花の化け物

 案の定、その日カルメは悪夢を見た。

 永遠にログを失う夢だ。

 ベッドから跳ね起きて怯えるように辺りを見回すと、カルメが風邪をひいたときにしてくれたように手を繋ぎ、ベッドに突っ伏して眠るログの姿が見えた。

 カルメはべたつく汗を拭ってログに触れる。

 夜の冷気で冷やされてはいるものの、ログは生物としての温かさをもっていた。

『よかった、生きている』

 カルメはホッとすると、ベッドから降りてログを抱きしめた。

「ログ、ログはバカだな。一緒に眠ればこんなに寒くならなかったのに。風邪を引いたら大変なんだぞ」

 カルメがそう言ってログの頬を撫でると、ログはピクリと瞼を動かした。

「ん? カルメさん……おはようございます。あれ? もう夜ですか」

 すっかり暗い室内を、ログはキョロキョロと寝ぼけ眼で見まわした。

「ああ、そうだよ。よくは分からないが、もう遅い時間だと思う。なあ、ログ。今日はうちに泊まっていったらいいんじゃないか?」

 窓から入る星明りに悪戯っぽい笑みを照らして、カルメは言った。

 ログは困ったように頭を掻く。

「でも、女性の家に泊まるというのも……」

「女性って、私たちは恋人だろう? それに、もうすぐ結婚するんだし。泊まっていってくれよ、怖い夢が嫌なんだ」

 カルメがログの腕を掴んで上目遣いになると、ログは仕方ないな、と満更でもなさそうに笑った。

「仕方がないですね、いいですよ。カルメさんが眠るまで手を繋いでいてあげます」

「ありがとう、ログ。なあ、眠る前に外に出ないか? 外の空気を吸いたいんだ」

 カルメが両手を広げて笑うと、ログもつられて笑い、頷いた。

 二人は手を繋いで家を出た。

 外の空気は澄んでいて、星空はカルメ達よりもずっと遠くにある。

 その満天の星空を、あの美しい化け物がボーッと眺めていた。

『こんばんは。デートの邪魔をして、ごめんね』

 化け物が、あの時よりも優しくカルメに話しかける。

 おかげで、カルメは脳を揺らさずに済んだ。

 隣のログは息をのんで化け物を見つめ、カルメを庇って一歩前に出た。

「ログにも、アイツが見えるのか?」

 カルメが問うと、ログはカルメの方を見ずに頷く。

「ログ、アイツは多分、大丈夫だ。私に力の使い方を、ログを助ける方法を教えてくれた良い奴なんだよ」

「そう、なんですか?」

 少し緊張を解いて、ログはようやく化け物から目線を外してカルメを見た。

「そうだよ。あの時もずっとそばにいて、私たちを助けてくれたんだ。ログは覚えていないのか?」

「はい。全く気が付きませんでした。彼女? は何者ですか?」

 ログはカルメに言葉をかけて以来、意識を失ってしまっていた。

 それでも体に流れ続けた魔力は確かにログの命を救い、カルメが治療魔法を使ってログを助けたのだと教えてくれた。

 そのため、意識を取り戻したログは直感的に、カルメが自分を救ったことを理解していた。

 しかし、そんなログも流石に化け物のことは知らなかったようで、不思議そうに首を傾げた。

「分からない。あの時は必死だったからな」

 カルメも首を振ると、化け物はクスクスと笑った。

『あの時は、私を信じてくれてありがとう、ママ』

「「まま!?」」

 二人が同時に驚きの声をあげるのを見て化け物は、はにかんだ。

『おかげでパパを救えたんだよ』

「「ぱぱ!?」」

 やはりハモって驚く二人を、化け物は心底おかしそうに笑った。

 蔦で覆われた顔面の、おそらく目がある位置からハラリハラリと色とりどりの花びらを散らしている。

 アレが彼女の涙のようだ。

『意外と感情豊かなんだな』

 笑いすぎて花びらを流す化け物を、カルメは呆れたように眺めていた。

『ごめんね、カルメ、ログ。分かりやすくママ、パパって呼んでみたんだけれど、逆に混乱させちゃった』

「別にいいが、お前は何者なんだ?」

 カルメの隣で、緊張の面持ちをしたログが頷く。

 それに対し、化け物は口元に手を当てて『う~ん』と唸った。

『なんだろう。しいて言うなら、カルメが育て続けてくれた花、なのかな?』

「花?」

 カルメが振り返った方には、これまで大切に育ててきた花壇の花々があった。

『そうだよ。カルメは枯れた花も、雑草も、どんな植物でも自分で育てたり毟ったりしたものは肥料に変換して、何度も花壇に撒いたでしょう? そうすることで、一度死んでしまった植物の命が、記憶が、新たな花に継承され続けた。それを繰り返すうちに、花たちの間に自我のようなものが芽生えたの』

