甘い新婚生活をこれからも
翌日、さわやかな朝日を浴びて、カルメはゆっくりと瞳を開けた。
頭の上の方から、スースーと柔らかな寝息が聞こえてくる。
『やっぱりログは、寝起きが悪い』
自身にガッチリと抱き着いて眠りこけるログを見て、カルメはそんな風に思った。
「ログ、私はご飯作ってくるから。放してくれ」
十分ほど抱き着かれたままでログが自然に目を覚ますのを待っていたのだが、一向に起きる気配がないので、カルメはペシペシとログの頬を撫でるように叩いて声を掛けた。
しかし、ログは「う~ん、んん?」と不明瞭に唸るのみで全く起きる気配がない。
代わりに、ゴロンと寝返りを打ってカルメを解放した。
『全く、ログは世話が焼けるな』
そう思いながらも、カルメは満更でもなさそうに微笑んだ。
雑にはねた寝癖を梳いてやると、カルメはログを起こさないようにそっとベッドを抜け出して台所へ向かった。
簡単なサラダとスープを作り、パンを温めなおして、ログのためにベーコンを焼いたところでようやくログが起きてきた。
台所に入ってきたログは相変わらず眠そうで、以前より少し伸びた髪があちこちにはねている。
カルメがキッチリとほとんど皺のない部屋着を着ているのに対して、ログは無駄にしわくちゃになった部屋着を着て、だるそうに歩いている。
寝相の悪いログは、ゴロゴロと寝転がっている間に部屋着の一番上と一番下のボタンをはずしてしまったらしい。
非常にだらしなく、白衣を着ていつもシャキッとしているログからは、想像もつかない姿だった。
『ふふ、ログ、だらしないな。かわいい』
カルメがクスクスと笑っていると、ログは不思議そうに首を傾げた。
「おはようございます、カルメさん。朝から元気ですね」
欠伸をしながら、のんびりと言った。
眠気で目がトロンとしている。
「おはよう、ログ。私は昔から早起きなんだ。きっかけは花に水をやるためだったかもな」
早起きであり、かつ大概は目覚めた瞬間から意識がはっきりしているカルメだ。
確かにログは寝起きが悪いかもしれないが、その比較となるカルメは寝起きが良すぎるともいえた。
「カルメさんは、花が好きですからね」
上手く頭が回らず、ログは適当に返事した。
「そうだな、花に限らず植物は大体好きだ。ほら、席についてくれ。もうご飯を作ってあるんだ」
カルメがそう促すと、ログはゆっくりと席についた。
「いただきます」
食事の挨拶をして、ログはモサモサと食事を始めた。
食べている内に段々と目が覚めてきたらしく、次第に背筋が伸びてハキハキと動くようになっていく。
その様子が面白くて、カルメは食事をしながらじっとログを見つめた。
『今までもログの寝起きは何度か見たことがあったし、その度に寝起きが悪いなと思ったが、それでも今までは、ログなりに気を張って頑張っていたのかもな』
新婚生活が始まったばかりの頃、ログは若干寝起きが悪いながらもカルメが声を掛ければ十分以内には起きて、キッチリと身支度を整えていた。
しかし、最近では起こしてから三十分以上起きないなどザラになっていた。
遅いときはカルメが食事を終えてからやって来る。
『ちょっと寂しい時もあるけど、我慢されるよりはいいな。心を許してくれているのが伝わって、嬉しくなってしまう』
食事を終えたカルメは、頬杖をついてそんなことを考えた。
じっと見られていたことに気が付いたログが、照れ臭そうに頭を掻いて笑った。
「どうしたんですか? そんなにこっちを見て。俺、まだ身支度整えてないですし、そんなに見ないでくださいよ」
そう言いながら寝癖に触れて、少し髪を整えた。
ピョンとはねたログの寝癖はカルメのお気に入りだったので、カルメは内心で整えられた髪を残念がった。
「いいだろ、減るものではないし。ところで、ログは相変わらず私に敬語を使うんだな。まだ、何か我慢していることがあるのか?」
以前、何故ログがカルメに敬語を使うのか理由を聞いたとき、ログは自制心を強めるためだと答えた。
カルメに対して我慢していることがあるのだと。
