第55話 エピローグ そして最終回 再会ニースからエズへ

到着したタクシーは、ルノー・アルピーヌA110Rという車だった。


小柄な初老の運転手が降りてきて、無愛想に後部座席のドアを開けた。

「山村さんこの車、ただの車じゃないですね?」

「確かに本格的なスポーツカーですけど、モナコに向かうお客が多いので、サービスですかね?」

無愛想な運転手が口を開いた。


「この車は、世界でたった32台しか製造されなかった、ルノー・アルピーヌ・アロンソという特別仕様車ですぜ。パワーウエイトレシオ3.6kg/ps(車の重量に対する馬力の大きさ、加速力の目安になる)1.8L直列4気筒のルノーエンジンは、300ps,トルク34.7kgm、わずか3.9秒で0〜100km/hまで加速するんでさあ」

驚いたことに運転手は流暢な日本語で話をした。


運転手は続けた。

「日本には確か1台だけ、納品されたと聞いています。そして、それを所有しているのは、玲架さん、あなたですよね」

運転手は顎に指をかけて、自分の顔を皮膚をビリビリを剥がしていった。

山村は狼狽えた。


「わわわ、なにが起こっているんだ」

玲架は、強い視線で、運転手を睨みつけた。

「そうよ、たった一台、日本に入った、ルノー・アルピーヌ・アロンソを所有しているのはこの私よ」

すっかり皮膚が剥がれ落ちた運転手は、チラリを後ろを見た。

すらりとした顎のライン、きめの細かい褐色の肌、気持ちをざわつかるウイスパーボイス、どれも山村は知っていた。

「ヒナタ!!」

運転手は、一緒にスーダンを旅したヒナタだった。

「山村に全部話したら?」


玲架はゆっくり話始めた。

「あれは、1992年。私は子供の頃、父にモナコグランプリに連れてきてもらったのです、ヨットが並ぶ青い海、着飾った上流階級の人たち。それが忙しかった父との最初にして最後の思い出となりました」

「1992年?」

山村は自分の記憶を辿ってみた。


「美しく華やかな絵のような景色と対照的に、低く狭い壁に囲まれた、まるでハムスターホイールのように出口のない市街地コースを、ものすごい爆音を立てながら、魔法のみたいな素晴らしい速さで駆け抜けるF1マシンに、私はすっかり心を奪われてしまいました。」


1992年のF1シーズンは、チームウイリアムズのFW14Bに乗る、無冠の帝王ナイジェル・マンセルが開幕から9勝していた。


1992年モナコGP予選は、

1位

マンセル、ウイリアムズ・ルノー 1:19、495

2位

パトレーゼ、ウイリアムズ・ルノー1:20、368

3位

セナ、マクラーレン・ホンダ 1:20、608


1位ルノーRS3Cエンジンを載せた、ウイリアムズFW14Bと、3位ホンダRA122E/Bを載せたマクラーレンMP4/7Aの間には実に1秒113ものギャップが存在した。


玲架が、声を荒げた。

「あと8周だった!あの時マンセルがピットにさえ入っていなければ!」

トップからスタートしたマンセルは、モナコーマイスターと呼ばれた、2位セナの28秒の先を走っていたにもかかわらず、残り8周でピットイン、その間に1992年シーズン優勝どころか、一度もトップを走れなかったセナが前に出た。


ヒナタが、歌うように、何か詩をを誦じるように声を出した。


「1位セナより2位マンセルの方が、速いのは歴然としていた。けれどセナは、前に行かせなかった。特にトンネルのあとヌーベルシケインで、2台はマシンをスライドさせながらわずか数センチまで近づいたけれど決して接触しなかった」

「そう、結局マクラーレンホンダのセナが、勝利してモナコ5勝目を挙げた」


玲架は驚いた表情でヒナタをみた。

「あなた・・どうして?」

「ルノーが目の前で負けたショックで、玲架さんは、それからルノーの高級車を、お金もないのに秘密で買い漁るようになった。そして支払いができなくなって・・・」

「ヒナタさん・・・」


「玲架さん、1992年モナコにいた時、誰かもう一人男性がいなかった?」

「あ!」

ヒナタは微笑んだ。

「彼はね、あなたのお父様の親友だった私の父よ、父が死んでから、母がモナコがどんなに素晴らしかったか書いた父の手紙を何度も読んでくれたのよ」



ニースのコートダジュール空港からモナコ公国まで一時間くらい。車は山道を走った。そしてヒナタの運転する、ルノー・アルピーヌA110R・アロンソは駐車場に停止した。

「お二人さん、ここエズ村で降りてください、ここに本物のタクシーが来る手筈に貼っていますから」

ヒナタは、不機嫌な男性の声色でそういって、運転席を降りて恭しく後部座席をのドアを開けた。

「エズはとても良い場所ですよ、どうかレース観戦の前にゆっくり観光なさってください」


ヒナタはそういうと運転席に戻ろうとした。山村は、ヒナタの手を取ろうとしたが、

彼女はその前に運転席に滑り込んでシートベルトをして、運転席のパワーウインドを上げた

「ヒナタ、また会えるかな?」

ヒナタは黙ったまま、ウインクして車を発進させた。

エズ村に玲架と山村は取り残された形になった。



中世の雰囲気を残す村エズは、海抜420メートルの切り立った崖の上に造られた風光明媚な村である。地中海が一望できるとても美しい街だ。


山村と玲架は肩を並べてゆっくり歩いた。山村は玲架の歩幅を気にしながら慎重に歩いた。

「太古からエズ村はローマ人、スペインの海賊、北アフリカのイスラム系ムーア人に攻撃を受けて来たのね」

「それでこんな高い場所に街を作ったのですね」


「エズという名前は、エジプトの女神イシスから名付けられたのよ」

地中海の空は晴れたっている。海はどこまでも青くて美しい。山村は自分の肩に玲架の息遣いを感じていた。後ろから女性の声がした。


「この万年筆、貴方のではありませんか?」

山村は振り返った。そこにはヒナタがいた。

「あれ?ヒナタさっき車でいったとこでは?」


万年筆を持って、後ろにいたのはヒナタだった。ヒナタは玲架を気にもせず、山村に万年筆を手渡した。

「なんで?私とは今日はここで初めて会うよ」

「じぁあ、さっきタクシーの運転手は誰なんだ?」

「何それ?」

山村は頭を抱えた。夢であってほしいと願った。


ヒナタは軽快にスキップしながら、エズ村の急な坂道を登って行った。

玲架と山村はその後を走って追いかけた。


終わり

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

心より感謝したします!

       












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