 化け物はふふふ、と笑って蔦に埋もれた花やドレスの花を揺らす。

 それは、カルメが話しかけた後に優しく揺れた花たちを思わせた。

 カルメがハッと息をのむ。

『その中には、ログがくれた花もあった。花々を肥料に変換するときにくれた二人の魔力が、二人、特にカルメが花に込めた愛情が、継承され続けた花の記憶が、緩やかに私という存在をつくっていったわ。今よりも薄ぼんやりとした記憶しかないけれど、それでも私はカルメがもっと小さなころから確かに存在していて、カルメを見つめてきたのよ』

 穏やかに微笑む化け物はカルメの子、というよりもむしろ母親のような風格さえ持っていた。

 それは確かに、この化け物が言う通りカルメを見てきたからなのだろう。

『最近では村の花に入り込むことができるようになっていて、ある程度は操れるようになっていたわ。カルメとログを喜ばせたくて、ログの花壇にまるでカルメのような花を咲かせたの。その日以来、今度はカルメが身に着けていた花に入り込んで二人を見守ってきたのよ』

「だから、私の母親云々を知っていたのか」

 カルメがフムフムと頷くと、化け物も嬉しそうに微笑んだ。

『そうよ。でも、その頃は今みたいにはっきりとした意識を持っているわけじゃなかったの。私が私になれたのは、カルメ、貴方が魔力を暴走させたからだわ。貴方の強すぎる魔力に触れることで、そして魔力を込めてもらうことで、ようやく私は生まれたの』

 化け物は、胸に咲いた大振りの「カルメ」の花に触れた。

『私の多くはカルメの魔力からできている。だから、カルメに薬系の治療魔法の適性があることを知っていたの。ログの魔力からもできているから、ログのことだって知っているのよ』

「え? 俺も?」

 急に話を振られて驚くログに、化け物はコクンと頷いた。

『でも、ログに隠された魔法は物騒だから、覚醒しない方がいいかもね』

「物騒……確かに」

「納得しないでくださいよ、カルメさん」

 ログの方を見て頷くカルメを見て、ログは苦笑いを浮かべた。

「えっと、なんて呼べばいいのかな? あなたは精霊や妖精の類なんですか?」

 化け物はふるふると花を揺らして首を振った。

『そんな高尚なものではないわ。私はあくまでも貴方たちが育ててきた花の集合体よ。それと、私のことは好きなように呼んで頂戴。どうせなら、素敵な名前がいいわ』

 化け物が胸の前で手を組むのを見て、カルメはこくりと頷いた。

「まあ、私たちの子供だからな」

「そう思うと、なんか、かわいく見えてきましたね」

「確かに。綺麗だが、それよりも可愛いかもしれないな」

 のんきに化け物を眺める二人を見て、化け物はクスクスと笑った。

『変な人たち。もっと怖がられると思ったわ』

 辺りにふわりと花びらが舞う。

「確かに、最初はびっくりしてしまいました。すみません、せっかく助けてくれたのに」

「私も、あんまりよくないこと言ったかもしれない」

 二人がしゅんと項垂れるのを見ると、化け物は余計に声を立てて笑った。

『やっぱり、変な人たち。ねえ、私のお名前は決まった?』

 化け物がコテン、と頭の蔦を揺らして首を傾げる。

 カルメとログは互いに顔を見合わせた。

「そうだな、私たちの子だから、一文字ずつ取って『メグ』なんてどうだ?」

「いいですね。可愛らしい名前だと思います」

 ログが腕を組んで頷いた。

『メグ。ふふ、いい響きね。気に入ったわ』

 メグは心の底からうれしそうに笑って、蔦の髪から花びらを散らした。

「わあ、綺麗だな」

「さすがメグですね」

 闇夜でふらふらと月明かりに照らされながら宙を舞う花びらは美しく、カルメとログは笑みをこぼした。

『じゃあ、私はそろそろ行くわね?』

 メグが、少し寂しそうに言った。

「どこへ?」

『あそこの花壇に帰るのよ。私は人ではないから、あまり貴方たちと一緒にいない方がいいでしょう? これからはあまり姿も見せないわね。元々そうだったんだもの、寂しくはないわ』

 メグの瞳は蔦や花で覆われているから見ることができない。

 そもそも瞳があるのかも怪しい。

 けれど、それでもメグの花が寂しそうに揺れるのが見えた。

「別に、人じゃないからこうしなければいけない、なんてことはありませんよ。メグは俺たちの子供なんでしょう? 好きな時に出て来てください」

「ログの言う通りだ。いつでも私たちに会いに来ればいいさ」

 あっさりと言って笑う二人に、メグは少しの間呆然とすると、ニッコリ微笑んだ。

『本当に変わった人たちね。でも、どちらにせよ私は、花壇の中で消費した魔力を溜めなくちゃいけないから。いつか、また出てこられるようになったら二人のところへ行くわね』

「そうか。それなら、今度こそ枯らさずに育てて見せるよ」

 カルメがドンと胸を叩いた。

『ええ、期待しているわ。それじゃあ、またね。カルメ、ログ』

 メグはそう言って手を振ると、ボコボコと土に潜っていった。

 二人はしばらく、夜風に揺れる花壇を見つめていた。

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