アリアーデの町へ
カルメ達の住む村は、名前があるのかさえもよく分からない小さな村だが、他の町や都市から隔絶されているわけではない。
月に数回の頻度で、他の町から商人がやって来ることがある。
ちょっとした旅の果てにこの村に辿り着いたログも、そんな商人の一団とともに村までやってきていた。
ではなぜ、ログが森の奥で魔物に襲われていたのかといえば、都会育ちのログが大きな森というものに興味を示し、商人達と村の中に入ってすぐに分かれ、単独で森の中に入っていたからだ。
アレは無謀だったな、とログは後に振り返って笑う。
そのことを話したら、カルメに無茶をするなとガッツリと叱られたのはまた別の話だ。
ともかく、そんな風にして商人やら旅人やらの一団に混ぜてもらえば、何日かはかかるがログの故郷アリアーデの町に辿り着く。
しかし、今回二人は、アリアーデに行くのにその方法は用いなかった。
きっかけは、ログのちょっとした一言だ。
二人でどうやってアリアーデに行くか話し合っていた時、村の近くの川を見ていたログが言ったのだ。
「そう言えば村の方から流れている、この大きな川を真っ直ぐ下ると俺の故郷に着くんですよ」
森の中にある湖と村の中を流れる川は繋がっており、さらにその川は村の外のどこかへと繋がっている。
川そのものはとても大きく、世界の果てまで繋がっているのではないかと思えるほどに長い。
この大きな川こそが、村が定期的に水害にさらされる原因でありカルメが村に必要とされる理由の一つになっていた。
「へえ、じゃあ川を渡って行った方が早いかもな」
そう言うと、カルメは上空に手をかざす。
川の上に見る見るうちに青の魔力が溜まっていき、光が躍るように広がって、次第にそれは形を成していく。
現れたのは、氷でできた一艘の船だった。
それが大きな川の上でぷかぷかと浮いている。
手漕ぎ式の船は決して大きくはないが二人で乗るには十分で、透明で見えにくいがタプンとした水の帆が張られている。
オールがひとりでにギコギコと動いて、ゆっくりと二人のもとにやって来た。
「私は川や湖がある場所ではこんな風にして船を作って旅をしてきたんだ。陸地では仕方なく歩いてたけどな。ん? どうした、ログ。乗らないのか?」
カルメが船に足をかけたまま、ログの方を振り返って言った。
「そりゃあ、木の船なんかに比べたら乗り心地は悪いだろうけど、乗れないもんじゃないぞ? 出かける当日はクッションとか毛布を持ち込んで、乗っても冷たくないようにするし」
「いえ、乗り心地を気にしたわけじゃないんです。ただ、凄いなあって思ったんですよ」
ボケーッと船を見たログが言う。
「そうか? 子供の頃からこんな感じだからよくわからんが。とりあえず乗ってみてくれ」
カルメに手を引かれて、ログも船の上に乗り込んだ。
船は意外と安定感があって、乗り心地は悪くない。
カルメは船の先頭の方へ行くと、手をかざして船の先に氷の魔法陣を作った。
そこに魔力を流せば、ひとりでにオールが動き出す。
「今までは魔法で直接オールを支配下において舟を漕いでいたが、こうすれば意識しなくても船は進むからな。やっぱり魔方陣は便利だ」
カルメは鼻歌でも歌いだしそうなほど、ご機嫌になって笑った。
「カルメさん、本当に天才なんですね」
「まあな。偶に起こる水害くらいでしか見せ場がないが、結構いろいろできるんだよ、私の魔法は。なあ、ログ。なんでそんな浮かない顔してるんだ?」
ログが何処か落ち込んでいる気がして、カルメは心配そうに声をかけた。
「いえ、カルメさんの凄さに驚いただけですよ」
ログが曖昧に笑った。
「ログ、私の事好きか?」
カルメが唐突に聞いた。
「え? なんですか急に。もちろん好きですよ」
即答するログに、カルメは安心して笑みを浮かべた。
「ならいい。即興で船作るなんて真似したから、ログが私を化け物って罵るんじゃないかと不安になっただけだ」
