お姉ちゃんに嫉妬
アリアーデの町はやはり、カルメ達の住む村に比べればずっと都会だ。
煉瓦造りの家がいくつも並んでいて、道は人と物で溢れている。
常にだれかの話声や音楽が鳴っていて騒がしい町は、活気で満ちていた。
「地面が全て舗装されている!」
カルメが興奮気味に言いながら、地面を見た。
足元に広がるのは土ではなくレンガによる道で、それだけでカルメにとっては珍しい事だったのだ。
別に、カルメは都会に行ったことがないわけではない。
ただ、人嫌いなカルメは大量に人が集まる都会に長居しようとは思えなかったし、自分の需要は自然に命運を託すようなド田舎の村にあると思っていたから、都会に来てもあまりよく見ずに素通りしていたのだ。
しかし、今は隣にログがいるのに加え、そもそもこの町はログの生まれ故郷だ。
町自体への関心も高く、カルメは嬉しそうにあちこちを眺めてはしゃいだ。
「家もたくさんあるな。あれは、路上で何をしているんだ?」
カルメが言うのは、路上で空き缶を片手に歌う女性だ。
数人の町人が立ち止まり、ゆらゆらと揺れて彼女の歌を楽しんでいる。
「あの人は歌手ですね。ああやって歌って、路上で歌を聞いてくれたお客さんからお金をもらうんですよ」
「へえ、じゃあアレは?」
カルメは、路上で布を敷いて座る親子を視線で示した。
衣服は貧しく、明らかに栄養状態が悪い。
親子は何かに祈るように、手を組んで目を瞑っている。
「アレは……なんでしょう? 俺にもよく分かりませんね。そう言えば今日はいつもよりも人通りが多いですし、明らかに町の人じゃない人たちもいますね」
ログまで不思議そうに首を傾げていると、
「聖女アルメのパレードですよ」
と、高い少年の声が二人の背後から投げかけられた。
二人が振り返ると、そこには十四、五歳ほどの背の低い少年がいた。
茶髪に黒い目の、痩せた、どこにでもいるような少年だが、その身なりは清潔だ。
白いブラウスの襟もとには、金糸でできた複雑な光を描いた刺繍が入っている。
「聖女……アルメ?」
聞き覚えのあるその名前は、カルメの母親の名前だ。
『まさかな。よくある名前だ、アイツのわけがない』
カルメが一瞬動揺した自分を嗤うと、少年は何を勘違いしたのか、「聖女アルメ」と「パレード」について説明を始めた。
「もう、十二、三年前になるのかな。聖女アルメは敬虔なるモルトナ家に突如として現れ、ご子息の病を癒したのです。それは、不治の病で確実にご子息の命を蝕むものでしたが、聖女アルメの聖なる魔法を前には、病など無いも同然でした」
少年は淡々と、けれど情熱的に語る。
「それ以降、聖女アルメは協会に身を寄せ、神の僕として国中の病を癒しておられるのです。その救済の旅を我々は『聖女アルメのパレード』と呼ぶのです。パレードと言っても、お祭り騒ぎをするわけではありませんがね」
少年の目が、少しづつ危うくなる。
熱がこもる。
狂信者。
それがピタリとあてはまる言葉だ。
「嗚呼、素晴らしき聖女アルメ。この腐敗せし世を救う神に等しきお方。光栄なことに、僕は聖女アルメの従者なのです。ところで、お姉さん。貴方はどことなく顔立ちが聖女アルメに似ていますね」
恍惚とした表情のまま、少年がカルメの顔をよく見ようと一歩足を踏み出そうとする。
しかし、その前にログがカルメを抱き寄せて少年の肩をドン、と押した。
少年はよろめき、そのまま尻もちをつく。
「俺の恋人に無断で近づくとは、いい度胸だ」
今までに聞いたことが無いような低い声で威嚇した。
ログが鋭い目つきで睨むと少年は我に返ったように慌てて立ち上がって、ペコペコと謝罪を始めた。
「すみません。確かに不躾でした。僕は聖女の話になると周りが見えないことがありまして。他意は無かったのです」
少年の目には光が戻っており、正気に戻っていることが感じ取れる。
しかし、それでもログは警戒を解かない。
「黙れ。俺たちは聖女とやらに興味がない。謝るくらいならサッサとどこかへ行け」
殺気を纏わせて唸るように言うと、少年は慌てて、本当にすみませんでしたとお辞儀し、どこかへ駆けて行った。
「ふう、これだから都会は嫌なんです。変な奴が多すぎる。カルメさん、大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう。大丈夫だ」