我慢の内容は分からないが、それでもカルメはログが何かを我慢していることが常々、気になっていた。
『一緒に住むようになったんだ。もちろん最低限の気遣いとか思いやりは必要だが、それでも相手に対して何でもかんでも我慢してるんじゃ辛くなるだろ。私はログを不幸にする気はないぞ』
自分ばかりが気を遣われて大事にされるのは嫌だった。
そのため、カルメは少々真面目な顔をして聞いた。
しかし、そう問われたログ本人は目をパチパチとさせて、しばらく何かを考え込んでいる。
『なんだよ、ログ。まだ目が覚めていないのか?』
胡乱な目で見つめると、ログは、
「ああ」
と言って手を叩いた。
何事かと面食らうカルメを、ログはおかしそうに笑った。
「もしかして、結構前にカルメさんに対して自制心を効かせるために敬語を使っているって話した時のことを言っているんですか?」
予想外のログの反応に、カルメは眉間にしわを寄せながら頷いた。
「そうだよ。他にないだろ? 相手に何をしてもいいってわけじゃないけどさ、結婚して一緒に住んでいるんだ。私のためだからって何でも我慢してたら壊れてしまうぞ。何かしてほしいことがあるなら言ってくれよ。出来そうなことならやってみるから」
ムッとしながらも真面目に言うカルメを、やはりログは面白そうに笑った。
「なんだよ、こっちは真剣に聞いているんだぞ」
「あはは、ごめんなさい。カルメさんが可愛くて、気にしてくれていたんですね」
「当然だ。いつまでも大切な、だ、旦那さんを、辛い目に遭わせるわけにはいかないだろ」
戸惑って少し怒るカルメと正反対に、ログは笑いが止まらないようで目じりにほんの少し涙が溜まっている。
肩はクツクツと上下に揺れている。
「そんなに気にしてくれてるなら、もっと早くに言えばよかったですね。大丈夫ですよ、カルメさん。俺、別に我慢していることないですよ?」
そんな風に笑うログに、カルメはキョトンと目を丸くした。
「そうなのか? 私はてっきり、偶にログの服を借りたり、おやつをちょっと多くもらったりするのを、我慢して見逃してくれていたんだと思っていたんだが」
カルメには、そのくらいしかログの言う我慢が思い浮かばなかった。
「おやつは知ってましたけど、カルメさん、俺の服を着てたんですか?」
初耳だったようで、ログは驚いたような声をあげた。
それに対してカルメは平然と答えた。
「え? うん。普通に着てたから気が付いてると思ってた……ちょっと安心するんだよ。怖い夢とか、見なくて済む気がする」
カルメは肌寒い日や気分が落ち込んだ日に、ログの白衣を拝借していた。
しかし、カルメは自分用の白衣を持っていたので、ログは少し大きめの白衣を着るカルメに違和感を覚えつつも、さして気に留めていなかったのだ。
「かわいい」
その言葉にカルメがちょっと顔を赤くすると、ログはにこやかに笑って頭を撫でた。
それに対し、カルメはバツが悪そうな、少々居心地の悪そうな表情を浮かべている。
どうやら気恥ずかしいようだ。
「別に我慢してないならその話はいいだろ。で、何も我慢していないなら、どうしてずっと敬語なんだ?」
恥ずかしさから逃れるために、カルメは少々強引に話を戻した。
そんなカルメに対し、ログは意地悪く口元を歪めた。
「だってカルメ、俺のこの口調、結構好きだろ」
少し色っぽい声色で、揶揄うように言った。
心なしか、目つきもニヤリと歪んで悪戯っぽくみえる。
図星をさされたカルメは目を丸くして、段々に頬を染め上げていった。
「俺が普段から敬語を止めてこの口調で話をするようになったら、いくらカルメでも慣れてしまうだろ? そうしたらそんな風に真っ赤になって狼狽えることが無くなってしまうかもしれない。それは寂しいからさ」
ログの言う通り、カルメは時折ログがため口で話すのが好きだった。
ため口をきく時のログはいつもよりも声が低くなって、柔らかさがほんの少し消える代わりに強引さと揶揄いが混じるようになる。