「そんなわけないじゃないですか! 化け物だなんて言う人がいたら、俺が燃やしてきます」
カルメが苦笑いをしていると、憤慨したログがカルメの手をとって言った。
タプンと船が揺れる。
「いやいい。大体ログは炎の魔法使えないだろ」
「魔法は使えなくても火は起こせます。もしかして昔誰かに言われたんですか? サニーですか? あいつの家燃やしますか!?」
サニーへの風評被害が止まらない。
もっともサニーは口には出さないがカルメを化け物だと思っていたし、今もそれは変わらない。
物騒で怖い化け物が、可愛らしい側面をもつ化け物に変化しただけだ。
サニーは今後、迂闊なことを言えないだろう。
「い、言われてない。サニーには言われてない」
カルメが慌ててブンブンと首を振った。
ログの毛が明らかに逆立って怒っていたからだ。
「サニーには? じゃあ、他の誰かには言われたんですね!」
「そ、そうだけどココの村の奴じゃないよ。ずっと前の村の奴らだ。アイツら私を拒絶したからムカついて村を出たんだが、その時に今日のよりも大きい船をつくったら、化け物って言ってトマトとか卵とか、石とか投げてきやがったんだよ」
そう言って、カルメは無意識に左手を押さえつけた。
それを、ログは見逃さなかった。
スルリと自然にカルメの腕をとる。
「もしかして、その時怪我したんですか?」
「ああ、うん。石が、ぶつかった」
今は青白く細いだけの腕だが、かつては痛ましい痣があったのだろうか。
そう思うとログは胸が締め付けられて、腕に口づけた。
そして、そっと腕を包んで治療の魔法を使う。
薄緑色の光がカルメの腕を包んだ。
そもそも怪我などしていないのだから何も変わらないのだが、それでもログは何かをしてやりたかった。
過去の辛さを取り除くような何かを。
「ログ、もうとっくに治っているんだぞ?」
顔を火照らせたカルメが、困ったように笑う。
「それでも、何かをしたかったんです。それと、さっき落ち込んだのはカルメさんの凄さに圧倒されたからですよ。カルメさんに比べて、俺ってたいしたことないなって」
「そんなことない。私の魔法なんかより、他人を治してやれるログの魔法の方がずっと凄い」
励ましもあったが、同時にカルメの本心だった。
自分のためにしか使えないカルメの魔法よりも、他者の苦しみを取り除けるログの方が優れているのだと、カルメは本気で思った。
「でも、俺の魔法はカルメさんのためのものだから。もちろんカルメさんが怪我しないのが一番なんで、別に見せ場は無くていいし、むしろその方がいいんですけど。でも、俺、いいとこなしだなって」
ログが苦笑いをすると、カルメはギュッと手をとった。
「そんなことはない! 魔法を使ってなくても、その、ログは、ログの存在が、私をいつでも、その、い、癒して、くれるんだ。だから、ログの方が凄い!」
噛みながら、どもりながら、それでも勢いよく言うと、ログはふんわり微笑んだ。
「じゃあ、カルメさんも治療の魔法が使えますね。俺の特効薬もカルメさんだから」
ログはさりげなくカルメの頭を撫でた。
「ログの、そういうことをスラスラ言えるところも凄いと思う」
カルメは、はにかみながら言った。
ログの故郷へ向かう当日、カルメは緊張の面持ちで船に乗り込んだ。
本日のカルメは以前にログとのデートで着た薄桃色の花柄のワンピースの上に、普段からよく着ている深緑のローブを羽織っている。
ワンピースは襟や袖が繊細なレースで飾られていて可愛らしい。
また、カルメは以前ログにもらった紫の花を凍らせて作った即席のアクセサリーで、ひっそりと己の髪を彩っている。
その服装は、最近とても可愛らしい雰囲気を持つようになったカルメによく似合っていて、愛らしい。
対してログの方は、薄い青のシャツに真っ黒いズボンを履いている。
他に飾り気もなく非常にシンプルだが、それがかえってログに良く似合っていた。
氷の床の上には断熱材が敷かれ、その上には布団、さらに上には毛布が敷かれ、そのさらに上にはクッションが載っている。