少年の狂信的な視線は過去にカルメを勝手に神格化して崇め、勝手に失望しては追い出した村人達を思い出させた。
一瞬カルメは恐怖に身をすくませたが、ログに抱き寄せられて守られることでその恐怖も霧散し、今あるのは幸福感と安心感だった。
カルメはよくわからない狂信的な少年への恐怖よりも、目の前の恋人の格好良さにのぼせていたのだ。
それが伝わったのだろう。
ログは、微笑んでカルメの頭を撫でた。
「そうだ、カルメさん。お腹は空いていませんか? あそこの露店で串焼きでも買って食べましょう」
そう言って指差したのは、甘じょっぱく食欲を誘う香りを出して肉を焼く露店だった。
カルメは控えめに鳴るお腹を押さえて頷いた。
「おじさん、串焼きを二本お願いします」
そう言って串焼きを二本購入すると、一本をカルメに差し出した。
串焼きはこんがりと焼き目がついていて、焦げたタレの香りが香ばしい。
全体的にテリテリと艶があり、ホカホカと温かそうな湯気が立っている。
串を持っただけで指にタレが付着して、カルメはペロリとそれを舐めた。
随分と食べるのに難儀しそうな食べ物だが、カルメは嬉しそうに目を細める。
「ありがとう。でもログ、私もお金あるぞ」
碌に使いもしないのに、これまで様々な村からお金を巻き上げてきたカルメは、それなりに財産をもっていた。
串焼きくらい余裕で買える。
しかし、ログは首を横に振った。
「いえ、俺が買ってあげたいと思ったので、もらってください。それよりも、早く食べないと冷めちゃいますよ」
「あ、そうだな。分かった。あちっ……おいしい!」
慣れない料理に悪戦苦闘しながらも、カルメは串焼きの肉を齧った。
香辛料がよく効いたその味は濃く、都会ではよくある味だったがカルメには新鮮に思えて目を丸くした。
そして、手と口元をベタベタにしながら串焼きを食べ進める。
はしゃぐカルメを、ログは微笑ましげに眺めながら串焼きを食べた。
そして、カルメより先に食べ終わると一生懸命に串焼きを齧る姿をデレデレと眺めた。
傍目から見ると、かなり危ない人に映る。
やがてカルメが串焼きを食べ終わると、今度は口元や手を優しくハンカチで拭った。
「ログ、私も大人なんだから、そのくらい自分でできる」
同じものを食べたはずなのに全く口や手を汚さないログ。
それに比べカルメは手や口をベタベタに汚した上に、ログに拭いてもらっている。
急に自分が幼い子供のように思えて、カルメは顔を真っ赤にした。
「子供っぽいカルメさんも、可愛いですよ」
「答えになっていない」
カルメが顔を真っ赤にしたまま口元を拭われていると、
「あら! ログじゃない。いつの間に帰ってきてたの?」
と、明るく弾んだ女性の声が聞こえた。
振り返ると、薄緑色の目に茶髪のきれいな女性が微笑んでいる。
年はカルメやログより三、四歳ほど上の、二十三、四歳といったところだろうか。
カルメは女性を警戒して、知らず知らずの内にログの腕を掴んだ。
それを見て、女性はますます笑みを深くする。
「あらあら、可愛い子を連れちゃって。もしかしてログの彼女ちゃん?」
「そうだよ」
ログがにっこりと微笑んで返した。
その様子を見て、カルメは目つきを悪くする。
ログが女性にデレたように見えたのだ。
『なんだよ、コイツ。馴れ馴れしいな……ログの友達か? ログも、綺麗な人だからってデレデレすんなよな』
内心の言葉は棘をもち、心の中で舌打ちをする。
「ログ、あの人、誰?」
ログの耳元で囁いた声は、久々の低く脅すような声だ。
ログはくすぐったそうに笑うと、
「俺の姉のメリッサですよ。姉さん、こちらは俺の大切な恋人のカルメさんです」
ログはカルメの方へ手のひらを向けて、自身の大切な恋人を紹介した。
姉、と聞いたカルメはサァッと青ざめて、緊張した面持ちでログから離れ、メリッサの前に立つ。
そして、
「ろ、ログの恋人のカルメです。よろしくお願いします」
と、青ざめたまま言った。
「さっきは睨んでごめん、なさい……」
震える声で言うと、カルメは俯いた。
『どうしよう。嫌われたかもしれない』
泣きそうになるのを堪えて、カルメは必死で謝った。
