第16話

宮大工は300年先の姿を見越して建物を建てるという。千年の耐久性をもつ建物を建てるためには、千年物の檜の木が必要となる。


檜の木を切り出して、木材として使えるまで50年間乾燥させて初めて木材として使用できる。端材も古材もとっておいて修理の時に生かす。1400年前に法隆寺を作った飛鳥人たちは、日本の自然環境問題の事をよく知っていた。自然の中で育った大切な木材をどうすれば長く生かすことができるか理解していた。西岡常一氏の本は、そのような内容だった。

法隆寺を作った飛鳥(アスカ)の人たちと、分刻みで生きる現代の私たちとでは、時間の感覚はずいぶん違っただろう。飛鳥人にとっては50年は、どれくらいの時間だったのだろうか。一年もかからず建築物が作られる現代と、年月をかけて一つの建物を作り、すべて人力で造り上げて、それを何世代にわたって修理を繰り返して守っていく古代の建造物とでは、比べることはできないだろう。しかし、西岡氏曰く、飛鳥人はとても理にかなったやり方で、仕事は速かったそうだ。


西岡氏の本を読むと、飛鳥人が現代にやってきたら、現代の自然環境をどう判断するのか想像してしまう。もし飛鳥人が現代の道具を得たら、一体どんな建築物を造るのだろう。飛鳥時代から比べると自然は随分と壊れてしまった。千年物の檜は日本にはもうないと聞く。とかく自分の事は自分ではわからないものだ。現代人が、飛鳥人の知恵や工夫を素晴らしいと感じる様に、飛鳥人から見た現代は、沢山の良い所にあるに違いない。


ただ、私たちは余りにも現代に慣れすぎていて良くない所ばかりに目が行き、良い所がどこなのか分からなくしまっている気がする。少なくとも現代は、1400年前に比べると安全で幸せな社会であるはずだ。それは一瞬で達成された訳ではなく、何世代もかかって達成されたものだろう。そして現代に生きる私たちは、先達たちの知恵と工夫の心を確かに受け継いでいるのだ。


「順平、柿の葉寿司食べて帰らへんか?」

慎二は、山村に言った。

「柿の葉寿司、食べるの久しぶりだよ、大学のゼミ合宿で奈良に来て以来だ」


二人は法隆寺の近くにある柿の葉寿司のお店に入った。


柿の葉寿司は、塩で締めたサバを、酢飯と一緒に柿の葉で包んだ押し寿司だ。江戸時代の中頃、高い年貢に苦しんだ紀州(和歌山)の漁師が、お金を稼ぐ為に熊野灘の沖で獲れたサバを塩で、締めて峠を越えて、吉野川沿いの村に売りに出かけたのが起源らしい。柿の葉は、タンニンが多く緑色が鮮やかな渋柿の葉が使われる。酢と柿の葉に防腐作用がある。


柿の葉寿司は、酢と柿の葉の香りが染み込んだ独特の郷土料理である。口に入れると、何十年も前に食べた舌触りが思い出されて、これこれ、と嬉しくなってくる。無骨で硬い柿の葉の歯触り舌触りは忘れられない。食べた途端すぐ当時の記憶が蘇ってくる気がした。


隣を見ると、少しずつではあるが、慎二も食べている。高齢になると飲み込みがうまくいかない時があるので、山村は慎二の食べる様子を見ていた。慎二は無理なく水分をとりながら一口食べては、何かに思いを馳せるように目を閉じて、飲み込んでから次の一口に頬張っている。慎二に柿の葉寿司に特別な思い出があるのだろうか。


「順平、わしの事、思い出してくれてありがとな」

半分くらい柿の葉寿司を食べたくらいで、慎二は言った。

「いや、じいちゃん、こちらこそありがとだよ」

「ばあさん、あ、綾の事な。わしは若い頃仕事もせんで、芸者遊びしたり歌を読んだりばかりしていた。そのうちとうとう家を勘当されてしもた」

「勘当?」

「家を放り出されたんだ。当時わしの家には畑や田んぼがあったけれど、わしの遊びが過ぎたせいで、皆借金の返済に取られてしもうた」

「そうなんだ」

「それで、いく当てもなく、東京まで流れついた所で、綾と出会ったんじゃ」

「ばあちゃんの、東京生まれ?」


「違う。まあ聞け。金も無く、いく当ても住む所もなく、上野公園のベンチに座ってただ時間を過ごしていんや」

「その時、綾婆さんが現れたの?」

「いや、現れたのはお巡りさんや」

「わしは、警察に連行されて留置場に入っていたところ、身元を引き受けにわざわざ奈良から来てくれたのが、幼な馴染みの綾なんや」

「綾婆さんと、じいちゃんは幼馴染だったんだ。そんな話はじめて聞いたよ」

慎二はふっとため息をついた。


「慌てて、汽車に乗り東京まで来てくれた綾は、奈良駅で買った柿の葉ずしを差し入れてくれたんや。その時の柿の葉寿司の味は今でも昨日の事のように覚えているんや」

「美味しいかったんだね」

「いや、揺れてボロボロで、まずかった。生まれてから一番まずい柿の葉寿司やった、そやけど、一生忘れへん味や。不味いのに心はあったかくて涙がボロボロ流れたんや」

「爺ちゃんと、婆ちゃんにも、そんなロマンスがあったんだね」

慎二はニコッと笑った。

「全部、嘘や」


慎二の話がどこまで真実でどこまで嘘かは分からない。けれど妻の綾に今でもゾッコン惚れている事は確からしい。

「順平よ、仕事やめてきたんやろ」

慎二は不意に言った。

「うん、どうしてわかったの?」

「いや、カマかけたんや」

「ひどいな」


山村は苦笑いした。

「順平よ、お前と別れた元の奥さんと子供さんは、きっと観音さんの生まれ代わりや、憎んだらあかんで」

慎二は真剣な表情をしてる。

「両親も亡くなり、一人やと思ってるかもしれへんけど、どうしてもやばくなったら・・」

「うん」


「警察へ駆け込め」

「警察?」

「これはわしの実体験や、警察に行けば市役所より遥に話聞いてくれる。しかも良くしたら留まる所を提供してくれる」

「ほんまに?」

「嘘に決まってるやろ、わしを信じるな」

慎二は、楽しそうに声をあげて笑った。

続く


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