カルメとログは靴を脱いでクッションの上に座っているのだから決して寒くはないはずだが、それにもかかわらずカルメの顔は青ざめていた。
おかげで、せっかく二人を見送りに出て来てくれたサニー、ウィリア、ミルク、ガードの顔は見えないし、声も聞こえない。
仕方がなく、ログが皆の相手をしていた。
やがて船も進み出して村が見えなくなると、ログはそっとカルメに話しかけた。
「カルメさん?」
「……なんですか? ログさん」
「カルメさん!? 何か悪いもの食べた!?」
急に敬語を使いだしたカルメに驚き、ログはカルメの額に手を当てた。
その額は冷や汗を掻いていて、冷たい。
「違いますよ、ログさん。敬語の練習を、しているのです」
そう言うカルメの言葉はどこまでも棒読みだ。
「うちの親に挨拶するためですか?」
「はい。ご挨拶のためです。サニー、さんやログさんの真似をしました。どう……如何ですか?」
声とともに表情も凍ってしまっている。
ログは戸惑いもあって、苦笑いを浮かべた。
「い、違和感しかないです」
「そうですか」
それっきり、カルメは黙ってしまった。
二人の間に流れる気まずい沈黙が痛い。
いつもと違うカルメの雰囲気にぎくしゃくとしながらも、ログはカルメに話しかけた。
「あの、カルメさん。少なくともうちの親に会うまでは普段通りでいいですよ」
「いえ、そうしていると、本番で、ボロ……失敗、してしまう、気がするのです」
敬語のボキャブラリーが少ないカルメは、ゆっくり、ゆっくりと話した。
「でも俺、普段のカルメさんの話し方が好きですよ?」
「あの男、男性のような、ぶっきらぼうな話し方が、ですか?」
まさか自分の普段の口調が好まれているとは思わず、カルメは驚いて敬語が取れそうになってしまい、慌てて言葉遣いを正した。
怪訝な目で見るカルメを、ログは真直ぐに見返す。
「はい。だから、少しいつも通りにしてくれませんか?」
ログの真直ぐなお願いにカルメはしばらく黙っていたが、やがてふーっとため息を吐いた。
それは呆れのため息にも、安堵のため息にも聞こえる。
「……分かったよ。仕方がないな」
言葉遣いとともに少し緊張がゆるむと、いつも通りのカルメに戻ったような気がして、安心したログは思いっきりカルメを抱きしめた。
「カルメさん、よかった」
「そんなに変だったのか?」
ムッとしたような、困ったような顔で言う。
「あはは、結構……俺はやっぱりいつものカルメさんが好きです」
心底嬉しそうに言うログに、カルメは苦笑いを漏らした。
自分の口調を受け入れてもらえたのは嬉しかったのだが、ログの気持ちは今一つ理解できなかった。
「ログは本当に変わってるな……私のしゃべり方は、昔少しだけ助けてくれたおっさ……おじさんからもらったモノなんだ。覚えてるか? 前に少しだけ話したと思うんだが」
「はい。湖から陸に流れ着いたカルメさんを助けて、その後三日間、世話をして、魔法の使い方と生き方を教えてくれた、という方ですよね」
ログは頷いて答えた。
「そうだ。私の目をきったねえとかいうし、碌でもないおじさんだったが、それでも恩人だった。あのおじさんは人里離れた湖で生活していたみたいで、いつもムスッとして、無愛想で、適当で。でも、当時の私にはとんでもなく強く見えたんだ。だから、言葉遣いをもらった。強くなれる気がしたんだ」
カルメは深緑の瞳で空を見上げた。
どこか遠くの過去を懐かしむように。
「強く、なれましたか?」
ログの問いに少し間を置いてから、カルメは首を振った。
「いや、無理だったな。粗暴なしゃべり方といじけ根性で他人を突き放して、虚勢を張ることと心を無視することだけを覚えてしまった。捻くれてしまった。あの当時強く見えたおじさんは、本当はどうだったんだろうな」
カルメが手に入れたものは、不貞腐れた仮初めの強さだけ。
思い出すのは、不愛想な中年男性の寂しそうな後ろ姿だ。