虚勢を張って、開き直ることはできなかった。
それをすれば、ますます取り返しのつかないことになってしまうと思ったからだ。
すると、震えるカルメを甘い匂いと温かさが包み込んだ。
驚いて顔を上げると、ニコニコと笑ったメリッサがカルメに抱き着いているのが見えた。
「可愛い。私、こんな妹が欲しかったの!」
ニコニコ笑ってカルメの頭を撫でる。
カルメはどうしたらよいのかわからずに狼狽えて、
「ログ、ログ……!」
と、訳も分からないままにログに助けを求めた。
ログはカルメを安心させるよう優しく笑いかけてから、メリッサのことを睨んだ。
「姉さん、カルメさんが驚いてるから放して」
唸るように言って、強引にメリッサの腕の中からカルメを奪った。
低い声は、とても自分の肉親に向けるべきものとは思えない。
カルメはびっくりしたまま、ログの腕の中で丸くなっている。
それを確認すると、ログはそっとカルメの額に口づけを落とした。
カルメは一瞬ビクリと震えたが、すぐに安心したらしく落ち着きを取り戻し始めていた。
『よく考えたら、お姉さんの前で……』
人前どころか家族の前ですら積極的にいちゃつきにくるログに、カルメは憤りを覚えた。
メリッサも呆れたように笑っている。
「ログも情熱的になったわね。まさか姉の前で堂々といちゃついて見せるとは。でもまあ、いいわ。それよりもごめんね、カルメちゃん。お姉さん、カルメちゃんが可愛かったから抱き着いちゃった」
「いえ。大丈夫、です」
カルメがログの腕の中でそう言うと、メリッサはニコニコとカルメの頭を撫でた。
『可愛いと、すぐに抱き着いて頭を撫でるのは遺伝なのか?』
メリッサの様子に既視感を抱いたカルメは、そんなことを思った。
『でも、よかった。可愛いって言ってもらえた』
いつもより更に早起きして綺麗に髪を整え、お気に入りの桃色のワンピースで武装したカルメは、その努力が報われたような気がして嬉しくなった。
夜な夜な敬語の練習をした甲斐があったというものだ。
カルメは心の中で一息つくと、ログの腕から出ようとログの腕を軽く叩いた。
「ログ? ログさん? もう大丈夫、だから放して、ください」
メリッサの前なので敬語で話すと、ログはフルフルと首を横に振った。
「いえ、このままでいきましょう。俺の父さんや母さん、兄さんがカルメさんに抱き着いたら嫌なので」
「え? 何を言っているんですか? それに動きづらい、ですよ」
それでもカルメが食い下がると、ログはヒョイッとカルメを横抱きにした。
「お姫様抱っこなら、簡単に連れて行けますよ」
「うぇ? あ、いや、いい。抱っこしなくていい! 歩ける! 歩けます!」
お姫様抱っこをされたのは初めてで、カルメは動揺し、敬語と通常の言葉遣いがゴチャゴチャに混ざってしまう。
カルメがログの胸をペシペシと叩いても、ログはカルメを決して放さない。
そんなログの様子を、メリッサは微笑ましいような、少し見ない間に随分と変わってしまった弟の姿に驚愕するような、なんとも言えない複雑な視線を送っていた。
「そう言えば、ログ。あんた、このまま家に帰るの? それともどっか寄るの?」
「ああ、食料品店に行って油を買って行くよ」
当然のように言って、爽やかに微笑んだ。
「なんで? フライでも作るの?」
「万が一、みんながカルメさんに意地悪をしたら、家ごと燃やしてやろうと思って」
さも当然とでもいうように微笑むログの瞳の奥には、暗い炎が灯っている。
カルメはログの腕の中で、多すぎる情報量にオロオロと狼狽えた。
「え、怖っ……ログ、あんた本当に変わったわね。というか大体、私たちがカルメちゃんみたいな可愛い子を邪険に扱うわけないじゃない」
メリッサは頭を押さえてため息を吐き、カルメの方へ手を伸ばす。
その手をペシン、とログが叩き落した。
「痛い! 何すんのよ」
メリッサがログを睨むと、ログもメリッサを鋭く睨み返した。
「姉さんこそ何をするんだ」
「撫でようとしたのよ。はあ、アンタ本当に、まあいいわ。ごめんね、カルメちゃん。こんな弟で……」
メリッサから飛んでくる憐憫の視線に困惑しながら、カルメは曖昧に頷いた。
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