いつもと違うそんな意地悪さや格好良さが好きで、けれども同時にどうしようもなく恥ずかしくなって、カルメはログがため口をきくとひたすらに狼狽えて頬を染めた。
ログ以外何も考えられなくなってしまうのだった。
今はログがため口をきいたのに加えて、ログに自分の心を見透かされていたのに気が付き、いつも以上に真っ赤になってとうとう両手で顔を覆った。
頭からはポッポと湯気が出ている。
「そうやって、カルメがどうしようもなく狼狽えるのを見るのが好きなんだ。意地悪な理由でごめんな」
そう言って、随分と熱くなったカルメの頭頂部をポンポンと撫でた。
『恥ずかしすぎて、どうにかなってしまいそうだ……』
カルメは顔面を覆ったままに机に突っ伏した。
「…………我慢してないなら、いい」
ボソボソと小声で言うと、カルメは両手をどかして机に直接、頬を付けた。
よく冷えた机が気持ちいい。
「カルメこそ、何か俺に対して我慢していることはないか? こうして意地悪をされるのは嫌か?」
カルメは顔の位置をずらして、チラリとログの顔を覗き見た。
やたらと明るい声で気が付いていたが、やはりログは悪戯っぽい笑みを浮かべてワクワクとカルメの言葉を待っている。
『ログ、私がログの意地悪を嫌いじゃないって、分かってて言ってるだろ。分かってて言わせようとしてるだろ……』
カルメは溜息を吐いた。
「……言わせるなよ」
これが答えのようなものだろう。
現に、
「すみません」
と言うログの声は弾んでいる。
『朝からどっと疲れた』
皮膚を突き破ってどこかへ駆けだしてしまいそうなほどに高鳴る心臓を押さえつけて、カルメは溜息を吐いた。
「ログ、私の寿命が縮んだらログのせいだからな」
「え? どういう意味ですか?」
カルメの言葉に、ログは素っ頓狂な声をあげた。
本気でカルメの言葉の意味が分かっていなさそうだ。
『これは伝わらないのか、変な奴だな』
変なところで鈍感になるログがおかしくて、カルメは少し笑った。
「私のココが高鳴って、寿命が減ってしまうという意味だよ。ただでさえログと一緒にいると、心臓がうるさいのにな」
カルメは悪戯っぽい笑みを浮かべて、自分の胸を指差した。
ログは合点が言ったような表情をすると、ニッコリ笑って、
「じゃあ、俺が減らしてしまった分、カルメさんも俺の寿命を減らしていいですよ」
と答えた。
「え? なんでだ?」
「だって、そうしたら俺たち、ちょうど同じタイミングに、寿命で死ねるかもしれないじゃないですか」
怪訝な顔をするカルメに、ログはあっさりとそう言って答えた。
『確かに、ログを残して死ぬのも、ログに先に死なれるのもごめんだな』
先日の事件を思い出して、余計にそう思う。
「そうだな。それなら同時に老衰っていう、夢物語みたいな終わりを目指してみるか」
そう言うと、カルメは不意打ち気味にログの手をとって、その手首にキスを落とした。
小心者で恥ずかしがり屋なカルメにとって、この行動一つとってもなかなか勇気がいることだった。
カルメはキザな行動が恥ずかしくて少し赤くなるが、ログの方はあまり表情に変化がない。
カルメは残念そうに、苦笑いを浮かべた。
「ログは冷静だな。私は、結構照れているのに」
「そんなことないですよ。カルメさんほど顔に出ないだけです」
照れ笑いを浮かべるログの耳は、よく見るとほんのり染まっている。
それに気が付いたカルメは、ふふ、と笑みを溢した。
「そうみたいだな。ドキドキしているのが私だけじゃないみたいで、安心したよ」
そう言って、ログの耳をちょこん、と突いた。
今度こそ顔を赤くするログを、次はカルメがニヤニヤと眺めている。
こんな幸せなじゃれ合いを、二人はいつか来る最後の日まで何度も繰り返して生きていくのだろう。
庭の花壇に咲く花たちが、嬉しそうに揺れた。
2 ひねくれカルメはログの溺愛が怖い……はずだったのに! 宙色紅葉(そらいろもみじ) 週2投稿中 @SorairoMomiji
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