第22話
ひょんな事から山村は、駆け落ち旅行に同行することになってしまった山村だが、難しく考えないで、久しぶりの海外旅行を、思い切り旅を楽しもうと考えるようにした。山村にとってそれはただの付き添いにすぎないのだ。当たりくじに当選したようなものだ。そう思うと山村の心は高揚してきた。
山村はスーツケースに腰を下ろして、玲架を待った。待ち合わせは12時ちょうどの約束だった。
「11時55分か」
山村は腕時計で時間を確認した。山村の隣には、帽子を深く被った小柄な女性が、鮮やかな黄色に染まめられしっかりした仕立てのスーツに身を着て、スーツケースの上に腰をかけている。
山村は時に気にも留めなかったけれど、12時丁度にスーツの女性が山村に話しかけて、漸くそれが玲架だと気がついた。
「あ、社長、今日は自社のスーツじゃないんですね」
「自分の会社の服を着ると、気持ちがオンモードになりませんか?」
玲架は、腰をかけていたスーツケースの柄の部分を持った。
「じゃあ、順平、手荷物検査に行きましょう」
「順平・・・か?今まで通りでよくないでですか?」
「いえ、私たち、駆け落ちのの逃避行なんですよ」
苗字で呼び合う方が、禁じられた恋のようにも思えたが、結局、山村は、玲架の事をファーストネームで呼んだ。土台この契約は山村に不利な様にできていた。山村は気まずくて仕方がなかった。山村にとって玲架は、離婚してから会ってない自分の娘を連想させた。
どんな距離感で接したら良いのか分からない。しかも、身長170センチの山村と、身長160センチの玲架は歩幅のかなり違う。体が触れることが“肉体関係”に該当するかは不明だが、山村は玲架とは少し距離を開けて歩く様になった。そのまま1ミリも体に触れる事なく手荷物検査を抜けて、キャセイパシフック航空、ボーイング777―300に乗り込んだ。
「トリプルエックスね・・」
玲架は口に出した。山村は厳しい表情で書類を扱う玲架の姿しか知らない。社長室での玲架は「アール」で作られた最も高価な洋服を着て、高価なアクセサリを身につけた切れ者社長だった。しかし、今の玲架はクラブ活動から帰ったばかりの高校生とそう大差ない地味なトレーニングウエア姿で山村の隣の席にいる。玲架はかなり興奮ぎみに窓の外を覗いていた。定刻丁度にキャセイパシフィックボーイング777―A300は動き出した。“トリプルセブン”は真っ直ぐな滑走路を徐々にスピードを上げながら走った。やがてふわりと風に乗り、一瞬浮遊したかと思うと、もう既に推してぐんぐん高度を上げた。軽めのGが山村の体をシートに押し付ける。
「ボーイング777−300は、大型ワイドボディの双発機です、全てコンピューター上で設計された初めての旅客機だそうですよ」玲架が山村に声をかけた。
「飛行機に詳しいんですね」
玲架は、ほうり投げるようにパンフレットを山村に手渡した。程なくシートベルト解除のアナウンスが告げられた。
「いえ、このパンフレットに書いてあったのを読んだだけです、私、洗面に行ってきますわ」
玲架はそそくさと立ち上がり、急いでトイレの方に向かった。山村は、玲架の座席に、手持ちの鞄を置いて背伸びをした。
「失礼、ペンが落ちましたよ」
通路を歩いてきた老人が、山村の前に万年筆を見せた。老人が持っている、半透明の万年筆は確かに山村のものだ。胸ポケットを触ると、万年筆がなくなっている。
「ありがとうございます」
山村は礼を言った
「どちらまで行かれますか?」
老人は穏やか表情で言った。山村は口を開きかけて慌てて閉じた。行き先を誰にも告げない事、という項目が契約書にあった気がした。山村は行き先を答える代わりに、老人に質問した。
「あなたは、どちらまで?」
「わたしは香港です。香港生まれなもので」
老人は微笑んだ。
「良いご旅行を、そのうち香港にもお立ち寄りください」
老人が行ってしまうと、玲架が洗面から戻ってきた。
「順平さんさっき男の人に、話かけられてませんでした?」
山村が座席から鞄を取ると、玲架は跳ねるように座った。
「僕の万年筆を拾ってくれたんです」
「ちょっと見せてください」
山村は万年筆を玲架に渡した。すると、玲架は精密ドライバーなどが入った工具を取り出して山村に預けた。それから、折りたたみテーブルを開いて白いハンカチを一枚敷いた。
「今から面白いもの見せてあげるわ」
玲架は万年筆を分解していった。埃くらいの小さな部品がハンカチの上に並べられていく。そして万年筆のボディーの奥から小さなマイクが出てきた。
「順平さん、万年筆スリ替えられていますね。ほら盗聴器が入っています」
玲架は目線の前にマイクを掲げた。山村はあたりを見渡して老人を探した。
「僕が狙われているのか?」
「山村さん、それとも私かもしれない。どちらにしても油断しないでいきましょう」
続く
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