『どうして、あのおじさんはあんなところで一人だったんだろう。私みたいに人が嫌いだったのか?』
それにしては、男性はカルメに優しかった。
優しくて、不器用で、時々カルメを「リリー」と呼んだ。
カルメは、今更考えてもどうしようもないことを、ボーッと考えていた。
「会いたいですか?」
「え?」
唐突に聞かれ、カルメは首を傾げた。
「いえ、寂しそうに見えたので」
そう話すログの方こそ寂しそうに見えてカルメは違和感を覚えたが、とりあえずログの質問に答えることにした。
カルメは眉間に皺を寄せると、少し考え込む。
「どう、だろうな。よく分からない。でも、そうだな。多分私は、あのおじさんを父親みたいに思ってたんだ。だからかな、ログの親のことを考えていると、偶におじさんのことを思い出すんだ」
難しい顔をして唸るカルメに、ログはふんわりと笑いかけた。
「やっぱり、言葉遣いは変えなくていいですよ。カルメさん」
「ん? なんでだ?」
カルメにとって今一番変えたいものが言葉遣いだ。
少しずつ言葉遣いを柔らかくしようと努めているのだが、なかなか変えることができず、カルメは少々悩んでいた。
気恥ずかしくて使えないが、カルメはサニーのような優しく丁寧で女性らしい話し方に憧れがあったのだ。
また、ログの家族に挨拶をするためにも言葉遣いの変更は欠かせない。
不思議そうに首を捻るカルメを、ログは愛おしげに見つめた。
「だって、その言葉はカルメさんの生きてきた証ですから。虚勢でも何でも、頑張ってきた証だと思います。俺はそんなカルメさんが愛おしいから、そのままでいてほしいです」
ログはそう笑うと、冷たいカルメの手をとってにっこりと微笑んだ。
少しずつ、カルメの体温が上がっていく。
「ありがとう、ログ。でも、私はどうしてもログの両親に好かれたいからさ、親の前では綺麗な言葉遣いでいるよ。でも、その、そうなっていても、す、好きで、いてくれ」
語気を弱めながらモジモジと言うと、ログは力強く頷いた。
「当たり前ですよ。さっきは狼狽えてしまったので説得力ないかもしれませんが、結局俺は、どんなカルメさんも好きなので」
「ありがとう」
二人で微笑んでいると、段々と町が見えてきた。
早朝から出発して、現在は昼過ぎくらいだ。
陸路だと数日はかかる。
「本当に川を下るとすぐなんだな」
「陸だと様々な場所を迂回しなければいけませんからね。町に入るためにも、この辺で降りましょうか」
カルメが氷でできた錨を下ろして船を止めると、ログが先にヒョイッと陸地に降りてカルメに右手を差し出した。
「はい。足元に気を付けて」
「ありがとう、ログ」
カルメはログの手をとって地面に立った。
そして船から毛布などを回収すると、船に向けて手のひらをかざした。
青い光が船に纏わりついていて船を縛る。
カルメが手のひらを握ると同時に船は砕けた。
「もったいないですよ」
ログは毛布類を畳んで鞄にしまいながら言った。
「でも、あんなのがあったら邪魔だろ? いいんだよ、また作るから。ところでそれ、かなり邪魔だな。あの辺に置いていくか」
そう言って、カルメは川の近くに生えた大きな木を指差した。
ログから鞄を受け取り、木の根元に鞄をドサリと置くと両手を鞄にかざす。
鞄の周りをクルクルと青が躍り、あっという間に氷の木箱ができた。
その腹の中には荷物を詰め込まれている。
木箱の上には魔法陣が描かれていた。
「これで、私達しか開けられない箱の完成だ。どうせ何日もこの町にいるわけではないし、少し置いておくことくらい許してもらえるだろ」
にっこりとカルメが言うと、ログもニコニコ笑ってカルメの頭を撫でた。
「わっ! なんだよ、ログ」
「何でもないですよ。ちょっとカルメさんを褒めたくなっただけです。それよりも、早く町に入りましょうか」
ログがそう言うと、カルメは頷いて緊張の面持ちで町に入って行く。
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