結婚したいな
サンサンと太陽が降り注ぐ中、カルメは魔法で出した水球に布類を入れ込んでゴウンゴウンと回した。
ある程度、布を回すとカルメは水球に洗剤を入れてさらにゴウンゴウンと回した。
その後、カルメは水球を新しいものに交換して再び回す。
それをさらにもう一度行ったら水球を消す。
そして今度は、布に入り込んだ水を操ってギューッと雑巾を絞るように布を捻じった。
この時点で布の中にある水分の一切合切を消滅させることもできたが、カルメはお日様で干した洗濯物の匂いが好きなので、敢えてそれはやらずに脱水だけを行っていた。
すっかり水分が抜けきって、もはや布に含まれた水を操り空中に布を留めることができなくなる状態まで絞ると、カルメは空から降ってきた少し重い布の塊を受け止めた。
そしてそれを診療所の庭にある二本の木に渡されたロープに掛けた。
洗濯はさみで布を固定してやれば、ここでいったん洗濯は終了となる。
これを何枚分も行うのは面倒だったが、カルメのように魔法を使えなければ面倒などと言う言葉では済まない。
過酷な重労働である。
『ログは、毎日これを終わらせてから、私に会いに来ていたんだな』
カルメ達の住む村は平和で、かつミルクもログも大怪我を治せるほどの優れた治療の魔法の使い手であるから、診療所は決して忙しくない。
必ずしなければならない仕事といえば診療所の清掃と、薬や医療道具の手入れなどくらいで、それが済めばミルクは友人とお茶会を、ログは医学を勉強したりカルメのもとを訪れたりして気ままに過ごすことができる。
だから、恋人になる以前のログは、この最低限終わらせなければならない仕事である洗濯物を終わらせてから、毎日昼過ぎにはカルメに会いに来ていた。
その頃、ログはカルメに相手にされていないどころか、蛇蝎のごとく嫌われていたのに。
『全く、何がログを駆り立てたんだか』
ログがカルメを深く愛していること、このこと自体はカルメもよく理解している。
油断すればその事実を突きつけられるような甘い日々を過ごしているのだから、当然と言えるかもしれないが。
だが、自分が嫌いで良いところなんかないと思っているカルメは、ログが自分の何をそんなに好んでいるのか、よく理解できていなかった。
『瞳が好き、とは言われたが。まあ、私もログの瞳は好きだけど』
優しく穏やかな薄緑の目を思い出しながら、カルメは洗濯物を干した。
自然と顔がにやける。
「おや、カルメちゃん。今日も頑張っているね」
「ん? なんだ、先生か。驚かせるなよ」
突然現れたカルメに驚きながらも、カルメは洗濯を続けた。
今干したシーツで最後になる。
「いつ見ても、カルメちゃんの魔法は凄いね。僕はもう年だから洗濯はままならないし、ログ君だって、一生懸命に頑張ってもすぐには終わらないのに」
「まあ、だからこそ私がやってるんだけどな。先生は何やってたんだよ。お茶でも飲んでたのか?」
ミルクは、生意気なカルメの態度を気にすることなく微笑んで、
「そうだよ」
と穏やかに笑った。
ミルクは白ひげをたくわえた老人だが、その見かけとは裏腹に若々しい話し方をする。
また、カルメの話し方はとても年上に対するものではなかったが、これでも随分と柔らかい言葉で話すようになったのだ。
何せ少し前までのカルメは、自主的に他者の怪我を治すミルクを「偽善者」という嘲りを込めて「センセイ」と呼び、話しかけられれば舌打ちをして睨んだ。
今もカルメの人間嫌いは治らないが、それでもログが尊敬するミルクに対して少し態度を軟化させていた。
ミルクは孫のようにかわいがっているログと、そのログの恋人であるカルメが、二人で診療所の仕事をしてくれる今の状態を歓迎している。
元々診療所を継ぐ人間が見つからなくて困っていたから、ということもあるが、ログは一生懸命ミルクの言葉を聞いてよく働くし、カルメも態度のわりに仕事には誠実だ。
何より二人が仲睦まじく協力し合って働く姿は、とても可愛らしいものだった。
「まるで孫夫婦が頑張ってくれているみたいで、かわいいねえ」
ミルクはしみじみと言った。
「は? 何の話だよ?」
「君とログ君の話だよ。僕はログ君を孫みたいに思っているからね」
「夫婦って!」
カルメはほんのり、顔を赤く染めた。
こっそり冷気の魔法で顔を冷やす。
それを見て、ミルクは「おやおや」と笑った。
「まあ、老いぼれの戯言だよ。びっくりさせて悪かったね」
「別に……なあ、先生。結婚ってどうやったらできるんだ?」
前々から、カルメはログと結婚することに興味があった。
結婚すれば同じ家で一緒に暮らせる。
今よりもずっと一緒にいられると思ったからだ。
朝起きたら「おはよう」を言って、一緒に朝ご飯を食べる。
二人で花壇の世話をして、少しのんびりしたら診療所へ向かう。
仕事をしたり、デートをしたりして、一日が終わったら二人で家に帰る。
二人で夕食を食べて、眠るときにはログに「おやすみなさい」を言って眠る。
