第3話

家庭が崩壊した後、山村の生活は荒んでいくばかりで、仕事も集中できなくなっていき、ミスが増えてお客様からのクレームが相次いだ。生きる理由も目的もわからなくなった山村の生活のレベルはどんどん落ちていくばかりだった。そんな時、SNSで応募したF1日本グランプリのペアチケットが偶然当たった。決勝レースは今年2015年9月27日に行われる。山村はそのペアチケットを神棚に供えた。若い頃は神様も奇跡も信じていなかったが、このチケットは、きっと何か不思議な巡り合わせに違いないと確信した。


一枚のチケットによって山村の心にかすかな灯りがついた気がした。モータースポーツの文化が根付いていない極東の島国から、ヨーロッパの文化であるF1に参戦しているホンダの存在が眩しく思える。


大人になってから夢や理想を語る事は子供っぽい事だと思ってきた。ホンダという大企業が「夢こそが、私たちのエンジンだ」と本気でレースに取り組んでいたとしても、それは大企業だから許されるキャッチフレーズだと思っていた。


排気ガスを吐き出し高価なタイヤやパーツを惜しげもなく使い捨てるF1は、カーボンニュートラルや環境保全とは逆行する巨大イベントかもしれない。しかし一枚のチケットによって山村の心は久しぶりに高揚していた。


しかるに現実は山村の息の根をゆっくりと締め上げて、トドメを刺そうとしていた。「アール」の販売成績はじわじわと下降を続けていて、その責任は山村にあると言う噂が耳に入ってくるようになった。


”売り上げを上げていないのに給料をせしめる旧人類”と張り紙を掲示板に貼られた事もあった。得意先を回ったり新しいアイデアを考えたり、思いつく事はなんでもしてみたが、所詮一人でどうなる訳でもない。他の社員と協力しようにも、今まで独自のやり方にこだわってきた山村の没落を、他の社員は助けるどころか足をひっぱりさえした。


山村は初めて自分が孤独で無力な事を思い知ったのだ。自分の仕事内容どころか、存在自体が誰に認められていない事実を思い知った。長い間、自分勝手に仕事をしてきたツケとも言える結果だった。

続く






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