつける。けれど、耳まで真っ赤にしてるその顔は、ただ怒っているだけではない事は明白。

 ふふふ、やっぱり、ユウは可愛い。

 もう一つくらい、揶揄っても許されるでしょうか。




「そもそも、お腹を冷やしたりしたら、身体に悪いですよね」


「急に理性を取り戻すじゃん。……良い悪いを考えるなら、こんな事はやめようって」


「む、まだ言いますか。私は本当ならもっと求めたいくらいなのですよ? 例えば、首を」


「それだけは!! ……絶対にしない。約束でしょ」


「……言ってみただけです」




 この関係には、約束を設けてある。

 一つ目は、週に一度、私の部屋でのみ行う。

 二つ目は、危険性の高い事はしない。

 三つ目は、私は涙と汗、涎以外を零さない。

 四つ目は、ユウはわたしのお願いを断らない。

 たった四つの約束。

 ……態々決まり事を作る、生真面目で、優しくて、少し健気なところが、天見優理あまみゆうりという女の子の持つ魅力なんだと思う。

 そっとお腹に手を添えれば、そこにはまるでユウが居てくれるかのよう。それだけで私は……。




「……夕飯、作るけど」




 意識をおなかに向けて惚けていると、気まずそうなユウの声が聞こえてはっとする。

 目を向けると、ユウは相変わらず顔を赤くして、そっぽを向いている。赤ちゃん扱い、効いたのでしょうか。




「ええ、今日のご飯は何にするんですか?」


「今日は、その……“おなかの日”だったから、胃に優しい雑炊にするよ」


「わぁ、ユウの雑炊、大好きなんです。これなら、毎日“おなかの日”にしても良いかもしれませんね」


「そんなこと言うなら二度と作ってあげない」


「冗談です」




 私の両親は、父が単身赴任で、母が着いていく形で家を離れた。恐らく、私を一人にしてもユウが居てくれるから大丈夫だろうと考えたに違いない。

 その二人がこんな事をしている、とはつゆ知らず。

 そしてユウは泊まりがけで家に来てくれて、その時はご飯を作ってくれる。そこにあるのは、いかにも今どきな見た目に反する、料理上手な女子力の高さ。それがまた、なんとも心くすぐる健気さだと思ってしまう。




「私もお手伝いしますね」


「うん。じゃあ、キッチンにいこ」


「ええ。……ふふ、こうしていると」




 言葉をあえて区切れば、不思議そうにユウは私を見遣ってくる。

 ……健気さに応えて、少しだけ。本当に少しだけ、希望的な言葉をあげる。




「まるで、同棲しているみたいです、ね?」




 その一言で、再びユウの顔は真っ赤に染まった。

 ……そんな事は、きっと赦される筈もないのに。

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