恐ろしい夢に怯えることになったら、隣のログに抱き着けばいい。
温かな日々を妄想しては恥ずかしくなって、けれどどうしようもなく憧れて、眠れなくなる。
そんな夜を、カルメは何度も過ごしていた。
しかし、これまで極端に人付き合いを避けてきたカルメは「どうすれば結婚できるのか」を知らなかった。
『物語では、結婚したいって相手に言って、それで結婚式とかやるんだっけ?』
カルメの思考の手掛かりになるものは、いくつかの小説くらいしかない。
その物語にだって、どうすれば結婚をできるのか、なんていう嫌に現実味を帯びた事柄は書かれていなかった。
ミルクは細い目をさらに細めて、のんびりと笑った。
「そうだねえ。手続きだけなら、村長に結婚するって言って届けを出せばいい。でも、結婚は、本当はもっといろいろなことを、しないといけないからね」
「プロポーズ、とか?」
とりあえず、思いつく結婚のための要素を口に出す。
ミルクはおっとりと頷いた。
「それも、もちろんそうだね。それに、結婚式をしたり、新居を決めたり」
「しんきょ?」
カルメは首を傾げた。
「新しい家のことさ。別に新しくなくてもいいけれど、結婚したらどこに住むのか決めなくちゃ」
「私の家にすればいい」
カルメの家は決して大きいわけではないが空き部屋もあったし、二人か三人程度なら住むことができる程度ではある。
むしろ一人で住むには広く、結婚をしたらログが自宅に住むようになるのだろうと思っていたから、あっさりとそう言った。
「まあ、その辺は二人で話し合って決めなさい。後は、親への顔合わせかな?」
平然と出されたその言葉に、ドクン、とカルメの心臓が跳ねた。
ミルクに話を聞いている間、カルメは、
『ああ、なんだ。結婚ってそんなに大変なわけでもなさそうだな』
なんて暢気に構えていた。
手続きは村長のところへ行けばいいし、プロポーズが具体的に何を指すのかは、これからサニー辺りにでも聞いてこればいいと思った。
結婚式も同様であるし、新居についてはカルメの家がある。
そんなに困難はないかもな、なんて前向きに考えてきた。
しかし、そんなカルメにとっては恐ろしい言葉が、ミルクの口から零れた。
「私、親いない」
そんなことはログだって分かっている。
親がいないから結婚できない、なんてことは、少なくともログは言わないはずだ。
そこは問題ではない。
そのくらいのこと、カルメだって本当は理解していた。
けれどカルメは、敢えて、そう言ってしまった。
問題の核心から逃れたかったのだ。
「でも、ログ君にはご両親がいるだろうね」
そんなカルメに、ミルクは優しく、けれど諭すように言った。
カルメは口をきつく結び、俯いた。
その顔は酷く青ざめている。
「心配かい?」
ミルクがカルメの頭の上に手を置いて、そう聞いた。
「別に」
カルメはミルクの手を軽く払うと、そっぽを向いて言った。
「カルメちゃんがそれを望むなら、ログ君とはよく話し合いなさい。きっとログ君は、君に辛い思いをさせたりはしないから」
払われた手をもう一度ポンと頭に乗せて撫でると、ミルクは励ますように言った。
カルメは小さく舌打ちをすると、
「分かってる」
とだけ言って、そっぽを向いた。
皺だらけの温かな手を、今度は払わなかった。
「カルメさん、こっちは掃除終わりましたよ。あれ? 師匠、帰ってらっしゃったんですね」
呑気なログが、明るい顔で診療所から顔を出した。
「やあ、ログ。そうだね、お茶飲みが終わったから帰ってきたのさ」
「そうだったんですか。あれ? カルメさん、顔色悪くないですか? 大丈夫ですか?」
すぐにカルメの異常に気が付いたログが、急いでカルメのもとへ駆け寄った。
ログが近くまで来ると、カルメはギュッとログに抱き着いた。
「わ! カルメさん、どうしたんですか……あれ、震えてます?」
「ログ、ログ。話があるんだ。勉強が終わった後でいいから、聞いてくれ」
普段、正面から抱き着けば照れてどうしようもなくなってしまうはずのカルメが、真っ青な顔で、ログの存在を確かめるように抱き着いた。
縋るような瞳でログの顔を覗く。
ログは抱き着かれて一瞬デレた顔を引き締めると、ギュッとカルメを抱き返した。
「今、聞きます。勉強は、今日はいいですから。何かあったのなら話してください」
「でも……」
青ざめた顔で、ログを見つめた。
その瞳には不安が満ちている。
「カルメさんよりも優先順位が上なことなんて存在しませんよ。大丈夫ですから。カルメさんはどこで話を聞いてほしいですか?」
「家の前の、湖」
消え入りそうな声で答えた。
「分かりました。それでは師匠、すみませんが俺とカルメさんは失礼します」
ログが一度ミルクの方を見ると、ミルクは、
「分かったよ。また明日ね」
と微笑んだ。
『ログ君、逞しくなったね。頼もしい限りだ』
弟子の成長を喜んで、ミルクは穏やかに二人を見送った。
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